縦の軸は父

生前小田野早秧先生がよくおっしゃっていたことに「どんな人にも両親はいるのよね、人殺しだって、詐欺師だってね」というものがありました。何回も聞いていましたが、その意味するところはほとんど理解していませんでした。両親の愛を知らずに育った人は大勢いるかもしれませんが、ともかく人は石や、木の股から生まれてくるわけではないのだということを何故かよく指摘していらっしゃいました。

両親があるという同じ条件下で生まれた私たち人間にとって、その親に対する思い、その親の子に対する思いや育て方で人生の悲喜劇が生じてくるわけです。親の生き様や考え方の結果として形成された人格が中心軸となって他の様々な環境的要因が加わって多種多様な人間性が表れてきます。その様々な人間が互いに関わりあって社会を作り、現代の人間社会が出来上がっているわけです。この現代社会を見てあなたは何を思いますか?

自分の周囲に幸せそうで満ち足りていて、穏やかな人柄の人がどのくらいの比率でいますか。そばに居るだけでほっとするような人、声を聞くだけで元気が出てくるような人はどうでしょうか。こういう人が大多数の社会を想像できますか?小さな集落ではあるでしょうが大きな集団、例えば国のような規模になると今の地球上にはおそらく無いと思います。

幸せな人とは幸せな親子関係を持った人(その親が生きていようといまいと)であるとインドの聖者カルキ・バガバンやロシアの覚者アナスタシアが指摘していますがその人たちの至言を待つまでもなく、常識的に考えても納得のゆくことですね。その親子関係を調えるための様々な手法を使ったセミナーで内観中にあることが起きました。父親が出てきたのです。実際に目の前に出てきた感じです。容姿も声や身振りもまったく父そのままの明瞭さで浮かび上がって来て、見つめると見つめ返してくるのです。そしてその目の中に悲しみと慈愛とが混じっていました。それから十年余り経った今これを書いている時でも私の目には涙が盛り上がってきます。甘酸っぱいような懐かしい涙です。話を戻して内観中のこと、その時の感情的反応をそのまま何もコメントせず見つめるようにあらかじめ指示されていたので胸が痛烈に痛む感情の激動を味わいつつ多くの思い出が映画のシーンのように目の前を通り過ぎて行くのを観察しました。その結果としてある気づきが起きました。

 私という人格の半分は機能していなかったのだ。私は不完全な器みたいなもので欠陥商品みたいなものだったのだ。私はまるで片親育ちの子供のような人間なのだ。

父とどういうふうに仲直りをすれば一番胸が楽になるだろうかと考えて真っ先に出てきた答えは「許す」でした。次が「謝る」、そして「感謝する」、そのあと「文句を言う」でした。胸に貯まっていたわだかまりをどっさり吐き出しました。許した後なので遠慮なく何でも言えました。甘えながら文句を言いました。肩を打ったりもしました。困った顔の父の目にはもう悲しみはなくなっていました。すっかり仲直りできた感じでした。後で知ったのですが2時間も経っていました。

母親との人間関係が悪い人は人生がデコボコ道のように困難が多く、父親との人間関係が悪い人はお金で苦労するとカルキ・バガバンは教えていらっしゃいます。私はこの時を境にお金の苦労があまりなくなりました。何かを売ろうとするとそれが一番市場価格の高い時で、すぐに売れ、買うときは値下がりしているというようになっているのです。これは功利的な点での話ですが、人間関係でも男性と気楽にリラックスした状態で付き合えるようになりました。以前は男性に対して構えがあったせいかそばに寄ってきてくれない人たちが大勢いました。怖いと言われたこともあります。衝突もよくあり、双方疲れるという結果になりました。振り返れば亡き夫には気の毒なことをしました。でもしっかり謝ったのでおそらく許してくれたと思います(ハハのんきだね)。

父とは先に出てきたエネルギー、男性原理で、命波では数値は「一」に当たります。まず父という縦軸が立って(成立して)初めて母という「二」の数値を持った横軸が立てられる。父母という二つの異なるエネルギーの性質が一体となることで「時空軸」が完成し、その後で「子」という森羅万象が生まれて来られる条件が整ったことになるので、古来日本では、

 一が二を生み二が三を生み、三が万象を生む

と言われています。両親が生きていようといまいと自分の心の中で起きている嵐のような葛藤は仲直りすることで静まります。嵐が去ったのちに訪れるものは平穏です。心の中心軸に平穏な安定性が出来たとき、その人は周囲の人から見ると幸せで、穏やかで、ほっとするような人になるのでしょう。それでも人生の荒波に対して時には振れたりはしますが。私ごとですが今はその時で、一緒に暮らしている家族が生命の危機に瀕していて余命いくばくという状態が続いていたのですが、今奇跡的に小康状態になり、こうしてようやく何かを書く気になりました。
2016.7.1記

続く
父の音、宇宙の種音

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

 

 

「縦の軸は父」への1件のフィードバック

  1. 先生のお話を読み、自分は父の愛が足らなかったので気になり、もう少し詳しくお聞きしたく先生に「父とは?」と直接お伺いしました。こちらのページで連作になるそうで良かったです。

    その時の先生との会話のなかで、完璧なご助言をいただいたので書きます。
    私は「幸」という字を分けて「はじめは辛い」と以前に解釈したことを思い出し、辛いことを知らなければ何が幸せか分からないけれどもそれでは消極的でやられてしまうと話しました。
    先生は「誰の人生にも事故(辛い出来事)は必ず起きる。それから逃げずにどう対処したかが魅力になっていく。若さでごまかせなくなった時にはっきりする」とおっしゃいました。
    私は、今は同じ文字を「マイナス辛い」と捉えて辛いことが起きても対処を毎々為していくと状態が変化していく、それが幸せではないかと思うようになったと言いました。

    「自分の知恵を使って対処することが楽しい、それが幸せ」と静流先生。
    対処することで辛さが軽くなるとだけ考えていたので、対処できること自体が幸せだとは気がつきませんでした。
    事故も心の葛藤(自己)もこれさえあれば大丈夫。今私は父の愛が足らないと自覚している、自分で対処することが出来ます。

    「考える力」と小田野先生、「考えると力が出る、考えることが力」と静流先生。だから何度も言ってるでしょ、っとお声が聞こえてきます。

    自分の知恵を使う幸せ!
    なんてウキウキするフレーズでしょう。

    ありがとうございました。

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