生きるために生きる人たち

最近全身がアトピー性皮膚炎の若い女性が家にヒーリングを受けに来るようになった。初めて来たときにはアラブ人の女性のように目の周り以外の全身を布や衣服で覆っていた。顔はマスクで、首は衣服で、手は指先だけ出して手袋で覆ってある。一番状態が酷い脚は三重に覆われていた、脱いでゆくごとに皮膚が表れてくると痛ましさに胸をつかれる。
こちらは慣れていないのでショックを受けたが、本人はケロッとしている。冗談を言うとケラケラ笑う。自分も冗談を言って返す。
とにかく明るい。ここまで辛い状態なのに、とこちらは思う。薬で抑えていた症状が、薬疹で使えなくなってから十年経つそうだ。痒さと痛さに十年耐えながら生きてきたのだ。そして良くなろうとする意欲がすごい。毎日でも来たいと言われたがこちらはそうは出来ないので週二回ということにした。仕事を終えてから夜飛んでくる。笑顔でドアを入ってくる。息が弾んでいる。「今日はこんな状態」と報告しながらベッドに入る。

今日ニュースで、拳銃で自殺しようとした若い男性が倒れていたのが見つかったと言っていたのを聞いて、この前の高見順の話の続きを書いている。
何があって死のうとするのか分からないが、それぞれ辛い事情があるからに違いないが、死のうとする人と決して諦めない人とがいる。

高見順という人が時々現れるバーで働いていたTの話では、実に人に好かれる人だったそうだ。肺結核と他のもろもろの病で入退院を繰り返しながら、死を見つめて詩と絵を書いていた人だ。死を見つめていても死のうとしているわけではない。むしろ生きようという意欲は大きかったと思う。


「今日高見が来るそうだ」。誰かが言うと店の客がワッと沸いたそうだ。ニヒルな作家も、厭世的な作家も皆同じように期待の色を顔に浮かべる。そして皆がソワソワと胸を躍らせながら待っているところへ、背の高い痩せた姿が入ってくると店の空気が変わったとTが言う。「あんなに人に好かれる人はあんまりいない。まあ面倒見はとてもよかった人だけれど、他にも面倒見が良かった人はいたから、それだけが原因ではないしね」とTが言う。そのT がまた実に人に好かれる人なのだ。医者から見れば不治の病に罹っていても実に明るい。毎日冗談(かなり辛口)を言っては私を笑わせる。
「毎日ただ凡々と生きているだけよ。いつ死ぬかなんて別に大事なことじゃない。生きている間は生きているだけ」と一日一日を楽しんでいる。できる限り家事も手伝う。嫌な仕事や辛い仕事という仕分けをしない人なのだ。やれることを黙ってやってきた。高見順もそうだが第二次大戦を生き抜いた人だ。当然めったなことでめげる人たちではない。最後にもう一つ、「見えてくる」という詩を。

お前の眼を
手でもって覆うがいい
するとすべてが見えてくる
時間も見えてくる
暗いおもかげのなかで
いきいきと育って行くもの
それも見える
さんさんとそそぐ春の光の中で
おまへの野心が
腐って行くのも見える

2017.4.8

「生きるために生きる人たち」への1件のフィードバック

  1. 今、生きるために生きている方々を私は心から尊敬いたします。

    私は以前、1カ月半入院し、体力の回復にさらに1年半を要する病気をしたことがあります。
    退院してから入院していた病院を訪れた時、涙がポロポロ流れました。
    入院時は身体の痛みと血を見る日々でした。看護師さんに車椅子を押してもらって通った廊下、歩けるようになっても筋力がなくてまるで登山のようにゼーゼーしながら必死で登った階段、死ぬ思いで入った治療室。場所に戻ると記憶が蘇り息が苦しくなりました。

    最近、犬ぞりレースのマッシャー( 犬ぞり師)として活躍する日本人女性の生活を追うテレビ放送がありました。10日間、極寒の地で昼夜走り続けるレースでマッシャーは立ちっぱなしです。大変ですね、と司会者が言うと彼女は犬たちの方が大変だと返しました。ゴール間際まで来る頃には犬たちはすでに体力の限界、気力だけで走っているそうです。「私のために走ってくれる」と彼女は話していました。

    私の身体が病気で酷いことになっていた頃、同じようなことを感じました。身体の全細胞と命のエネルギーが「私のために走ってくれる」。私の気持ちが挫けそうになっている時も昼夜休むことなくフル活動で生かそうとしてくれていました。

    あれから五年がたちました。昨日、部屋の掃除をしていると病室で使っていた旅行用ピンチハンガーが目に入りました。時を超えて思いが蘇り、一緒に湧いた言葉は「辛かった!」です。相変わらず私の気持ちは軟弱ですが、「私のために走ってくれる」身体と命の力は逞しく、誇らしいです。

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