何故文字が感動を呼び起こせるのだろう

前回はざっと母について二つの字分けをしました。その時に母という字の読み音に付けた文字群については説明しませんでした。ある字を分ける際には先に文字の分解作業をすることから始めることが多いのですが、ここまでは「云音表(はこぶねひょう)」が無くともできます。

最近実際に字を分解しながら講義をなさっている方にお会いしました。直感的に文字をみて、「これだ!」と閃いた感覚を元に、病や人の意識のあり方などを説明すると講演会に参加している人たちが「うわ~」と沸きました。何故そんなに感動するのか?
これを不思議とも思わず、ただびっくりし、感動している人々を目の当たりにみました。

字を分けただけで何故感動するのか?
これは何かあるぞ。そう思いませんか?
光透波理論を学ぶ際には不可欠の字分けというものですが、どうしてこれが心を動かすのか。まずそれを考えて見ましょう。

遠い過去からずっとずっと人間は言葉のおかげで互いに様々な思いを相手に対して表現してきました。言葉がなかったら複雑な心境を相手に伝え、共感を得るのは非常に難しいことです。あふれる思いを愛する人に伝えたいのに適切な言葉が見つからなかったらどんなにもどかしい思いをするでしょう。見つかったら大喜びで使うでしょう。そして伝えながら、これを消えない形で取っておきたいと思った人もいたでしょう。それが言葉を文にした手紙でした。日本人は愛する人に深い思いを伝えるのに韻律を持った美しい言葉を綴りました。31あるいは17という限られた数の音節を使いみごとに心にあふれる思いを表現した芸術があります。ご存知、和歌や俳句ですね。何千年も後の私たちが読んで感動を新たにできるのは思いが文字になっていたからです。

これはひとつには字のパワーと言えます。字が、繊細で微妙な心の状態を運んでいるのです。こういう観点を持って字に向き合っている人はまだまだ大勢はいません。でもいったんこれに気がつくとその力、影響力に驚きます。

いや、字が感動を運んでいるのではなく、思いを表現する言葉が感動を呼ぶのであって、字は単にそれを記録する道具であるにすぎない

と反発される方も多いと思います。でもそれが違うのです。今日まで人間は思いを表現する言葉の力のみに焦点をあて、字の力には気づいていませんでした。
まずそれに気づいて、それから音が運ぶ(云ぶ)表を作るまでの大変な作業をすでにされた方がいらっしゃるので私たちはそれを使わせていただくことで、さらなる言葉の意味の深淵をのぞくことが出来るようになったのです。

ではもう一度母の字分けを見てみましょう。

母の字分け2

字の力を信じない人にとっては心情的にむらむらと反発心が起きる展開でしょう。頭が痛くなり、見たくない、意味もないこじつけだ。中にはこの母と言う字の読み音についている文字を見ただけで拒否感に襲われる人もあると思います(拒否感は何処から来るのかについては後でお話しします)。
「これは面白いぞ」とワクワクする人と、ここで読むのを止める人と二手に分かれます。
でもどうか止めないでください。

ハハに波と把を当てました。波はエネルギーを意味します。エネルギーが何かを把握すると形あるものと無いものとの両方の共通項が見つかり、ある気づきが起きると思います。「空即是色」の意味が少し理解できるようになるかもしれません。非常に重要な気づきですが、いくらお題目として唱えていても大自然の摂理に対する理解が怒涛のように押し寄せてくることはあまりないです。少しずつ少しずつ分かって行く過程というものがあって、ある時、節目、節目にまとまった理解が起きるのです。積み重ねの効果と言えます。
母というものをエネルギー的に把えるとマイナスのエネルギーだとお話ししました。ではマイナスの役目は何でしょうか。ひとつには引力に対し斥力を意味します。エネルギーがどんどん中心に向かって集中すると加圧状態になり加熱し重くなります。究極的にはブラックホールのように何も通さない状態になり生物など存在不可能になります。反対に斥力だけだと何もまとまらず、生物としも物体としても存在しなくなります。引力はエネルギー的には磁気的、斥力は電気的に機能しています。父は磁気的、母は電気的な機能しているという視点にたつと両親があって子供が生まれている道理が理解できます。私たちは電磁気的には電磁場でもあるのです。

