今年の始めに訪ねていらした女性がありました。治療関係のお仕事をされている方で私も温熱治療なるものを少ししている関係でお話が弾みました。少しお疲れとのことで、温熱をさせていただきながらお話を続けましょうということになりました。あちこち熱いようで(健康体ならそれほど熱いとは感じない)体調を崩していることを自覚されたようで、その原因のお話になりました。働きすぎは確かにあるでしょうが、それよりも何よりも何か心に屈託があることが分かりました。
病気の原因はいろいろありますが、中でも特に大きな比重を占めているものは精神的な疲れのようですねと意見が一致しました。治療の手法は何であれ、いくら治療をしても効果が上がらない人とそうでない人が常にあります。病の重さとは別に短期間で良くなる人とそうでない人の違いは何でしょうと訊かれたので、思わず「それは生きがいの有る無しだと思います」と答えている自分の声が聞こえました。「答えている自分の声が聞こえる」とは変な言い方だと思われる方もあると思いますが、何か質問されて間髪を入れずに答が口から出てくる時、私は自分がそれを知っていることに気づいていないか忘れている時なので、聞いてみてから「ああ、そうか」といまさらながらに気づくわけです。
生きがい! はっとしました。この頃の自分には情熱を傾けて打ち込む何かが足りないのではないかという何とも言えないもやもやとした焦りのような気持ちがあり、それが原因で体力気力の低下を自覚していた矢先でした。早速情熱というテーマでさまざまに思いを巡らせては内観をし、字を分けても見ました。字を分けるということの効能については別のページでさまざまな角度からご紹介をして行くつもりです。人の心はとても複雑な迷路のような構造をしている上に単なる平面的な迷路ではなくそれが顕在意識という表層部と潜在意識という深層部、これがまた何層にもなっているというやっかいなものなので、治癒の経緯も一筋縄では行きません。それでも生きがいは大きな要因であるとは思います。
ともかく生きがい作りに少し集中して見ようとこの日に思い立ちました。それがこのサイトを作るきっかけになった一連の出来事の一つなのです。他のきっかけについては光透波のページでお話しをいたします。
2016.1.12 記