今年4月24日にお寺を訪ねて来られた方がありました。事前に音楽を演奏して仏前に捧げたい旨許可を求めてからの来訪でした。
頂いた名刺に「雅楽士」とありましたので、雅楽の音楽を好んだ母の顔が思い浮かびました。母がよく唄っていたのは「越天楽」でした。
さて、仏前で手を合わせ、今日は「献笛」をして良いかと許可を求め、笛を吹く前に「散華」をして一礼。床に座って笛を吹きだしました。ちなみに「竜笛」という楽器です。
最初の壱越調(イチコツチョウ)という曲を聴いている時に耳の中で小骨と鼓膜が振動しているのが感じ取られました。一緒に振動しているうちに、高音部の聞き取り範囲が広がって行く感覚があり、次に低音部の聞き取り範囲が広がって行く感覚がありました。
「可聴範囲がひろがっていますか?」と内なる叡智に訊きますと、「はい」でした。単に聞き取りが良くなっているだけでなく、鼓膜の汚れがふるい落とされて行く感じがしました。以前左の鼓膜にポリープが出来ていて、右も汚れが酷いと医師に言われて、セルフヒーリングをしたことがあり、状態は改善していたのですが、まだ完全にきれいになっていないことは感じていました。
高齢になって軽い難聴になっていたのがかなり改善されてはいたのですが、それでも半年前の聴力検査では50代の女性の平均程度でしたので、音響機器の音量は若い人用より多分大分大きくなっていると思います。
次の曲になって、こんどは胃腸が整って行く感覚がありました。消化器系全体が元気になって行く感覚がありました。「胃重」気味だったのが、すっきりして行く感覚です。体が喜んでいるのも感じ取られました。
次はどこの機能が亢進されるのだろうと、欲張りな私は期待でいっぱい。
少し休憩した後、
3曲目で心臓が楽になりました。
次の4曲目には脳細胞の活性化が進んでいるのが分かりましたが、この時です。
脳の上部、頭頂葉の真ん中あたりに「小豆粒大の膠のような塊」があるのがイメージでくっきりと浮かび、それが融けて行くイメージが見えました。自分が固執しているものを溶かして行くために何年も「心の断捨離」を続けて来たのにまだ残っているのは分かっていました。
どうしても許せない人がいる。許せたと思っても何かのきっかけがあるとその人の顔が浮かび、むらむらと怒りが湧いてくるのです。その怒りを見つめては消えてゆくのを見ている作業を続けてきました。他の人が同じような目にあっているのを見ると、それが現実でなく芝居の中であっても腹が立つのです。
ところが、その人の名前が思い出せないのです。顔もぼんやりしています。そして、
何の感情も湧きおこらないのです。
ふと、これが最後の断捨離だと思いました。万歳です。
次の曲はその名も五常楽級(ゴショウラク)でした。その名のように五感もすべて楽しく、楽であるのが平常心となっているのが理想でした。見る物は皆美しいい、食べるものは美味。聞くものも楽しい。母、太母の「天地人清浄のうた」の意味が体感出来ました。全身の細胞が喜びに振るえて、活性化して行くのが分かりました。音楽と共に振動してうっ滞が融けて流れて消えて行く感覚でした。
そして「越天楽」となりました。感謝と喜びで涙がいっぱい。嬉しそうな母の顔が見えています。この喜びが「十方無限世界」に響き渡るのだと言う母の言葉も思い浮かびました。次の曲の間もずっと、母の声で聞こえていたのが、
捨てなさい、捨てなさい、捨てて、捨てて、捨てたことも忘れてしまいなさい
そして、聞こえました。
“Don’t worry!” 初め英語で来た。
心配ない
何も心配することはない
幸せでいるだけでいい
よかったのう、静流
人類が開眼するのは急転直下。もうじきじゃ。
でした。今は痛いほどその心が分かります。これが地球蘇生の鍵です。人が理解し、納得し、あらゆる固執を離れ、喜びに満ちて、淡々と生きていることが一番の浄化なのだと今私は確信しています。誰かが悪い、許せないという思いが重い心となって、怒りが錨のように心を沈めて喜びを感じられなくしているのです。
『仏眼』の言葉です。
2021.05.28
なんと素晴らしいです!
心に響きます
美しい音楽も聞こえてくるようです
どうもありがとうございました!