日常における字分け

私達人間は言語を使って考えたり、文章を書いたり、他者の話や、書いた本を読むことができます。この機能を持っている為に、様々な情報が毎日入って来ます。テレビのニュース、新聞、雑誌、最近ではツイッターやファイスブック等の媒体経由でも毎日新しい情報が入って来ます。これらの他に、実は人間の作った媒体経由でなく、入ってくる情報があるのです。

ふと、思う
何かを見ていると、ある特定の事物だけが強く印象に残る
誰かが言っていることの中で、ある言葉だけに興味を持つ
夢を見て、その中で記憶に残っていることがある

これらが入ってきたら、それをお告げあるいはサインだと思って、字にして分けるということをするのが、光透波理論を学ぶ人の仕事です。この日は「課題」と入りました。題はここには書きませんが、「課」と課題のカナ読み「カダイ」を字分けに使います。

日付と時刻が情報の一つなので、この数字には、意味がある文字というものを当てて、それを参考に検証して行きます。そのプロセス中に様々な気づきや、思い出や、それにともなう感情的反応が記憶庫から出てきます。そして新たな気づきが起きます。

宇宙を貫いて遍く通っている(兌の意味)もの、つまり光透波は詞ですが、これを私たちはほとんど知らないのです。そして語という限定された範囲の中における理解力で使っています。語ですので、カタリ、騙り(嘘)、片理(完全でなく半端な理屈)で自分の思い込みや偏見を交えながらの考えを展開します。それで問題が解決するかというと、ほとんどしません。それで、偏見をなるべく交えずに文字を分けながら検証をして行くわけです。
ク(9時の9/54分の5+4=9)二重に9があるので、より注意を促され、空の工(知恵)が求められているので、語と詞の両方を使うことをします。語は概念、詞は天の真理を示しているコトバです。課せられた仕事を務め(6)として果たすことを怠っていたので、今ここで文を書いています。他にもいろいろ入ってきているのでそれをせっせと、頭を使って処理しています。こうしている間に素晴らしい情報が入って来ました。数字の持つ潜在能力と、宇宙の構造とそれを生成している仕組みに関する情報です。

やった~、と躍り上がるような興奮に体が生き生きと反応しています。心肺機能があがり、喜びが沸き上がります。正しい道を歩んでいる時にはこのような反応が起きて、まるで、小さな子供が大好きな親に褒められて、頭をなでてもらっているような感じです。それで二十数年経っても飽きたり、止めたくなったりせずにせっせと字分けをしているわけです。

この時の発見はまたいつかお話しします。
2020.6.26

「日常における字分け」への1件のフィードバック

  1. 私たちは語で考えるのでいただくサインも語でなければ分かりません。語によって交流することができ、語り合い考えて知恵をしぼる。思考する圧力が限界で爆発、そして反応が起きるのだと思いました。

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