光透波を学ばれてもう30年以上になる先輩の八田光典さんからの投稿です。PDF文書です。
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小田野先生の字分けシーン
田の字分け
田と言う字をフラワーオブライフと呼ばれる神聖幾何学的に見てみました。
まず字を分けてみます。赤と青の線は重なっている部分です。
その形を一つずつ見ると、漢字の円が二つあることが分かるでしょうか。
次に円を二つ中心で重なるように描きます。文字の円はちょうど半分の位置で重なっていましたから。円もそうすると図のようになります。
この形は神聖幾何学的にははとても重要な形です。ベサイカパイシスあるいはベシカピシスと呼ばれています。訳すと「聖なる魚」となります。宇宙の母胎、子宮を意味するそうです。他にもキリストのシンボルともされています。ともかくこの原初の形からあらゆるものが生み出されてきたと言われているのです。
田という字は光透波理論においては万物の生み出されて来る処とされています。土の上にある田からはお米が出てきますね。天の田からは米だけでなくすべてのものが生まれてくる処と解されています。図らずも(私たちが図れるものではありません)洋の東西で創造の源が形の上ではある一致点を見たことになります。正方形の中に十文字が入った形を分解すると円という字が二つ真ん中で重なっていることが偶然とは思えません。
ではここで、この二つの円が三つ、四つと増えてできた形が花のようにになっているので生命の花とい名前がつけられている状態がビデオになっているので見てみましょう。
最後に二次元画像から立体へと立ち上がったら立体の田という形が出てきたのが面白いですね。
次の字分けは「雷」です。
2016.1.27
困った時の文字頼み
光透波のお勉強を始めて今年でちょうど20年になります。その間人並みに多くの問題に直面させられました。時には「字分け」なんかで助かるものか、と疑ったこともありました。何日も何週間もまともに字分けをしないでいたことも何回もありました。しかし不思議なことにやはり最後は「字に聞く」という手段に戻って行くのです。私にとっては最後の頼みの綱なのです。
行き詰った状態の時、机に向かって、あるいは手帳を開いて鉛筆で問題となっている事柄、あるいは気になる言葉を文字に書き始める。電車の中などでは頭の中でノートを広げ、そこに想像の鉛筆で書きます。すると次々に「思い」という波が押し寄せてきます。それを見つめ、噛みしめ、味わい、整理して行くという作業をしていると問題の核心が見えてきて解決法も出てきます。
解決法は一気にできるものと、時間がかかるものと様々ですが、いつかは必ず解決しました。他者が絡んでいる問題でもその他者を離れたところ(その人を変えたりしないという意味)で解決できるのだということを経験しました。問いに対する答の典型的な出方は朝起きる前に夢または文字のイメージ、または声で入ってきます。声は小田野先生だけではなく、好きな聖者、家族、友人などもあります。20年の経験で分かった非常に簡単なルールをお教えします。
問えば答がいただけるのです。問わなければいただけません。
以下は小田野先生の言葉です。
字の前に、自分の意(心音)を澄ませる者が、
やがて永劫の英知に同化して
無限に生きる可能性が開かれます
難しい言い方ですが、分かりやすく言いますと、永劫の英知という至高の速度の光のエネルギー(光透波)の振動数に少しでも近づいて行きたいと、心の奥底から願い、求め、謙虚になって字に向かうことです、謙虚になるということは、頭に充満している思い込みや知識をいったん手放すという意味です。よく言われる喩えですが、「いっぱいのコップにはもう水は入らない」です。
2016.1.27 記
字分けについて
字分けをする際にはまず字についている音(ふつうは音読みと訓読みとの二種類の読み方があります)。この字についている音を光透波理論では「字が音を云(はこ)んでいる」と受け止めています。何故なら字を見ると私たちはすぐに頭の中で読むからです。
例をあげますと、「神」という字を見ると、「カミ」または「シン」という音を頭の中で発音します。カ、ミ、シ、ンという4音が運ばれて来たとも言えます。
云ばれている音にはまたそれぞれ文字を当てる(当てる文字は表になっていて「云音表(はこぶね表と呼ばれています)」から引いてきて、当ててはその文字一覧を様々な角度からその人のインスピレーションのおもむくままに検証します。
字はまた形でもあるので形もインスピレーションのおもむくままに検証します。それが次の字分けのような展開となります。初めはなかなか自由自在な展開は出来ないのですが。どんどんやって行くうちに慣れて、そして出てきた結果にはビックリするものが多数あって、はまってくると面白いものです。
実際に字を分けてみてみましょう。
神という字を分けると、カタカナの「ネ」という字と「申」という字になります。「ネ」はまた示す偏という漢字の部首名でもあり、したがって示すという意味もあるので下に書いておきました。
音はネと読みますので横に書き加えます。示すという意味もあるので言いかえれば音が示すともなります。次に申すのはコトバです。口から出てくるコトバは音です。音であるコトバが神なのだと教えてくれているのです。コトバを話すにはその材料となる思いも必要なので当然「思が云ぶ」というのは納得できます。「ええ!神ってコトバなの?」と、ここで驚く人もあるでしょう。でもそこでハタと気がつくことがあります。新約聖書のヨハネの福音書に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった、言は神であった」と書いてあります。この続きを知っていますか?書いておきますね。「この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。。。」
一応これで少し納得。他にもそういう類の神話や神秘学があるかなといろいろ調べるのも面白いです。視野がグ~んと拡がる感じがします。どんどん調べて行くと雑学が増えて、それを整理する必要が生じ、ついでに頭の中の引き出しの整理術も磨かれます。そうすると何故か家の中の整理整頓も上手になります。同じ原理による技能なのでしょうね。思いが整理されると話すことが要領を得てきて相手に分かりやすい会話がうまくなって行きます。コミュニケショーンがうまくなると人間関係はどんどんスムーズになって行くようです。そうなったらステキですね。話をするにしても中身になる話題が増えると面白くなります。一石二鳥ですね。
さて、次に難しいのは「母宇数」です。母がなぜ数なのでしょう? 「宇宙は数が基盤で出来ていてそれは母の性能である」と光透波理論は言っているのですが、これについてはいつか他の機会にもっと詳しくお話しします。今はただ、母は電性、父は磁性と関係した機能を持っているとだけ言っておきます。磁性とは中心に向かって集まって行く性質、電性とは中心から外に向かって広がって行く性質を意味します。引力斥力のバランスによってあらゆる存在が現象しているのです。母性原理、男性原理なんて言う文字を見かけると興味をそそられるようになります。そういうことを研究している人たちが書いた文章を読む気持ちが出てくるというのが大事です。理工系でない方は電気と磁気について調べてみるとビックリですよ。私は理工系ではないので今までちっとも知らないで生きてきたけれど、損していたかもとチョッピリ残念に思いました。知らないことを知る度に視野は拡がって行きますから。でも少し電気や機械のことが分かったら冷蔵庫の製氷機が故障したときにインターネットで直し方を調べて何とか直せた時は嬉しかったです。胸がワクワクしました。
話がだいぶ脇道にそれましたが、以上、字分けの効能のお話でした。