長らくお待たせしました。『小田野早秧の光透波理論 改訂版』が発刊されました。
この書は何百万年か前に人類が地球に誕生して以来、様々な成長の過程を経て、ついに、21世紀というこの時に、丁度熟れた果実が樹から離れるように、人間とは何であるのかを自覚し、誠の成人として自立し、自由を獲得する用意が出来た時に初めて紐解くべく天意によって用意されたものです。それ以前には信じがたいような前代未聞の真理の数々が書き連ねられた珠玉の名編であると思います。そこで、巻頭には、こう書きました。
万物を創造し、全生命を生かし続けている至高の叡智力の正体が、
ここに細大漏らさず明らかにされている人類の至宝の書
「人は考える葦である」と言った思想家がいましたが、人以外の生物は考えるということはしません。そこで、考えるということを少ししてみましょう。
先ず「真空」について考えるとします。人それぞれがそれなりの意味考えて文章にしてみますと、多くの場合、何やら掴みどころのない熟語だと思われるのではないでしょうか。
例えば「真空とは何も無いところ」、とします。無いとは何か?何かが有るのなら簡単ですが、無いということを想像するのは難しいと思います。次に「知性」とは何かと考えて見ましょう。最後に「生命」とは何かを考えて見ましょう。
これらの実質、実態を極めようとすると、如何に情報不足かということが分かると思います。一体自分には何が分かっているのだろう。どうもよく分かっていないようだということを発見できるかと思います。「考える」ということをすると、自分が如何に何も知らないかが分かるのです。以下のように整理して考えて行くと明確な認識が構築されて行くと思います。収録されている4冊の本の一冊目『生命の原理』から、
現代では吾々の肉眼視野は、顕微鏡、望遠鏡の視力に電子力をも併用して、自然の現象する森羅万象を細大漏らさず検討し尽くそうとしてはいるが、未だ最後に余りにも根本的な大きな見落としが眼前にあるという問題を残している。吾々が知り又知りつつある様々な現象実在を、現に抱容している基盤であるところの、宇宙大空間の「真空=何もない最後のもの即ち無」の実質と、吾々人間自体がこの宇宙の様々な現象実在を知り、又知ろうとする力「知性」そのものの実質と、この知性を以て今現在に生きつつある吾々の「生命」の実質、この三つの実質の理解だけが現実の吾々の知生活に未だに全くの空白を残しているということにある。誰であれ「もの」の本質を正しく知り、完(まった)き理解を遂げれば、その「もの」をよく活用できることは必然である。正しく活用できないのは、その「もの」を知らないという実証である。
二冊目の『考える力』からもう一節ご紹介します。
そこで私がくりかえし確信するのは、知性は意識(詞基)内を回転する詞の組み合せで人間自己の内部に成立し、この抽象の資料を提供しつつある虚空は「光透波」の回転によって、空間の基本実質として、不断に「透明」の姿で現成充実しているということである。
つまり透明質である「虚空」というものは、物質現象を差し引いた空間性の基本質であり、この虚空状態に気体原子を充満させている空間中で、吾々は呼吸を続けているのである。だから吾々が呼吸を続けている空間から、気体原子を取り去って、そこに不断に働く地球引力や太陽斥力を差し引けば虚空の生地が残存する。しかもこの虚空の生地は、太陽斥力、地球引力、気体原子に浸透して、同時にこれ等を無条件に抱容し且つ保持し且つ進化させている。
一方人間が仮死状態に陥り、気体原子の呼吸を一時停止しても、甦って来た人の記憶を調べれば、呼吸とは無関係にその人は、夢中と似た意識活動を続けていた場合が多い。
肉体は亡びても『詞を元素とした意識』は不滅だということなのです。この名著に初めて出会ってから二十数年が経ちます。読むほどに深まる理解が意識をより明晰に、透明にして行く過程を実体験することができる本であると私は実感しています。
菊池静流
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