次に網を見て見ましょう。網は交差する何かの線の形です。縦と横の線の交差が織りなす形ですが今ここで関係しているのは磁気と電気のエネルギーですから電気的網です。現代生活には無くてはならない電磁気網と言えば通信網ですね。人間同士の通信網を地上のネットワークとして、人間ではなく神聖なる天の母のネットワークを形成しているものは純粋意識という至高の叡智のネットワークです。人間が天を仰いで憧れる絶対平等の無条件の愛を持つ母という真の養い親です。これをはるかに望みながら、何とまあ人間の親の執着と偏愛に満ちた理不尽なことかと比べて慨嘆することもあるでしょう。親に対する恨みや怒りを収めるには人間は完全ではないということをしっかり理解することだと思います。理解しているようでいてまだ怒りや恨みは残っているのですが、それを冷静に客観的に観察することで少しずつ気持ちが穏やかになって行けます。怒りは体を蝕みますので、相手ではなく自分が痛んでしまうので、理屈に合いません。願望あるいは希望の望みという字はまた、モチとも読みます。望月のモチです。モウとも読みます。ここでまた智慧の網が出てきました。智慧の網という意義がありますよという教えが二重に強化されているのです。

最後に二つの8という数字について見て見ましょう。8を横に倒すと無限を意味する数学記号になります。またアルファベット8番目の文字はHであり、読み音はエイチです。日本語では叡智と同じ音です。二つの叡智、二人の親、つまり父母という叡智の存在が母という字の読み音に秘されていたのです。
以上のように一つの文字を分けながらそこに閃いて入ってくる思いを検証して行くのが字分けの意義です。その作業の過程で様々な気づきが起きるのですが、気づきを促す知恵のエネルギーが作業中にどんどん入ってくるのです。
思考中に入る至高のエネルギーはとても精妙で、言い換えれば振動数の高いエネルギーです。このエネルギーに圧倒されると頭が痛くなったり、体の部分が痛んだりします。体の痛みは普段気がつかないでいた不具合を教えてくれている場合も多いので、健康管理に役立ちます。しかしこの痛みを不愉快というように感じて避けようとする人もいます。これが先ほどの拒否感の原因の一つなのではないかと私は解釈しています。私が初めて小田野先生のお話をうかがいにお宅におじゃまするようになった後の一年間くらいはもう眠くて眠くて目を開けているのに大苦労をしました。小さな座卓を隔てた向かい側にいらっしゃる先生のお体から発している気迫と申しますか気魂と申しますか、そのエネルギーに圧倒されて座っているのも容易ではなく倒れそうになるのを背後の壁によりかかるようにしてようやく座っていました。しかしだんだんに鍛えられて行ったたようで眠くなくなると共に体も楽になってきました。これも毎週何時間も先生にしごかれた(?)積み重ねと思います。
見たくない、聞きたくない、知りたくないという、心の進化を妨げているものに気がつくと学ぼうとする姿勢もおのずと変化すると思います。

最後までお読み下さりがとうございます。
2016.9.7

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

母は意識の中心核

このところしばらく父について書いてきました。今回は母というものについて書こうと思います。光透波理論的展開での母の存在意義という視点です。いわゆる人間の母というイメージを大きく超えた母というものが一体どういうものであるかを知ると心の葛藤が消滅して行くという期待が持てるから大切な論点になると思います。
どんな人にとっても母と言う存在は良きにつけ悪しきにつけその人の意識の中心にあって生涯ついて離れないものです。人の意識は母と言う存在を核として回転していると言っても過言ではないでしょう。
この中心核が基本的に楽しく心和むようなエネルギーに満たされているか、反対に思い出すと辛く悲しく恨みに満ちているか、または悲喜こもごもであるかでその人の一生がどのようなものになるかが決定されていると言っても否定できる人はいないでしょう。「自分は幼いころに母に死なれてほとんど思い出がない」という人にとってさえ「母の不在」という悲しみあるいは母性的な存在への憧れなどの思いがつきまとっているのではないかと考えられます。意識が常にあるものによって影響を受け続けていて離れることができない状態をイメージしてみてください。まるで鎖につながれているようなイメージです。この鎖から解放されなければ自由にはなれないのです。その為に母というものそのものについて根本的に理解して見ると言う試みをして行きたいと思います。父性に対しての母性、その原理、つまり母性原理というものの理解です。

