2018年のご挨拶

2018 年明けましておめでとうございます
戊戌 元旦

このブログも三年目に入りました。相変わらずの筆不精ですが、本年も諦めず時々はお訪ねくださいませ。よろしくお願いいたします。
2018年は干支では戌(いぬ)の年だそうで、音にちなんで動物の犬が関係してきますので、日本のように犬好きの多い社会ではかわいい動画や画像が氾濫しそうですね。見るだけで癒されるような姿をしていますよね。
ほとんどの人にとって人生で一番大事なものは家族と友達だと思いますが、犬はその両方ではないでしょうか。心さびしい時に寄り添ってくれる温もりの存在がどれだけ大勢の人たちを救ってくれているか、有難い存在だと思います。でも人間同士はもう少し寄り添い合って欲しいとも思います。ペットとの仲とは異なり、人間同士はいがみ合っている場合が多いようです。親子や夫婦や職場での人間関係がうまく行かない悩みを抱えて、病み、苦しんでいる人々をどこでも見かけていらっしゃることでしょう。人間とペットとの関係の大きな違いは信頼感の有無ではないかと思います。犬にかぎらず動物は嘘をつきません、裏切ったり、意図的に傷つけたりもしません。
私が心理学を学んでいた時に、ある教授が初めての授業の冒頭に驚くようなことを言いました。ずいぶん昔のことなので細かいことは覚えていませんが、概ね次のようなことを言われました。
あなた方の多くはこれから心理学というものを学んで、その知識を使って他の人々の悩みや苦しみを軽くする職業に就こうとしていると思います。どれだけ優秀な心理学者になるかで結果的に助かる人たちの数が違ってきます。そこで優秀なカウンセラーになる為に最初に心得ておいてもらいたいことがあります。
人間は嘘つきです。他のあらゆる生物とは違って嘘をつく動物なのです。私は嘘をつかない人を見たことがありません。親も友達も、もちろん自分も嘘つきです。嘘にもいろいろありますが、良い悪いは別として嘘は嘘です。しかし良し悪しで裁くことは他の職業の人たちがします。裁判官や検事です。あなた方はカウンセラーになる道を歩んで行くので裁く仕事はしません。何をするかと言うと、嘘をつく理由を探ることなのです。叱られたくないから、嫌われたくないから、儲かるから、得だから、騙されて悔しがるのを見るのが面白いから等々です。そしてこれを理解することが対処する方法を見つける糸口になるのです。人間性というものに対する洞察力を身に着けるのが心理学を学ぶ目的なのです。理解して、寄り添い、味方としての信頼を勝ち得てからがセラピーの始まりです。時には信頼関係を築けない相手に会うことがあります。気質的に合わない人というものがあります。その場合は他のカウンセラーないし、助けになる機関を紹介してください。無駄な努力をしても双方の為になりません。3つのR、rapport(信頼と絆の構築)、 referral(適切な助けの紹介)、 result(結果を出す)が良いカウンセラーになる必要条件です。結果が出ないのにクライアントを抱えこんで離さない人がいますが、それはしないでください。この業界全体の評判を落とすことになります。今ライセンス規制が緩んで、あまり質の良くないカウンセラーが増えています。お金もうけをしたいのなら他の道があります。ずっと効率よくもうけられます。でも人を助けたいなら結果を出してください。
以上の話は一人ではなく他の教師の話も加えてまとめたものですがこの後の一生を通じて人間性を理解するにあたって非常に役に立ちました。
良い人間関係を築くことを諦めてペットに頼る気持ちは分かります。でも人間はどうせ嘘つきなのですから、裁くかわりに理解して、絆を築くことを先決にして、いろいろと工夫を凝らして(腕の見せどころですね)。ゲームなら夢中になれるのに肝心の人間関係を良くする挑戦にはなかなか取り組めないのはどうしてでしょうかね。でももし取り組めたら、そしてその結果を見てみたらどうでしょう。収穫は大きいと思います。

次のお話
春の小川のように

絶体絶命の崖っぷち

現世を何故ウツシヨと読むのか

 

酉年にちなんで

今年は酉年です。光透波理論的に解釈をしますと、音はトリ、「云音表」に当てますと、「透理」、あるいは「答裏」と取れます。
透理とは絶対透明という超光速の光のエネルギーという至高の叡智による矛盾のない理という意味に取りました。人間の理屈は矛盾や不平等を生じます。それは政治や経済や法律を見てもすぐに分かることだと思います。これに対し透理は誤りなく維持運行されている全宇宙の森羅万象の裏で働いている法則です。
それは表には表れていない、つまり裏面で働いている方の答、「答裏」で、うっかりしていると見逃してしまう法則です。何故なら見逃しても殺されたり投獄されたりバカにされたりしないからです。平等にいただいている命なのですから矛盾も偏りもないわけです。
2016年は何とも波乱の多い年でした。地震、洪水、干ばつなどの災害や経済破綻、益々エスカレートする貧富の格差から生じてくる不満から引き起こされる暴動や暴力的犯罪、テロ行為なども多発しました。さて、今年はどうなりますやら。

