八田光典さんの「闇の進化」をお読みいただけましたでしょうか。闇は門の中に音が閉じ込められていると字が教えてくださっているのですねえ。音が生き生きと活動できる状態にないということなのでしょうか?考えてみましょう。
音が活動している、つまり展開している世界がこの私たちが存在している宇宙なのです。
どうしてか?
宇宙は振動するエネルギーで成り立っているという見方があります。物体も究極的には振動するエネルギーが素となって成り立っている「場」であると言えます。原子は中心核の周囲を電子が猛烈な速さで回転して作っている場と言えばイメージが浮かぶと思います。そして振動しているものとは音です。人間の耳に聞こえようと聞こえまいと、音です。この音が展開している処で私たちが存在している(と思っている)物体のある場所が三次元という処であると多くの人が思っています。しかし場所ではなく此処という処が心であると字が教えてくださっています。
幾何次元を見てみましょう。一次元は線です。幅のない線が無限に重なっていくとします。面ができます。二次元です。一次元の線だけから見ると二次元は90°立ち上がっている形と取れます。さて、広がりは出来ましたが厚みがありません。この面が無限に重なって行くとまた90°開いて立体ができます。図を見ましょう。
三次元になりますと、もうその形を崩さずに90°開くことは出来ません。しかし図にあるように直行する軸をx、y、zと三つとり、それぞれが90°開くと三次元の形を維持したままで、結果的に回転します。回転という動きは時間性能であると言われています。四次元は時間であるという言い方もされています。
つぎは字を見ましょう。
点が四つそれぞれ一から四次元と順番に並んでいると見ます。ちなみに点が四つある字は漢字の部首で連火と言います。連なる火ですからエネルギーという意味の字です。焦点はどちらも連火ですね。点が三つという字はありません。
ここで二つ目の二次元にあたる箇所に90°開いているというL の形を入れます。ちなみに光透波理論でアルファベットのL は開くという意味に取られています。
心という字ができています。ココロ、此処(三次元)というところにロ、云音表から参照すると「露」という字が当てられるので「露われている」と取ります。此処に露われているものが心とはどういう意味なのでしょうか。宇宙全体でしょうか。三次元全体と取りますと、一つしかないことになります。では私の心、息子の心、夫や妻の心という場合は別物でしょうか。大方の人はそう思っています。形がないのですから一つ二つとは数えられませんがそれでもなおかつ個々の心という境界線はしっかり各人によって作られています。横道にそれました。
では音と心を一文字にしてみましょう。「意」という字になります。意識の意、意味の意。意思の意です。意とは音が此処に展開しているという意味になります。その音が展開できない状態で閉じ込められているのが闇という状態であると教えていただいているのです。闇識、闇味、闇思では困りますね。
何か大きな気づきが起きたのではないでしょうか。起きたのならその現象は「理解」と呼ばれます。理解という字は以前「リカヒ」と読まれていました。逆に読むと「ヒカリ」、となります。自分が暗闇で手探りで這いまわっている状態をイメージしてください。どこに何があるのか、危険なものはないだろうか。出口はあるのだろうか、皆目見当がつきません。そこに光が差しました。一目瞭然、自分のいる場所が見えます。これが理解です。
2016.2.7 記