さて、光透波理論という視点で書いているのでまず字分けをしてみましょう。

母の字分け

かこみを表す「囗」という字と数学記号の「÷」の2つの部分から成り立っている文字と取れます。国や囲みという字の部分でもあり、境界線を持った閉じた形を意味しています。これに÷という字が加わると何故母という字になるのでしょう。
まず母とは何をする存在でしょうか。子供を産み、育児をし、生きて行くのに必要な技能を習得するべく教育をし、子供の成長に必要な食べ物を提供します。養うという仕事です。父は子供を受胎するには必要ですが、その後はたとえいなくなっても子供は育ちます。母は実母であれ、養母であれ、子供が自立できるまで成長するには必要不可欠です。動物の種類によって期間は異なりますがある期間傍にいて常に見守り養う仕事をします。見守らなければ他の生き物に食われてしまったり飢え死にしたりしてしまいます。
さて、この母が「割る」という仕事をするという点について考えて見ますと、人間の場合まず受精卵という一個の細胞が分裂をしてどんどん数が増え、大体60兆個にまで増えると人間としての姿になります。どれだけ割って行くとそんなに膨大な数になるのかと考えると気が遠くなります(注。分裂の回数は40数回で60兆になりますが、たとえば最後の30数兆をそれぞれ二つに割るという意味では膨大な作業量ですね)。
割って行く仕事をする母という字に「÷」という数学記号が含まれているのに対し、父には「×」(掛ける)という記号が使われています。「ハ」(波という意味を持つ音でエネルギーを意味する字)に掛ける(加えるという意味)ものはこの場合精子です。母が持っている卵子に精子が掛かると受精卵になるわけです。すごいですね。字にちゃんと示されているのですから。母の音読みと訓読みの音についている文字については後で分かってくるようにします。今回はインプットだけしておいてください。
そして子供を産むという仕事をした母はその後八面六臂の活躍をします。それも毎日です。毎日、毎時間、毎分休むことなく仕事をし続ける母という字に「ノ」(機能の能という意味の音)と「-」という数学記号が加わったのが「毎」という字です。毎度毎度休みなく為す(機能している)からマイナス(毎為)という字が入っているのがすごいですね。あきれたこじ付けだと思いますか?それが違うのです。字を分けて見れば見るほどこじ付けとは言えなくなります。でも疑ってみるのは当然のことで、深く疑ってみながら実験、検証をして行ってみてください。何事もただ鵜呑みにしないのが科学する心ですから。

毎の字分け
母についてもまた書いて行きます。
何故文字が感動を呼び起こせるのだろう

2016.9.2

フアイー父の愛

前回日本語には五十音という文字の表記法があって、これが宇宙の構造を解き明かすいわばカギのような機能を持っているとお話ししました。

では外国語に何かカギのようなものは無いのか、片手落ちではないか、不公平ではないかと思われるかもしれません。私は不思議に思いました。そこで小田野先生にお訊ねしたところ、外国語の多くはアルファベットという文字表記を使用しているが、そのアルファベットがカギとしての機能を持っているとのことでした。世界で最も多く使用されている現代英語のアルファベットについては他の機会にもう少し詳しくお話しするとして、ここでは外国語の中でも非常に古い文字であるギリシャ文字について少しお話しします。

図は一覧です。全部で24文字です。
ギリシャ文字一覧お気づきのようにギリシャ文字は数学記号やIT用語によく使用されています。

この中にファイ(Φ、φ)と言う文字があります。21番目の文字です。今日はこの字を検証してみましょう。記号として使われている場合の意義は次のようなものです。

  • 大文字のΦは電磁気学で磁束をあらわす
  • 小文字のϕはいろいろな分野で使われているがそのうちの主なものは、幾何学においてθ(テータ・シータ)に次いで角度をあらわす
  • 黄金比をあらわす記号としても使われる
  • 量子力学ではψ(プサイ・プシー)と共に波動関数としても使われる

まず磁束を表すというところに注目して見ました。宇宙にあるあらゆる物体は電磁気的存在です。大は恒星から小は原子に至るまで電気的にプラス(+)とマイナス(-)とで成り立っている「場」、電磁場です。私たちの体も電磁場です。さて、磁束は+の電気です。エネルギーを中心に引きつけて集める性質(引力―求心性)を持っています、-は反対にエネルギーを外へと飛ばす性質(斥力―遠心性)を持っています。光透波理論で+は縦軸で父のエネルギー、-は横軸で母のエネルギーと取っています。そして両方が無ければ何物も存在しえないので互いに不可欠の存在として見ています。これを土台として宇宙が成り立っているのですから。

