母は意識の中心核

このところしばらく父について書いてきました。今回は母というものについて書こうと思います。光透波理論的展開での母の存在意義という視点です。いわゆる人間の母というイメージを大きく超えた母というものが一体どういうものであるかを知ると心の葛藤が消滅して行くという期待が持てるから大切な論点になると思います。
どんな人にとっても母と言う存在は良きにつけ悪しきにつけその人の意識の中心にあって生涯ついて離れないものです。人の意識は母と言う存在を核として回転していると言っても過言ではないでしょう。
この中心核が基本的に楽しく心和むようなエネルギーに満たされているか、反対に思い出すと辛く悲しく恨みに満ちているか、または悲喜こもごもであるかでその人の一生がどのようなものになるかが決定されていると言っても否定できる人はいないでしょう。「自分は幼いころに母に死なれてほとんど思い出がない」という人にとってさえ「母の不在」という悲しみあるいは母性的な存在への憧れなどの思いがつきまとっているのではないかと考えられます。意識が常にあるものによって影響を受け続けていて離れることができない状態をイメージしてみてください。まるで鎖につながれているようなイメージです。この鎖から解放されなければ自由にはなれないのです。その為に母というものそのものについて根本的に理解して見ると言う試みをして行きたいと思います。父性に対しての母性、その原理、つまり母性原理というものの理解です。

さて、光透波理論という視点で書いているのでまず字分けをしてみましょう。

母の字分け

かこみを表す「囗」という字と数学記号の「÷」の2つの部分から成り立っている文字と取れます。国や囲みという字の部分でもあり、境界線を持った閉じた形を意味しています。これに÷という字が加わると何故母という字になるのでしょう。
まず母とは何をする存在でしょうか。子供を産み、育児をし、生きて行くのに必要な技能を習得するべく教育をし、子供の成長に必要な食べ物を提供します。養うという仕事です。父は子供を受胎するには必要ですが、その後はたとえいなくなっても子供は育ちます。母は実母であれ、養母であれ、子供が自立できるまで成長するには必要不可欠です。動物の種類によって期間は異なりますがある期間傍にいて常に見守り養う仕事をします。見守らなければ他の生き物に食われてしまったり飢え死にしたりしてしまいます。
さて、この母が「割る」という仕事をするという点について考えて見ますと、人間の場合まず受精卵という一個の細胞が分裂をしてどんどん数が増え、大体60兆個にまで増えると人間としての姿になります。どれだけ割って行くとそんなに膨大な数になるのかと考えると気が遠くなります(注。分裂の回数は40数回で60兆になりますが、たとえば最後の30数兆をそれぞれ二つに割るという意味では膨大な作業量ですね)。
割って行く仕事をする母という字に「÷」という数学記号が含まれているのに対し、父には「×」(掛ける)という記号が使われています。「ハ」(波という意味を持つ音でエネルギーを意味する字)に掛ける(加えるという意味)ものはこの場合精子です。母が持っている卵子に精子が掛かると受精卵になるわけです。すごいですね。字にちゃんと示されているのですから。母の音読みと訓読みの音についている文字については後で分かってくるようにします。今回はインプットだけしておいてください。
そして子供を産むという仕事をした母はその後八面六臂の活躍をします。それも毎日です。毎日、毎時間、毎分休むことなく仕事をし続ける母という字に「ノ」(機能の能という意味の音)と「-」という数学記号が加わったのが「毎」という字です。毎度毎度休みなく為す(機能している)からマイナス(毎為)という字が入っているのがすごいですね。あきれたこじ付けだと思いますか?それが違うのです。字を分けて見れば見るほどこじ付けとは言えなくなります。でも疑ってみるのは当然のことで、深く疑ってみながら実験、検証をして行ってみてください。何事もただ鵜呑みにしないのが科学する心ですから。

毎の字分け
母についてもまた書いて行きます。
何故文字が感動を呼び起こせるのだろう

2016.9.2

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