3月23日の朝、3時半過ぎに目が覚め、窓のロールスクリーンを上げて、外が見えるようにして、床にクッションを敷いて座り、外を見ました。半月なのに煌々と光る月が美しく、見ていると母のことが思い出されました。
母は若い頃日本中を徒歩で旅する人でした。お金があまり無いので、人の来ないお墓や山中の森や林の中で寝たそうです。人里を離れた灯りの無いところなので、夜空は満天の星です。瞬く星を見上げながら、星と話をし、月と話をし、静寂を満喫して、幸せだったそうです。
後年、私が覚えているのは、母がよく唄っていた童謡で、「お月さん」でした。ちょっと調子外れで、歌詞も勝手に少し変えて唄っていましたが、聴くと私の胸はいつもキュンとなって、何故か少し物悲しい気持ちになったものです。孤児の歌なので、寂しがりやの私も同調したのかもしれません。私も声には出さずに唄いました(正調で)。
お月さん、一人なの?
私もやっぱり一人なの
お月さん空の上
私は並木の草の上
お月さん幾つなの?
私は七つのみなしごよ
お月さんもう帰る?
私もそろそろ、おねむなの
お月さん、さようなら
明日の晩まで、さようなら
何故か涙があふれ続け、母懐かしさで胸いっぱいになりました。
その時、目の端の方で何かがチカチカしているのに気がつきました。視線を移すと、星でした。月明かりがあまりに煌々としていたので、小さな星たちの瞬きに気づかなかったのです。「あらま、気がつかなかったわ、ごめんね」という気持ちで、今度は星々を眺めました。
チカチカチカチカ、まるで何か言いたげです。もっとよく見ようと、別の部屋に移動して外を眺めました。月がないので星の数がずっと多くなっていました。
その時に聞こえたのは、ルナさんと呼ばれる存在の言葉でした。その前日に観た動画の中で彼女に、朝4時に起きて、空を見てくださいと言われたのです。その時は多分4時になっていたと思います。そして、彼女が言った言葉が、
空に瞬く星たちはただ光っているのではないのです
この時、腹の底からこみあげてきたのは「笑い」でした。おかしくて、おかしくて、クスクスとしばらく笑いながら、声に出して言いました。
ほんと、ほんと、その通り、ただ光っているんじゃないよね。お話ししているのよね。
私と一緒に瞬いて、繋がって、嬉しくて振動して、仲間になってくれて嬉しいって言っているのよね。私も嬉しいわ。
星たちはもっと瞬いて、「ようこそ、一緒になれて嬉しいです」と言っているように聞えました。
またまた涙で、胸キュンで、そして、またルナさんの言葉が響いてきました。
孤独な人なんて一人もいません
ほんと、ほんと、みんな繋がっているんだから。でもそれを知らない人たちが大勢いて、孤独の中で、悲しんだり、絶望したり、愛してもらえないって怒ったり、恨んだりしているの。この人たちを腹の底から笑わせるために私が出来ることは、この喜びを伝えて行くこと。だから、今書いています。
母の言葉も今聞こえてきました。
由来、天地の理法は、自身の喜びを知らずして、
他を喜ばせ益すること、到底適わぬ道理にあるなり
各自(おのがじし)その喜びを知(さと)るべし
して、他をして真の喜びにあらしめよ
それ、真の喜びとは、万人はおろか、万物と心通うことの外なきなり
心通うとき、自ずから万物をいたわり、
尊重するなり
喜びとは、孤立の一滴にはなく、通い合うところに始めて生ずるなり
されば 万物と通う心を極楽と知るべし