前回はざっと母について二つの字分けをしました。その時に母という字の読み音に付けた文字群については説明しませんでした。ある字を分ける際には先に文字の分解作業をすることから始めることが多いのですが、ここまでは「云音表(はこぶねひょう)」が無くともできます。
最近実際に字を分解しながら講義をなさっている方にお会いしました。直感的に文字をみて、「これだ!」と閃いた感覚を元に、病や人の意識のあり方などを説明すると講演会に参加している人たちが「うわ~」と沸きました。何故そんなに感動するのか?
これを不思議とも思わず、ただびっくりし、感動している人々を目の当たりにみました。
字を分けただけで何故感動するのか?
これは何かあるぞ。そう思いませんか?
光透波理論を学ぶ際には不可欠の字分けというものですが、どうしてこれが心を動かすのか。まずそれを考えて見ましょう。
遠い過去からずっとずっと人間は言葉のおかげで互いに様々な思いを相手に対して表現してきました。言葉がなかったら複雑な心境を相手に伝え、共感を得るのは非常に難しいことです。あふれる思いを愛する人に伝えたいのに適切な言葉が見つからなかったらどんなにもどかしい思いをするでしょう。見つかったら大喜びで使うでしょう。そして伝えながら、これを消えない形で取っておきたいと思った人もいたでしょう。それが言葉を文にした手紙でした。日本人は愛する人に深い思いを伝えるのに韻律を持った美しい言葉を綴りました。31あるいは17という限られた数の音節を使いみごとに心にあふれる思いを表現した芸術があります。ご存知、和歌や俳句ですね。何千年も後の私たちが読んで感動を新たにできるのは思いが文字になっていたからです。
これはひとつには字のパワーと言えます。字が、繊細で微妙な心の状態を運んでいるのです。こういう観点を持って字に向き合っている人はまだまだ大勢はいません。でもいったんこれに気がつくとその力、影響力に驚きます。
いや、字が感動を運んでいるのではなく、思いを表現する言葉が感動を呼ぶのであって、字は単にそれを記録する道具であるにすぎない
と反発される方も多いと思います。でもそれが違うのです。今日まで人間は思いを表現する言葉の力のみに焦点をあて、字の力には気づいていませんでした。
まずそれに気づいて、それから音が運ぶ(云ぶ)表を作るまでの大変な作業をすでにされた方がいらっしゃるので私たちはそれを使わせていただくことで、さらなる言葉の意味の深淵をのぞくことが出来るようになったのです。
ではもう一度母の字分けを見てみましょう。
字の力を信じない人にとっては心情的にむらむらと反発心が起きる展開でしょう。頭が痛くなり、見たくない、意味もないこじつけだ。中にはこの母と言う字の読み音についている文字を見ただけで拒否感に襲われる人もあると思います(拒否感は何処から来るのかについては後でお話しします)。
「これは面白いぞ」とワクワクする人と、ここで読むのを止める人と二手に分かれます。
でもどうか止めないでください。
ハハに波と把を当てました。波はエネルギーを意味します。エネルギーが何かを把握すると形あるものと無いものとの両方の共通項が見つかり、ある気づきが起きると思います。「空即是色」の意味が少し理解できるようになるかもしれません。非常に重要な気づきですが、いくらお題目として唱えていても大自然の摂理に対する理解が怒涛のように押し寄せてくることはあまりないです。少しずつ少しずつ分かって行く過程というものがあって、ある時、節目、節目にまとまった理解が起きるのです。積み重ねの効果と言えます。
母というものをエネルギー的に把えるとマイナスのエネルギーだとお話ししました。ではマイナスの役目は何でしょうか。ひとつには引力に対し斥力を意味します。エネルギーがどんどん中心に向かって集中すると加圧状態になり加熱し重くなります。究極的にはブラックホールのように何も通さない状態になり生物など存在不可能になります。反対に斥力だけだと何もまとまらず、生物としも物体としても存在しなくなります。引力はエネルギー的には磁気的、斥力は電気的に機能しています。父は磁気的、母は電気的な機能しているという視点にたつと両親があって子供が生まれている道理が理解できます。私たちは電磁気的には電磁場でもあるのです。
次に網を見て見ましょう。網は交差する何かの線の形です。縦と横の線の交差が織りなす形ですが今ここで関係しているのは磁気と電気のエネルギーですから電気的網です。現代生活には無くてはならない電磁気網と言えば通信網ですね。人間同士の通信網を地上のネットワークとして、人間ではなく神聖なる天の母のネットワークを形成しているものは純粋意識という至高の叡智のネットワークです。人間が天を仰いで憧れる絶対平等の無条件の愛を持つ母という真の養い親です。これをはるかに望みながら、何とまあ人間の親の執着と偏愛に満ちた理不尽なことかと比べて慨嘆することもあるでしょう。親に対する恨みや怒りを収めるには人間は完全ではないということをしっかり理解することだと思います。理解しているようでいてまだ怒りや恨みは残っているのですが、それを冷静に客観的に観察することで少しずつ気持ちが穏やかになって行けます。怒りは体を蝕みますので、相手ではなく自分が痛んでしまうので、理屈に合いません。願望あるいは希望の望みという字はまた、モチとも読みます。望月のモチです。モウとも読みます。ここでまた智慧の網が出てきました。智慧の網という意義がありますよという教えが二重に強化されているのです。
最後に二つの8という数字について見て見ましょう。8を横に倒すと無限を意味する数学記号になります。またアルファベット8番目の文字はHであり、読み音はエイチです。日本語では叡智と同じ音です。二つの叡智、二人の親、つまり父母という叡智の存在が母という字の読み音に秘されていたのです。
以上のように一つの文字を分けながらそこに閃いて入ってくる思いを検証して行くのが字分けの意義です。その作業の過程で様々な気づきが起きるのですが、気づきを促す知恵のエネルギーが作業中にどんどん入ってくるのです。
思考中に入る至高のエネルギーはとても精妙で、言い換えれば振動数の高いエネルギーです。このエネルギーに圧倒されると頭が痛くなったり、体の部分が痛んだりします。体の痛みは普段気がつかないでいた不具合を教えてくれている場合も多いので、健康管理に役立ちます。しかしこの痛みを不愉快というように感じて避けようとする人もいます。これが先ほどの拒否感の原因の一つなのではないかと私は解釈しています。私が初めて小田野先生のお話をうかがいにお宅におじゃまするようになった後の一年間くらいはもう眠くて眠くて目を開けているのに大苦労をしました。小さな座卓を隔てた向かい側にいらっしゃる先生のお体から発している気迫と申しますか気魂と申しますか、そのエネルギーに圧倒されて座っているのも容易ではなく倒れそうになるのを背後の壁によりかかるようにしてようやく座っていました。しかしだんだんに鍛えられて行ったたようで眠くなくなると共に体も楽になってきました。これも毎週何時間も先生にしごかれた(?)積み重ねと思います。
見たくない、聞きたくない、知りたくないという、心の進化を妨げているものに気がつくと学ぼうとする姿勢もおのずと変化すると思います。
最後までお読み下さりがとうございます。
2016.9.7