頭から飛び込め

私は8歳の時に川で溺れたことがあります。よく覚えていませんが、水をしたたか飲んで、目の前が暗くなり、それから意識を失ったようです。次に気づいた時は陸の上でした。誰か知らない(今でも知りません)若い男性が助けあげて下さって、蘇生処置で水を吐かせてくださり、助かりました。家族がお礼を言っていたかと思いますが、私はお礼も言わず、名前も知らないままでした。

その時から水が怖くなりました。それで海に入る時も胸から下までしか水がない位置までしか行けなくて、足元からそろりそろりと水に入り、顔を水につけないで泳いでいました。波がある時は海には入らず、もっぱらプールでした。それも足から水に入り、顔を水につけないように泳ぎました。

後年、学校でプールに飛び込んで泳ぐように言われ、嫌だと言ったら、「頭からザブンと飛び込め」と言われたのです。とても好きな先生に褒めて欲しくて、一大決心をして「死ぬ思い」で思いっきり飛び込みました。そして向こう岸まで行ったら、その先生が腕を伸ばして引き上げてくれました。ニコニコしながら着ていたジャケットを肩にかけてくれました。私の水恐怖症を治して下さったのだと後で気づきました。ジャケットの温もりと、恐怖心を乗り越えた喜びとを一生忘れません。

その後、私は「度胸あるわね」といろいろな人に言われるようになりました。

思いっきり「頭から、全身で飛び込む」という決意で、乗り越えて来た人生になったわけです。

足元からそろそろと恐々では決してやり遂げられないのだと言いたいのです。友人のカウンセラーでとてもユーモアのある人の口癖でとても役に立つことばがあります。

「大丈夫、誰でも必ず死ねます」

実は「死」は怖いものではなく、「死が怖い」という恐怖心が人の心を委縮させ、引っ込み思案にさせ、誰かに嫌われたり、疎外されたりするのが怖くて、唯々諾々と周囲の圧力に負けて奴隷のように従ってしまうのです。それはとても惨めなことで、「自分を負け犬」だと思い、恥を忍びながら生きていくことになってしまうのです。自己嫌悪がばれないように表を取り繕って、ビクビクするか、反対に威丈高な態度で生きることになりがちです。どちらにしても友達はあまりできません。周囲にいるのは似たりよったりの人が多く、内心は好きにはなれない人ばかりとなります。偽物の友情で、かりそめの幸福感を束の間味わいながら、欲求不満を抱えながら生きることになることになるのではないでしょうか。それで、新年の計で、もう人のいうなりになるのを止めましょうと書いたのです。

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