悪夢が教えてくれたこと

今から二十数年ほど前になりますが、ひどい悪夢を見ました。子供の頃から熱を出すことがよくあり、そういう時には悪夢を見ました。崖から落ちる、周囲に誰もいなくなってひとりぼっちで怖くて必死に人を探す、道に迷って自分がどこにいるのか皆目見当がつかず、ぐるぐる回って挙句は元の場所に舞い戻る等の夢です。汗びっしょりになり、心臓が縮かんで息が苦しいような状態で眼が覚めるというパターンでした。
大人になってからはあまり、悪夢は見なくなり、久しぶりの体験でした。

夢のシーン

どこかの崖の端に空中に乗り出すような形で樹の枝伸びていて、その枝に掴まっている自分。体の重みを細腕二本で支えている。腕が伸び切って枝の上に体を持ちあげることが出来ない。元々懸垂が苦手で逆上がりで鉄棒に脚をひっかけることが出来ない私でした。だんだん腕の力が抜けてきて、痛みが酷くなって行く。それでも下を見れば断崖絶壁。どのくらい高いところなのか地面が見えない。極度の近視なので、下はぼんやりと霞んでいる。状況が見えないことも苦しいものです。

身体能力の無さ、近視、方向音痴、寂しがりやと全部が悪夢につながっているのです。そういう自分が情けなく悲しかった子供時代でした。

さて、腕の力も限界にきて、どうするか決断しなければならない状況になっていました。高所恐怖症で「落ちる」というイメージはそれだけでも恐怖の極みです。でも腕の痛さはもう耐え難い。

仕方がないことは仕方がない。解決法は一つしかない。

ただ手を放すだけ

簡単です。離すだけなのだから。すると、あら不思議!落ちて行かないのです。たとえ落ちて行ってもいつまで続くか分からない腕の痛みに耐えるよりは楽だと思います。

怖がっている時に理屈は通用しませんが、落ちるしかない時にはもう怖がっても間に合わないわけです。

なるようにしかならないのです

「良い夢を見ましたね。忘れないようにね。貴重な体験なのですよ」と小田野先生に言われました。

コロナウイルスも同じです。感染するかしないか。したら生き延びるか死ぬか。なるようにしかならないのです。枝にぶら下がっている時のように、怖がっていると体が硬くなり、息も短く、胃や臓器が収縮し、苦しいです。生にしがみついて必死になっていると苦しいだけです。

悪夢が教えてくれた貴重な気づきでした。今は何も怖いことはありません。貯金があまりないことも、家族がなく天涯孤独なことも、物忘れも含め、様々な老化現象が進行していても、な~んにも心配ではないのです。これは大きな解放感です。自分にかまけることなく、大自然の営み、生態系全体が滞りなく機能していること、生き物すべてが完全循環して、個々の存在が「他を生かし、全体の調和のためには喜んで死ぬ」ということを人間はやっていません。身体細胞たちや微生物たちは当たり前のこととしてそれをやっています。感謝もされなければ、勲章ももらえません。誰もそれをしているということに気づいてもいないのにやっているからです。

それらの名もなき小さな存在たちに対しては感謝あるのみです。私も見習って生きている間は生きていようと思っています。ウイルス達と心が通じ合っているので、必要な情報はちゃんといただけます。直感的に他言は出来ない情報だと気づいていますのでここには書きませんが、何も心配することなどないのだということだけは断言できます。一日一日を大切に、楽しみながら、淡々と生きているだけです。安心立命とはこのことだと思います。

2020.04.20

ウイルスと通じ合っているってどういうこと?チャネリングとも言います。
その一例を添付します。多くの点で私の聞いたことと一致していますのでお読み頂きたいと思います。
チャネリングリーチ

体にウイルスや細菌が入ったら殺すのではなく、引っ越してもらうという考えで光透波の影響力を使って除去する方法も以前に書きました。ご参考まで。

ミクロの決死圏―体の中を旅して見ました

 

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