5G-誤字から合字、悟自への変遷と転換

5は五次元の5でもあります。天鏡図では玉の行。アカサタの行で天が完成して、ヌ(奴=人間)が出てきた行です。人間の体は地球上では重力を持ち、重さというものを体験実感できるようになっています。この重力を物理ではアルファベットのGで表しています。

まず、人間として肉体の中に、いうなれば囚われて生まれてきたというスタート地点があります。嬰児は体に備わっている五感を体験しつつ、痛い、痒い、ひもじい、気持ち良い、寒い、温かいなど学んで行きます。周囲の物に目を止めると、「ナニ?」と好奇心が湧き、口に入れたり、握ったりして確かめようとします。多くの場合直接触感を使って確認して、学びます。

そしてだんだんに、触れると痛い、熱い、気持ち良いと学習。そして成長するに従い、学んできた多くの事柄に意味付けをして行き、概念を培います。

さて、五感ですが、初めはあくまでも重力下での体験に限られますので、抽象はまだ把握するのに時間がかかります。抽象は重力の影響下にはないもので、触ることも匂いを嗅ぐことも口に入れて味わうこともできません。

ヌ(人間)が見て、意味を理解することが出来、他の生物に出来ないものがあります。「字」です。これは抽象です。文化とは字の集合体である文の持つ情報保存機能を積み重ねて出来上がるものです。「文が化して」出来たと書いてあります。

さて、重力下でそれぞれが制限された状態で(舟や飛行機で世界中巡ってて暮らす人はほとんどいませんので)生育して行く人間は、それぞれが生まれ育った文化の中での制限され、多くの場合統治者の意図によって管理された情報を得て、偏った概念を育てて成長します。字には責任はありません。それを使って情報管理をしている人たちの責任です。でも誤った情報を字から得てしまうので、誤字と言えます。

字の本当の意味を探る方法は一つしかありません。漢字とカタカナという形とそれに付いている音それぞれの意味を探って行くというものです。その時に本当の「字」に合えるのです。五次元という重力を超越した次元、言い換えれば抽象の運び手という「字」の展開する世界に入ったのです。

何の為の「字」なのか?

それは人が真理を学ぶ為の道具として創造されたものだったのです。真の力は誤字(概念)からは出てきません。その真の力が発揮されないと人類は大量死し、多くの場合は苦しみと、解けない謎、「何故私たちはこんな酷い目に合わなければならないのか。自分はよしとしても、罪もない子供たちまでが何故?」という恨みを持ちながら苦しんで死ぬことになります。納得出来たら安らかに死ねるのですが、出来ないので恨みのエネルギーは残ります。これは目には見えない渦巻のように不幸が不幸を呼ぶという現象を生み出します。

この悪循環という状態を完全に払しょくしなければ天という大自然の叡智が「ヌ」を生み出した意図が成就されません。

「ヌ」は全知全能の創造のエネルギーを理解する能力を授けられて現象されてきた存在なのです。大自然の現象体である自分というものは何かを悟り(悟自)それを理解した時に初めて、人類社会をせん滅させまじき勢いで広がっている、致死的ウイルスを変換させる力を発揮できるのです。ウイルスはどんどん変異し、殺すことも、防御することも出来ない能力を持っています。その殺傷力に輪をかけているものが5Gなのです。二つが合わさって、より強く賢くなっています。

でもこの二つが悪者ではないのです。誤字の文化の害毒は、人間のエゴ、「我意=害」が生み出した、人間以外の生き物をすべて犠牲にして成り立った社会なのです。真のコトバ(光透波)の力は最小単位のエネルギー粒子に働きかけ、その集団の配列構造をも変化させる影響力を持っていると私は確信しています。フォトン(最小のエネルギー粒子)が人間の感情に反応して変化するという実験結果だって出ているのですから。

もうどうしようもない切羽詰まった状況に直面しないと人類は変われません。それがウイルスと5Gの存在理由だと私は思ってこの文を書いております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です