前回の記事の末尾に、豚に羽が生える可能性に触れました。これは少し捕捉説明が必要と思い、この記事を書いております。
スティーブさんは単にpossibility(可能性、実現性、今はなくとも将来は可能かもしれないという意味を含んでいる)とpotential(開発したものではなく、潜在的な能力)の違いについて、豚の羽という比喩をお使いになったのですが、せっかくですので羽というものについて他の観点からの考察をしてみたいと思います。
鳥は飛べるというpotentialを備えられて生まれてきています。羽があるということの他に体の構造が筋肉と骨とで出来ていて脂肪はあまりありません。余分な体重がつかいないように飛びながらでも排便ができます。こういう構造を持っているから飛べるのだろうと、飛べない我々人間は解釈しています。これはこれでそうとしておきましょう。
これに対して芋虫は飛べません。でも成長の過程において羽化という現象を通過して構造的変容をして飛べるようになります。
では、ダンボという比喩は何を意味しているのでしょうか。象は豚に劣らず体重が大きい生き物です。いくら耳が大きくても飛べるような身体的構造は持っていないと、見た人たちがその可能性をすぐに否定するような条件を備えています。おそらくクリエイターのディズニー氏はそれを意図して象を選んだのでしょう。しかし、その一般的通念をくつがえして、ご存知のように、ダンボはおまじないの羽をもらって飛びました。象のpotentialでは飛べない、しかし羽というおまじないの奇跡的効果で飛べたという経験をしました。Possibilityを信じるに足る基礎的条件は整ったのです。おまじないの羽は無くとも、可能性を信じる固い信念があれば既成概念を打ち壊して、奇跡は起こせるというのがこの物語のテーマでした。
では人間が飛べるpossibilityはどうでしょうか。物理的には無理な形態をもっているので、他に何かしなければ飛べるようにはなりません。重力場をコントロールできるような能力を開発すれば可能性はあるかもしれません。
ここで、人間と言う生物のpotentialとpossibilityという二つの能力について考えて見ましょう。人間には抽象的観念を把握する能力があります。可能性という言葉も生来の能力という言葉も重力場という言葉も理解できます。
私たちが存在しているこの宇宙という場は電気と磁気が交差するグリッドのような構造が見えないところで基盤になって機能しています。このグリッドの交点がゼロポイントと呼ばれる「場」だという人たちが大勢出てきています。21世紀の科学です。ゼロポイントは重力の作用を受けない場です。では重力場の制御と言うことはどのようにしたら可能なのでしょうか。ダンボの例ですと、自分は飛べるのだという信念です。誰がなんと反対しようと自分はそれにつられることなくやってのけました。友達の声援も力に加わっていたようです。増幅された信念のパワーです。
では信念とは何でしょうか。見たところどうやら既成概念を上書きし、それをくつがえす力を持ったエネルギーのようです。信念の力の源泉は不退転の心です。迷っていては出てきません。
もう一つは「そんなことは無理だ、不可能だ」と思ったことがない人(例えば無心な幼児)が持っているものです。否定のエネルギーの影響力は絶大なものですので、ほんの少しでも自分を疑う気持ちがあるとエネルギーダウンしてしまいます。
人間が飛べるはずがないという既成概念を打ち壊すような例がときおり現れても打消しの力のほうがはるかに大きいので、いつの間にかうやむやのうちに立ち消えになってしまうようです。
今から十年くらい前にYou Tubeで放映されていたロシアの森で犬を散歩させていた男性が空に浮かんでいる少女をビデオに撮って話題になりました。今でも見られます。最新のアップロードではコマごとに見ては隠れたワイヤーがないか画像が合成されていないかを検証し、そういう痕跡は見られないと書かれていました。
人間の意識は抽象を把握できることから、いったん人としてのpotentialに気づいたら、possibilityは大幅に拡がるのではないでしょうか。21世紀に生きる人間が自らの絶大なる潜在能力に目覚めたら、それが羽化です。人類史の紆余曲折の失敗と挫折から学び、意識を練りあげ、真理を理解する力を培い、最後に熟して羽化すると、芋虫が飛べるようになるように人間も飛べるようになるのではないでしょうか。スティーブ・アールさんの本の末尾に、人類全体の進化とは特定の一個人が超越することでは起きないとありました。全人類の集合意識が熟れて羽化することが、人間をこの宇宙に出現させた天の意図なのかもしれません。集合意識が熟れるということは不可能という思い込みの呪縛が外れるということですから。