星間の星

ここ数日さっぱり「実光透波(みことば)」の閃きがなくて何も書かずにいましたところ、3月3日桃の節句、雛祭り、朝の10時27分に閃きました。何か節目のような日に入ってくる情報は殊に大切と受け止めておりますので、一応メモっておいて外出。一日中忙しい日だったので、翌日の今日これを書き始めました。
星間の星」という実光透波でした。
星の間にある星?じゃあ見えないわけ?すぐに閃いたのは小田野早秧先生のお言葉でした。

私はね、何も欲しいものなんてないのよ。贅沢なもの、きれいな着物、美味しい食べ物、名誉やお金なんてものはね。でも私はものすごく欲が深いのよ。あつかましい望みを持っているから。
私が欲しいものはただ一つ。いただいたお仕事を全うした後に、晴れて死なせていただいたら、天のお父様お母様のお近くに行くことなの。その為にこうして来る日も来る日も字を割って割って割りぬいて、自分を細かく細かく砕いているの。どんな些細な出来事でも毎日こうして日誌につけて、何も見落とさないように目を開けているのよ。眠ってしまうと見れなくなるからなるべく眠らないように算段しているの。食べると眠くなるから少しだけ食べて、横になると眠ってしまうからこうして座っているの。時々横になる時は右手がすぐ使えるように左下にして、鉛筆と紙を傍に置いて枕もとの灯りはつけたままにしておくの。そんなに一生懸命やっているのにまだお迎えが来ないのよ。しょうがないけれどね。命の終わりって自分が決めることじゃないから。
あなた、どんなに辛いことがあっても自殺しようなんて決して思っちゃだめよ。苦労ってね、ダテにしてるんじゃないのよ、苦労って稼ぐものなの。苦労するたびに削られ、砕かれ、磨かれるんだから。「ありがとうございます」って手を合わせるくらいにならなくっちゃ生まれて来た甲斐が無いわけよ。そうやって身を削られながら生きて、そしてね、最後にもういいよって言っていただいたら、私は天の網の結び目の一つになりたいと願っているの。ならせていただけるかどうかは分からないけれどね。天網の結び目というものが、あなた、本当の星なのよ。あの夜空でピカピカ光っている星じゃあなくてね。あれは物なのよ。きれいだからってそれで満足していちゃあだめなのよ。本物を見ようとしなくちゃね

これを書きながら小田野先生のお声と表情を思い出し、それこそ出会わせていただけた幸運に感謝の手を合わせてしまいました。

さて、天網の結び目。それは何でしょうか。一つの説明は「軸」です。光のエネルギーである縦の糸と横の糸が交差してできる交点ですが、人が死んでその交点になれるかどうかがそれほど難しいことなのでしょうか。小田野先生によれば至難のことなのだそうです。先生のような艱難辛苦に耐えた人生で自らの意識を磨き続けて、嘘もつかず、誰も傷つけず、地球も収奪せずに生きてもそうなのです。でも一人目が出来たら、後になるほど楽にはなるそうです。道なきところに道をつける仕事を天命として受けた先駆者と呼ばれる人たちは最も厳しい道を歩むのですが、その後は道を辿ることができるわけです。ありがたいことですね。

閃きの来た時間は3月3日10月27日  雛ヒナ祭り

ミミにそれぞれ「見」と「実」を当て、嘘でも虚でもない「実を見る」と取りました。その音には「耳」という字もついています。聴く役目を果たしている器官でもあり、音は「ジ」とも読むので「字」を当てました。
見て、聞いて、字を検分して何をするかというと、至高の叡智のエネルギーである透明の普遍の名(命)を探る。何を使ってかというと、云音表(ハコブネという舟)です。わざわざ10時27分に降ろしていただいたのですからその数値を大切なメッセージの一部として扱います。
桃の節句はモとモに母と網を当てます。ここに天網が出ました。天の実体であるエネルギーのネットワークですから。そしてヒ(和数字の一番目の数)一、これは絶対という意味に取り、奈という形を(大=小)と分解します。大が小と同じである条件は形あるものを超越したエネルギーを意味しますので、それはすなわち絶対性、至高の叡智、あるいは神と同質ものと取ります。雛という人形(概念)ではなく本質の方の意味は「一奈」なのだと教えていただきながらの字分け作業をしました。

天網やエネルギーの交差についてもまた書きますし。星というものについてもまた書いて行きます。
2017.3.4

覚者と凡人はどこが違う

「星間の星」への1件のフィードバック

  1. プラスマイナスゼロ、すべては基本の軸に戻るという宇宙の法則についてここ数日ずっと考えていました。
    私は軸(交点、結び目、ゼロ)という位置と自分は凧と糸のように繋がっていて、今の自分がプラスやマイナスに揺れたとしてもいつかは戻るところ、というとらえ方をしていました。

    「軸は結び目であり、人がその交点になれる」
    静流先生から小田野先生のお話をお聞きしているはずなのに、まったく意味がわかっていなかったと分かりました。
    軸自体になるとは!あまりに壮大なことで想像が及ばず、理解できないので頭から滑り抜けていたようです。その道をどうやって開かれたのか少しでも知りたいです。

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