4番目の問題

前回の記事で提示した16の問題の一つを考えて見ましょう。4番目の問題です。

医学の進歩と歩調を合わせて患者が増加し、病院と医薬が氾濫するのはなぜか?また、寿命が延びたという一方、内部よりの崩壊が加速しているのはなぜか?

まず医学が「進歩しているにも関わらず」と言わずに「歩調を合わせて」と言っていることに注目してください。これはどういう意味でしょうか?
文字通りに解釈すれば、進歩と歩調を合わせるとは一方が他方の原因を作っているという意味です。ここまで言い切らないとしたら、進歩が必ずしも病を治癒させることがない上に進歩の途上で予測していなかった他の要因が加わり、かえって患者が増える結果をもたらしている、いうふうにも取れませんか?

では、まず医学とは何をするものかから明確にしましょう。

医学とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である。
ウィキペディアより

診断と治療は分かります。疫病に罹ったら医師を訪ね、検査を受けて診断してもらい、治療を受けます。現代の医学の主流である西洋医学の場合ですと、各種の手術、処置、投薬を受けます。病院や診療所ではこれが主な活動内容です。また、予防する方法としては、健康増進や維持に役立つような食事、運動の勧め、休息や睡眠を必要なだけとることを勧められるでしょう。普通はこれで終わりです。そしてこれが功を奏しているとは言えない現実を皆様もよくご存じと思います。多くの疾病は完全に治癒することはありません。症状が和らぐが、病は治らないままに寿命が尽きて亡くなることが大半のケースです。また、一つの疾病から解放されても他の疾病が出てくる。薬は、しばらくは効いていてもそのうち効かなくなる、長く使用すると副作用やそれ以前の処置の影響による余病併発、副作用による種々の不具合が表面化するというケースもあります。つまり医学療法とは根本的解決法とは言えないということです。

体は生きている細胞の集合体です。各細胞はそれぞれ異なる役割を分担して決して他の細胞の仕事を妨げたり、横から口を出して指図して全体の調和を乱したりはしません。他の集団が機能障害を起こした場合のみ助っ人となって仕事の分担を軽減してあげるということはありますが、通常は己の分をわきまえてコツコツと仕事をしています。

この生命の営みを妨げる、横から口を出す、一つの集団ばかりに都合の良い処遇をして、他にとっては迷惑なことをする、というような全体のバランスが崩れるようなことをするのが人間の行う治療です。何故なら人間は人体を作れるほどの知恵をまだ持っていないからです。どの細胞が何の役割を果たしているかを100%は知らない(一体何%くらい分かっているのでしょうね)のに様々な薬を投与したり、生体の部分を切り取ったり、他の生体から取ってきたものを移植したり、注入したりしているのです。効を奏する場合もありますが、奏さない場合は「できる限りの手はつくしましたが残念ながらご臨終です」となります。

日常生活に支障をきたさない病に罹った場合は治す効果のある措置として様々な方法がありますが、軽度の疾患で生活のスタイルを変える人がどれくらいいるでしょうか。あまりいないと思います。歳をとってゆくのですからだんだんに悪くなる方に向かって行きます。その結果重篤な病に罹ったらどうするか。びっくりしてやっと本腰を入れて良くなる処理をし始めます。でも多くの場合はもう手遅れです。

早い内に手当できたのにそれをしないで手遅れになってしまった原因は根本にあるその人の心の持ち方に関わっているのです。一個の細胞といえどもおろそかにはしない、何故なら自分のものではないのだから。お作りになったのは大自然の叡智という、別名を創造の源という存在です。したがって大切に思う、尊敬して接する気持ちが必要なのです。

もう一つ忘れてならないのは、人間は孤立した存在ではないということです。地球という環境に依存して、地球と一蓮托生の存在なのです。地球の大気を吸って、大地が育てた食物を食べ、水を飲み、太陽の光を浴びて生きています。この環境がどんどん汚染されているのに100%の健康体など期待できるはずがないのです。医薬品を作る過程でどのくらいの水が汚れ、空気が汚れ、実験台の動物が虐待されるかを知っていますか。

自分独りが完璧に健康にはなれません。何故なら全ての人の行動の原動力なっている潜在意識が許さないからです。潜在意識を100%コントロールできる人はいません。何故なら潜在意識を見ることもそれと対話することできないからです。
薬や各種の延命処置や、文明の利器である機械の導入による過重な労働からの解放や、住環境の快適化などで寿命は延びても、潜在意識の影響から逃れることは出来ません。人間本位で他の生物も含めて地球環境を汚染し、傷つけているのに自分だけが幸せになることなどできないと思ってしまっているからです。そしてそう思っていることにさえ気づいていないので、改善しようもないのです。

霊鷲太母は端的にこう言っています

喜びとは、孤立の一滴にはなく、
通い合うところに始めて生ずるなり
されば、万物と通う心を
極楽と知るべし

著書『仏眼』より

気持ちの処理法の一つとして私は、病は避けられないと受け入れる(ある意味で自業自得だから)。そして病からの解放とは病を気に病む感情からの解放というものであると思っています。病によって不幸になるわけではないのです。不幸だと病みがちということは言えると思いますが。
2017.2.13

https://37kotoha.net/10/覚者と凡人はどこが違う/

太母についてはこちらもどうぞ。

http://www.iii.ne.jp/kikuchi/tamo-backno.htm

病が治る人、治らない人

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です