「久司典夫さんの気づき」を読んで

光透波を学ぶ仲間の藤田知江さんから長いコメントが届きましたが、これはコメントより投稿記事にしたほうが良いように思い、掲載します。今までは私一人で記事を書いていましたが、これからは他の方たちにも書いていただき、他の視点、別の考え方も読者の方々にご紹介して行きたいと思い、新しいカテゴリーを作ることにしました。
藤田さんは私が光透波の講座を始めたばかりの頃からの受講生で、20年間月一回の研究会にほとんど欠席したことがないという熱心な人です。今では私が思いもしなかった斬新な切り口の字分けを見せてくださいますので毎月の会を楽しみにしております。

以下は藤田さんの文です。

久司さんのお話をお聞かせいただき有難うございました。光透波理論を習い始めたばかりの時にクラスが始まってしばらくすると頭痛がし、それからウトウトと眠くなり、しまいには意識がどこかへ行ってしまう、というような思考遮断による自己防衛がよく働きました。久司さんのお話を読むときに久しぶりに同じような抵抗がありました。その抵抗感を懐かしく幸せに感じながら読ませていただきました。私は小田野早秧先生の光透波理論を菊池静流先生から学ばせていただくようになり、今では光透波理論が自分にとって考えの土台となりました。
久司典夫さん、半田公宣さん、飯島秀行さんも唯一の真理を皆さまそれぞれの位置から伝えてくださっています。久司さんのお話を読みながら、半田公宣さんの「自己と他者」、飯島秀行さんの「原因と結果」、小田野早秧先生の「詞と語」のお話を重ねて考えていました。

?            「ジャッジメント(判断/裁き)をともなわない観察」
?            変化を起こす原動力は「在るものをそのまま観る」ということによって出てくるもの
?            変えるべきなのは自分の内側のパーセプションだけだということ
?            人間は一人残らず目覚めているんだけど、他の人たちと僕との違いは「それを知っている」かどうかなんだ
(久司典夫さんの気づきより)

判断という漢字は、刀で半分に断つと書きます。切ってしまって半分ですから半分の理です。つまり自分の側からだけ物事を見ている状態です。判断する、とは目の前に結果として現れている現象について語っている私です。
PERCEPTION(認識)の中にはRECEPTION(受け入れる)とPがあります。Pはアルファベット16番でありピィと発音します。ピィに天鏡圖から文字をあてると日意となります。日は時のことであり、意はおもいです。認識は過ごしてきた日々の思いの積み重ねでつくられ、それを受け入れているということです。
私にとって衝撃だったことがあります。それは「人間は言語を周囲から学習しないと言語能力を使うことが出来ない」という事実でした。私の内面空間という思いの場は言葉で出来ていて(映像も言葉がないと結びつかない)、それは誰かから教えられたものですからつまり他者の集まりです。私はたくさんの他者であり、様々な結果であり、それは言語であるということになります。そしてそれが私のパーセプションなのです。

「変えるべきなのは自分の内側のパーセプションだけ」ですから私の個人的意識である内面空間が変わるべきところです。どう変わるというのでしょう?
人間は生きている間中考えています。考える力は命の力から発しているので目覚めていない人はいないのです。他者、結果、語といった遠心性の現象に対して、自己、原因、詞へ向かう圧をかけます。圧は負荷であり、一時的な求心性を起こします。宇宙呼吸(光透波理論p.259)により必ず爆発反転しエネルギーが生まれるためです。これが「在るものをそのまま観る」ことによって出てくる変化を起こす原動力です。
「それを知っている」というのはその場に今、居るということだと思います。

このように考えましたがよろしいでしょうか。
私は目覚めていないので実際はわかりませんが、光透波理論と字に向かうことにより理解を進められる方法を学ばせていただきましたおかげで、伝えてくださっている方々の座っている位置を頭の中で整理し感覚的に察するようになりました。それは暗闇の目標ではなくなって夜空の星のような指標と感じています。

「「久司典夫さんの気づき」を読んで」への1件のフィードバック

  1. 寄稿していただいてとても嬉しいです。見る目が違うと思いがけない考えに巡り合い、それが刺激となって更なる思考の展開ができます。
    光透波理論の本を読んでいない方の為に補足説明をさせていただきますね。本の該当箇所をかいつまむと、宇宙呼吸はまずエネルギーがどんどん求心化し(吸)これ以上は凝縮できない限界点に達すると必然的に爆発(呼)反転せざるを得ない、これが遠心的に拡がる現宇宙を現出せしめたとあります。必然的に起きてくる現象ですから、人間としてはどうしようもないことで、私たちは受け身の現象体です。不便でも不都合でも、そうであるからそのまま受け入れるしかないだけ。
    ちなみに典夫さんはあがかない、戦わない、嘆かない、心配しないで、静かに心を澄ませていることで問題が勝手に解決してしまうという人生を送っている人です。奇跡のような出来事の連続が本に書かれています。
    では、またのご寄稿をお待ちしております。

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