父を日本語ではフと読みます。フ音のフです。父の愛をフアイ(父愛)とつなげるとΦの読み音になるのが面白いです。この字の形が丸の中に一本縦軸が通っているのも面白いです。丸は「場」の形(注1)と取りますと、「場」における縦軸の形がファイなのですから父の愛だ~と思ってゾクゾク、ワクワクしました。

そして黄金比も表しているのですが長くなるので黄金比についてはまた今度。

では父の字分けを一種類ご紹介します。

父の字分け

父という字はカタカナの「ハ」と「×」という数学記号に分けられます。ハは(フアイには波動関数という意味もありましたね)と取り、×という記号は英語でタイムと言います(注2)のでと取ります。「タイム―田意務」とは音によって展開されている此処()という場(ココロ―)が果たしている務めと取ります。ここで言う務めとは何かと言いますと、

一瞬も休むことなくこの宇宙を存在せしめ、その運行を司り、あらゆる生き物を養い生かしている天の父母の果たしている役割のことです。

私たちは「生かされている」のであって自分独りの力で生きているのではないのです。父の血と智慧は母が女性の役割分担によって乳という栄養分を子に与えて養っているという共同作業をしているのです。

なお時空座標において時間軸は縦軸です。すごいですね。このように字をじっくり見て行くと、これでもかと何重にも宇宙の構造を指し示していただいているのが分かるのです。

注1.原子を例にとると、プラスの電荷を帯びた陽子の周囲をマイナスの電荷を帯びた電子がいくつか高速で回っています。回っていることで成立している場は必然的に円形状になります。
注2.英語で、例えば2×2はtwo times twoと言う。

2016.8.5
続く
母は意識の中心核

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

波動関数が何かについて少し説明している記事
労多くして~でもチャレンジ、光の速度の話

父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

先月から父について書いてきました。口を閉じたままで発音できる唯一の音、そしてそれは全ての音の元であるとお話ししました。この閉じた音を光透波理論では「閉音、へいおん」と呼びます。母の音「母音」の前にはその音の元となる音があってそれが父の音「父音、ふおん」であると光透波理論では解釈しています。

この父音があってこそ出て来られた母音は開いた音、つまり「開音節」で、その母音を纏めた音が「AUM、オウム」であって、神秘学やインド哲学などでは宇宙の種音と呼んでいます。瞑想なさる方やインドの行であるヨガをなさっている方々も多分聖なる音として唱えていらっしゃることと思います。

では宇宙の種音と父音の関係はどうなっているのでしょうか?今まで誰も父音に関して何か研究した文献を著した人はありません。つまり前代未聞なのです。小田野早秧という人が初めてこの閉じた音の役割に気づいて研究をされたのです。これはとても重要なことなので心に銘じておいてください。

ではこれから宇宙の創生と種音の関係についての光透波理論的所見を少しだけご紹介します。

現在、宇宙はいわゆる「ビッグバン」によって始まったという仮説は多くの人たちに受け入れられています。元々は極小の一点(10のマイナス何十乗という極小で高温の一点)からの爆発によって始まり、いまだに膨張を続けていると考えられています。ビッグバンによって一点から開いて膨張を続けているということを「母音、開いた音」と取りますと、その前には何があったのだろうか。当時の科学では何もなかったという状態があった、つまり無だったとされていました。しかしそれは無ではなく何かがあったのだと小田野早秧は考えました。そしてそれを「前提宇宙」と名付けたのです。これは小田野の造語です。そういう考えが今までなかったので用語も無く、新しい用語を作る必要があったわけです。さて、この前提宇宙が無限に縮小してあまりの圧縮度に限界まで行き詰まった末にそれこそブラックホール化し、結果的にそして必然的に爆発反転して今の宇宙が出来たというのが光透波理論です。閉じた音が開くための産みの苦しみを経て開いた音の宇宙が出て来たという考えですが、この説明は今までには他にはありませんでした。

しかし最近になってその前提宇宙なるものがあったかもしれないという新しい仮説が今出てきたのです。そう考える科学者は量子の研究者で量子というものを研究して行くとそういう仮説も成り立つというところに行きつくらしいのです。
https://wired.jp/2016/07/29/big-bounce-universe/

これに、量子を研究したこともない人がすでに気づいていたのです。では何を研究していて気づいたのだと思いますか?