酉年にちなんで

鳥:羽があって空中を飛行できる存在。飛行能力のある生物としては他に昆虫がある。
地面にへばりついて這うか歩くか走るかしなければ移動できない生物に比べてはるかに自由に移動ができるうらやましい存在。方向性としては二次元的移動しかできないものに対し三次元的に移動できるだけでなく、上方から下方の状況を俯瞰できるという視力で非常に広い範囲を見渡すことができる。これで言葉をつかって思考できるのなら視野が広いので思考もさぞかし自由自在になれるのではないかと思われる。しかし言葉を使って思考できる能力をいただいている人間の方は長い間飛行ができなかった。
人間がどれだけ長い間飛行ができない状態で地球上で生きて来たのかについては諸説あって定かではないが、少なくとも数十万年は地面に縛られて生きて来たと思われる。その間どれほど大勢の人々が空の鳥をみて羨ましいと思っただろうか。有史以後をとっても見ても二十世紀という近代になるまでは圧倒的大多数の人間は封建制という社会組織の中で長い間奴隷としてあるいは召使や農奴として自由を奪われてどこかへ逃げることもできずに生きていた。人間の思考は縛られた近視眼的な視野で制限を受けてきた。近代になって飛行機が出来たとはいっても、いつでも好きな時に飛べるわけでもなければ好きな場所に行けるわけでもなく、しかも費用もかかる。一部の人にだけ与えられた自由といえる。
しかしこれは肉体的拘束であって意識はいつだって自由に羽ばたけたはず。だが残念ながら多くの場合、人間の意識は肉体に閉じ込められたままで、自由な思考などあまりできずに来たと思う。誰か偉い人、賢い人、力のある人の言うことが自分の思考に勝っていると思い込んで、それらの人たちの言葉を鵜呑みにしてきたことは歴史が物語っている。
命の危険があるのにも関わらず戦争に行かされ、妻子が飢えているのにも関わらず年貢を納め、ボロを身にまとって、あるいはネクタイで首を絞められ、一日の大半を楽しくもない労働に費やして、疲れてボロボロになってやっと死ぬことで自由になる。しかし本当に自由になれるのだろうか。もしあの世があるならそこでは自由に思考できるようになるのだろうか。肉体は無くなっても意識はそのままか少ししか変わらないのではないだろうか。私にもそう思える。全く自己意識が「無」となって「自我の死」を苦にしない状態になってしまった人以外は死んでも残念が残って地縛霊や怨霊となってどこか少し異なる存在の次元をさまよっているのではないだろうか。
ここで大切な考え方は、肉体に羽はなくとも意識はいつでもどこへでも自由に羽ばたいて行くことができるということです。「自由になりたいのならいつでもなれるのだ」。そのためには心が肉体という牢獄から解放されなければならない。肉体について回る様々な拘りや恐怖(死や病への恐怖、飢える恐怖など)が牢獄です。鳥は「透理」ではないことを明確に認識し飛ぶのに羽は要らないことを知り、目には見えない、耳には聞こえない「答裏」を学び、人間の言うことを決して鵜呑みにしない、それが自由になることだと知って欲しい。

今年は透理(鳥)になって羽ばたきましょう。目的は「羽化登仙」です。毛虫が羽化して蝶になり、空を飛行できるようになるという奇跡のような不思議な例を私たちに見せてくださっている大自然の叡智から学んで、今こそ変容しましょう。私たちはもう十分すぎるほど地を這いまわる地虫の時代を生きてきました。その間の学びも貴重ですが、もうその上の次元に上がってもいいのではないでしょうか。何故ならもう行き止まりに来てしまっているからです。行き止まりは飛び越えるしかないのです。
2017.1.1

白頭鷲の飛翔

ご挨拶2017年版

今年は酉年です。光透波理論的に解釈をしますと、音はトリ、「云音表」に当てますと、「透理」、あるいは「答裏」と取れます。
透理とは絶対透明という超光速の光のエネルギーという至高の叡智による矛盾のない理という意味に取りました。人間の理屈は矛盾や不平等を生じます。それは政治や経済や法律を見てもすぐに分かることだと思います。これに対し透理は誤りなく維持運行されている全宇宙の森羅万象の裏で働いている法則です。
それは表には表れていない、つまり裏面で働いている方の答、「答裏」で、うっかりしていると見逃してしまう法則です。何故なら見逃しても殺されたり投獄されたりバカにされたりしないからです。平等にいただいている命なのですから矛盾も偏りもないわけです。
2016年は何とも波乱の多い年でした。地震、洪水、干ばつなどの災害や経済破綻、益々エスカレートする貧富の格差から生じてくる不満から引き起こされる暴動や暴力的犯罪、テロ行為なども多発しました。さて、今年はどうなりますやら。

