壬寅を分けたら文字通りだった

壬寅という字を分けて見ると、「分けて文字通り」でした。少し説明いたします。あくまでも私個人の見方ですので、他の人が分ければまた違う見方が楽しめます。

 

は「天鏡図」、つまり音に宇宙共通の意味を当てた、文字という真理を指示している「鍵」と取ります。小田野早秧先生は「文字の鍵」と呼んでいらっしゃいました。鍵が無ければ音の意味を探る手立てがないからです。

また、上の図ではが意味をんでいると出ていますね。その図のきとはスパイラルで転しているエネルギーの力にってその活動する状態、実態、機能、目的等を示しているのですが、見ただけでは理解できません。読み解いて理解し、納得して行かなければ身につかないという仕組みになっています。身につかなければ現象を起こす原動力にならないのです。現象を起こさなければ地球や天のお役に立てないのです。

明な実体(なので実体という意味)なってんでいるのは「字」ですが、人がコトバで考え、積極的に分けないと答が導き出されて来ないのです。誰か他の人が分けたのを見ただけでは積極的ではないので、身につかないという仕組みになっています。

(トヒ)を頂く前提です。絶対(の意)宇宙(透明の宇宙・實の宇宙・真空・無)は振動する波にって森羅万象を創造、運行、維持しているので、これは始めからそう出来ています。自然とは「自ずから然らしめられている」という意味の字ですので、どうしてそうなったのかは分からないのが当たり前で、これをどうしてかと探るのが人に備えられた好奇心というもので、止められません。

ところがこれを何と人は理解できる能力を持たされて生まれて来ているのです。宇宙の子である「字」を書き、読み、理解出来るのは人だけですから。ただ、自分の潜在能力をほとんどの人は自覚していませんが。

出来たのもをほとんど理解していないのが人間です。毀せますが、作れないのです。髪の毛一本、血の一滴一つ作れません。理解が深まると「ほとんど何も知らない」自分に気づきます。それでやっと謙虚になり、感謝心が起き、おそらく今あるがままで幸せなのだと思えるようになるのだと思います。

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