五十音表の六行目にあるパピプペポの音

私は酉年生まれです。今年で干支を六巡しました。六回廻った人生にちなんで六という数の性質の一部を考えて見ました。

まず五十音の六列目はハ行になります。ハ行に入っている音は十五もあります。他の列はカキク、ガギグのように清音と濁音合わせても十音しかありません。六番目のハ行だけが清音ハヒフヘホ、濁音バビブベボに加え半濁音のパピプペポがあるのです。この特異性に着目した小田野早秧は半濁音について、濁音を清音に戻す能力を有している特別な音として、意味から取って「反濁音」と名付けました。

何故半濁音ではなく反濁音なのか
神社に行くと柏手ということをします。「パンパン」と音を立てて邪気払いをします。そう昔から言われてきたので皆さま習慣的にそうしていらっしゃるようです。手が湿っていると良い音はでません。乾いた手で打つと出る乾いた音なのです。 反濁音の発音は唇をいったん合わせてから素早くはじくようにします。日本語の他の音は濁音でもそれほど強く短く唇をはじきません。邪気を払うと言われている柏手のような良い反濁音を口から出すためにはお腹の筋肉を使って勢いよく音を出さなければなりません。ちょっと努力が要ります。呼吸が浅いと難しい作業になります。 つまり、邪気を払うのにはおへその下からの力がより効果があると考えられます。邪気とは何かを差別的批判的表現を使わずに説明しますと、「停滞しているよどんだエネルギー」です。血液やリンパ液の流れに停滞があればいわゆる血液ドロドロ、筋肉コリコリ、内蔵ヘトヘトという状態になります。体でなく、停滞したエネルギーが充満している場所は「穢れ地」と呼ばれ、お祓いということがされてきました。このお祓いには祝詞(のりと)を大きな声で唱えながら、パッパッと何かで空気を払うことをします。祝詞は清音で成り立っています。濁音は文字通り濁りなので、その濁りを払うために清音を使うわけです。清音は清い音ですが、その清音より更に短く強く出す五つの音が反濁音というわけです。音が邪気を払う力を持っていなかったらお祓いも柏手も何千年もの間使われてはこなかったでしょう。

今世界の多くの場所は不毛の穢れ地になっています。空気を清浄にしてくれていた森がどんどん減り、水は汚染され、海の大きな部分は上に停滞しているゴミの下で死んで行っています。都会は不毛の地です。ここへ人々がどんどん集まってきています。人口密集地ではエゴとエゴの摩擦が起き。競争がし烈化し互いに傷つけあっています。親子の間でさえそうなってきています。この事実を無視することはもうできないほどの状況になっていると言えましょう。これを清い状態に還元する力は実は私たちそれぞれが潜在的に持っている能力なのです。それぞれが何をすべきか、その道しるべともいえる利器があります。それは天の父母が小田野早秧を通して人類に降ろしてくださった、音の意味と力を教示している云音表なのです。今日はその表のほんの一部である半濁音の力について少しお話をしました。
2017.11
ナニヌネノのヌ

濁りはOKだった

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