酉年にちなんで

鳥:羽があって空中を飛行できる存在。飛行能力のある生物としては他に昆虫がある。
地面にへばりついて這うか歩くか走るかしなければ移動できない生物に比べてはるかに自由に移動ができるうらやましい存在。方向性としては二次元的移動しかできないものに対し三次元的に移動できるだけでなく、上方から下方の状況を俯瞰できるという視力で非常に広い範囲を見渡すことができる。これで言葉をつかって思考できるのなら視野が広いので思考もさぞかし自由自在になれるのではないかと思われる。しかし言葉を使って思考できる能力をいただいている人間の方は長い間飛行ができなかった。
人間がどれだけ長い間飛行ができない状態で地球上で生きて来たのかについては諸説あって定かではないが、少なくとも数十万年は地面に縛られて生きて来たと思われる。その間どれほど大勢の人々が空の鳥をみて羨ましいと思っただろうか。有史以後をとっても見ても二十世紀という近代になるまでは圧倒的大多数の人間は封建制という社会組織の中で長い間奴隷としてあるいは召使や農奴として自由を奪われてどこかへ逃げることもできずに生きていた。人間の思考は縛られた近視眼的な視野で制限を受けてきた。近代になって飛行機が出来たとはいっても、いつでも好きな時に飛べるわけでもなければ好きな場所に行けるわけでもなく、しかも費用もかかる。一部の人にだけ与えられた自由といえる。
しかしこれは肉体的拘束であって意識はいつだって自由に羽ばたけたはず。だが残念ながら多くの場合、人間の意識は肉体に閉じ込められたままで、自由な思考などあまりできずに来たと思う。誰か偉い人、賢い人、力のある人の言うことが自分の思考に勝っていると思い込んで、それらの人たちの言葉を鵜呑みにしてきたことは歴史が物語っている。
命の危険があるのにも関わらず戦争に行かされ、妻子が飢えているのにも関わらず年貢を納め、ボロを身にまとって、あるいはネクタイで首を絞められ、一日の大半を楽しくもない労働に費やして、疲れてボロボロになってやっと死ぬことで自由になる。しかし本当に自由になれるのだろうか。もしあの世があるならそこでは自由に思考できるようになるのだろうか。肉体は無くなっても意識はそのままか少ししか変わらないのではないだろうか。私にもそう思える。全く自己意識が「無」となって「自我の死」を苦にしない状態になってしまった人以外は死んでも残念が残って地縛霊や怨霊となってどこか少し異なる存在の次元をさまよっているのではないだろうか。
ここで大切な考え方は、肉体に羽はなくとも意識はいつでもどこへでも自由に羽ばたいて行くことができるということです。「自由になりたいのならいつでもなれるのだ」。そのためには心が肉体という牢獄から解放されなければならない。肉体について回る様々な拘りや恐怖(死や病への恐怖、飢える恐怖など)が牢獄です。鳥は「透理」ではないことを明確に認識し飛ぶのに羽は要らないことを知り、目には見えない、耳には聞こえない「答裏」を学び、人間の言うことを決して鵜呑みにしない、それが自由になることだと知って欲しい。

今年は透理(鳥)になって羽ばたきましょう。目的は「羽化登仙」です。毛虫が羽化して蝶になり、空を飛行できるようになるという奇跡のような不思議な例を私たちに見せてくださっている大自然の叡智から学んで、今こそ変容しましょう。私たちはもう十分すぎるほど地を這いまわる地虫の時代を生きてきました。その間の学びも貴重ですが、もうその上の次元に上がってもいいのではないでしょうか。何故ならもう行き止まりに来てしまっているからです。行き止まりは飛び越えるしかないのです。
2017.1.1

白頭鷲の飛翔

 

 

ご挨拶2016年版

Face1今日は。菊池静流と申します。これから最近思ったことや発見したこと、人生の先輩から教えていただいたことなどをこのお教室でお話ししてまいりますのでどうぞよろしくお願いします。

以前も「静流の部屋」というホームページを作って書き込みをしておりましたが、この何年かはさぼっておりました。実を言うと、考えるのが面倒くさい、新しい技能の習得や最近発表された新分野の論文や著書を読むのが苦痛でコンテンツを充実させる材料不足などなどの理由からです。またこういう発表の場を作って何かを書いて行こうと決心したきっかけは加齢による記憶力の低下がひどくなったことを自覚したからです。

先週のことですが、朝起きた時に何故か昨日の夕食は一体何を食べたのかなと思ったのです。そして何も覚えていないことを発見。大ショックでした。一生懸命思い出そうと食卓のシーンを思い浮かべ、食卓の上に何が乗っていたかを、頭の中の写真集をごそごそかき回して見つけて行き、一つ一つ糸をたぐるように思いだして行き、最後にフルメニューが乗っかるまで頑張りました。「これはもう認知症が始まっているのに違いない」と背中に冷水を浴びたような感じでぞっとしました。それから猛然と、自分で始めるウエブサイト入門講座のようなチュートリアルを見ながらこのサイトを立ち上げた次第です。かっこいいウエブサイトが作れるようになるには時間がかかると思いますが、とりあえずできる範囲でやって行こうと思います。
2016.1.10 記

https://www.iii.ne.jp/kikuchi/ こちらものぞいて見てください