この前の記事で体が教えてくれる気づきへの導きについて書きましたが、「視交叉」についてはお話ししませんでした。
これは続きでもあるし、違う観点からの考え方でもあるので、別の記事にしました。
悪循環という表現があります。ひとつ何かが悪くなると、次から次へと悪い事態が生じてくるということを経験していない人はないと思います。今回はこれを自分を例にとってお話しします。
私はコンピューターをほぼ毎日使います。一日2時間から数時間使います。その際にマウスとキーボード打ちをします。指と手首が疲れてこわ張ります。その疲れが肘に来ます。悪循環の始まりです。次に肘から肩に来ます。そして肩甲骨に来ます。肩甲骨の内側に膏肓というツボがありますが。これが深部の重要な部位につながっているのです。
「病膏肓に入る」という言葉がありますが、病がこの場所に入ると医者でも治療士でももう治すために打つ手がないという意味だそうです。どこか特定の内臓ではなく体の奥深い部分という意味だそうです。
さて、成人で肩こりという症状をお持ちでない人はあまりいないと思います。ひどくなければ柔軟体操や温灸、マッサージでほぐせますが、毎日の生活で肩が凝ることをしている人にはあまり効きません。焼け石に水です。
この膏肓の内「肓」は右側の肩甲骨の内側にありますが、ここを押すとひどく痛いです。ここから一体どこに影響があるのかを調べて行くと、三叉神経から眼へと繋がりました。そして「視交叉」と分かりました。これは文字通り「視る」対象が「交差」する場所です。私の場合ここが正常に働いていないことで眼精疲労もより悪化するそうです。そして「視野狭窄」の原因にもなっていると出ました。眼科検診で視野検査を受けると、視野が狭くなっていることから緑内障のリスクがあると言われ、それを理由に点眼薬を勧められます。まだ緑内障ではないし、眼圧もそれほど高くないし、視野も変化もしていないので、断っています。点眼薬を一年ほど使っていたのですが、変化がないのに嫌な気がして止めたのを、医師がなかなか納得してくれず、検査で悪い方へ変化があったら使うと約束させられました。何故嫌かというと、点眼後数分は眼を吸水性の高いもので押さえているようにと指示があったからです。これは点眼液が眼から鼻腔を経て喉に流れ込まないようにという意味です。つまり体内に流れ込んだら有害ということです。私が診ている限りの治療を受けている方々の多くが喉と消化器系の内臓のどこかの粘膜が糜爛しているという診断が出ているのですが、全員何らかの薬を服用しています。ダウジングで症状の原因を尋ねると、必ずと言って良いほど「薬害」が含まれます。
長々と回り道をしてすみません。本題に入ります。
視交叉の不具合は胃にも来ていました。三叉神経の不具合の原因ともなっていると出たからです。消化器系に影響を与える神経なので、膵臓の外分泌機能にも影響が出たということだそうです。ついでに骨も診てみました。頚椎に一か所、胸椎に一か所(これは胃の経絡でした)、腰椎に一か所ズレがあり、そこを治療しました。なんと腰痛の原因にもなっていたのです。
まさしく悪循環です。痛みに促されて、専門家に調べてもらって体の不具合のひとつだけを視て、そこを治すべく処置をしても体全体を視なければ根本的解消にはならないということが言いたいのです。ひとつ処置をしてもらっても痛みは他に出てきますので、また違う専門部門に行き、「たらい回し」が始まったら大変です。病院に通うことが主の生活になってしまいます。そしてどんどん薬の種類が増えて行きます。病や不具合の根本原因はいくつかあるでしょうが、非常に健康で、薬も全く飲んでいない健全な人がどういう生活スタイルをしているかを視て、自分が「大自然の法則にのっとった正しい道」からどれだけズレてしまっているかを理解して、できるかぎりの軌道修正をすることが賢い対処法だと思います。これを新しい薬の服用を始める前にやって欲しいです。処方薬は一度始めたら勝手には止めれません。そしてだんだんに増えて行く傾向にあります。薬害が他の症状を出してくるからです。体は「神の社―Temple」で身細胞は「大自然という智慧が創造した完全なる自治の完成体」だということを自然体で生きていた非常に健康な人から教えてもらったことがありました。
身細胞とお話しをして、細胞が嫌がることをしなかった人です。たとえば口に入れて舌が嫌がるものを食べないのはもちろんのこと、顔にも塗りませんし、髪を洗うのにも使いません。まず味わってみて使うかどうか決めるのですが、ほとんどの場合見ただけで分かるようでした。酸素が足りないと細胞が嫌がるので、風通しの良い服を着(当然化学繊維は着ません)、疲れたらゴロンと横になります。布団も要らないようで(毛穴からでる毒素を吸い込んだ布団は体が嫌がるそう)、毛布か布一枚を夏冬通してかけていました。味の濃いものは「元の食材の味が消えるから」と言って、大体は生か薄い塩味で食べていました。何かで味をつけて沢山食べると食べすぎが原因の病気になる、食べ物という大地の恵みを収奪することにもなるとのことでした。この人が「仏眼」を書きました。
その人が亡くなった命日の11月21日にこの記事の元になったメッセージが来ました。
2020.11.23記