答は、そう、「音」です。音の持つ意味とその音の出来てきた順番性という両方の観点を徹底的に研究することで多くの気づきが起きたのです。母音の前に父音があって、父母の後に子の音「子音」が出て来たという順番性です。その意義がいかに重要であるかを人類はまだよく知りません。特に日本語を日常使っていない人たちは知る手立てを持っていない為に研究を促すようなきっかけがなかったのです。その「知る手立て」とは日本語の五十音の表なのです、ご存知のようにア、カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワの十行とそれぞれの行に含まれている五音です、合計で五十音、これにンを加えて五十一音、これが云音表です。これだけで前提宇宙という考えにも行きついたわけです。

これから先も引き続きこの音というものの意義をご紹介して行きたいと思います。
2016.8.2
フアイー父の愛

 

父の音、宇宙の種音

母音という言葉はありますが、父音という言葉がないのは何故でしょうか。そういう音が無いから言葉が無いのだと昔から決まったことのように思われてきました。ところが実はあるのだと言うことを納得できる理論で展開された方が小田野早秧という反骨精神の塊のような人です。小さな子供の頃から疑問が服を着ているような性格丸出しに、何故そうなの、何故、どうしてと家じゅうの大人を質問責めにしていたそうですが、多くの場合は、

「昔からそうに決まっとる」というのが答えだったそうです。

「これはどうも自分で探さなければ満足の行く答は見つからない」と早くに諦めて、それからは沈思黙考の人となり、持ち前の粘りと飽くなき探求心を持って「光透波」という前代未聞の理論を確立して行かれたのです。

お釈迦様でもキリスト様でもそうとははっきり教えていらっしゃらなかった究極の疑問に食らいついて、一心不乱に答を探し求めて生きた。人からはまるで狂人扱いにされ、家族親類にまで愛想をつかされる始末。でもどうしてもやめられない因果な性分なのよ。

生前何度もそのように述懐されていたことが耳に残っています。少しでも手がかりがあるとそれを掴んで決して離さずに突き詰めていった根性は凄まじいものでした。寝食を忘れてしまうのです。一日の生活の割り当て表を作り、22時間を研究に当て、残りの2時間を睡眠、食事、排せつ、身づくろい等に当てて数年がかりで作成された究極の答である「音と意味の表(云音表)」が遺されています。その表を手掛かりに父の音について少しお話しします。

まず母音ですが、日本語には5個あります。他の言語にはもっとあるものもあるそうですが、よく聞くと幾つもの音が重なって一音のように聞こえるだけで、語尾を伸ばしたり抑揚をつけたりしないで単純に一音節で発音できるという形での母音は5個だそうです。ア、イ、ウ、エ、オ(A,I,U,E,O)ですね。これに瞬間音、例えばKがつくとKA,KI,KU,KE,KO、カ、キ、ク、ケ、コという音になります。これらは子音ですね。

次にこの子音を伸ばして発音して見ましょう。

「カ~」と伸ばすと最後はアになります。同様にキはイになります。全ての子音は伸ばすと母音になることから、

「子音は母音に帰る」

と小田野先生は指摘しています。実際に発音して確認して見てください。次にここがポイントです。あらゆる音を思いつく限り、例えば自分の姓名を口を閉じたままで発音して見てください。サトウハチロウならどうでしょう。「ンンンンンンン」とぜんぶ「ン」になります。どの音でも良いので試してごらんになれば納得されることでしょう。これを先生は、

母音も含め全ての音は口を閉じて発音すると「ン」になることから、「帰る」の逆に、「出てくる」と結論づけされました。全ての音が母音に帰るのなら全ての音が出てくる元の音は何であろう。子音という子供を作るのに母だけでは足りない、父がいなければ。そういう大自然の法則を考えると当然出てきた答は父の音でした。父母があって子が出来る、そして父は先にあって、父が母に種を植え付けて初めて母は受胎できる。その順序でなくてはならない。

父音をフオンと読むと面白いことが分かります。英語では音のことをPHONE(フオン)と言うのです。音声学はPHONETIC、遠くに音を運ぶ機械はTELLEPHONEと言いますね。その昔ギリシャで音というものに付けられた名称をボオンと言わずにフオンと言うことをもう少し考えて見ましょう。

父が無くしては、母はその本来の役割である産生という活動ができない。そして父母が無ければ子は生まれて来られない。この永遠普遍の法則に則って作られたのが、音が云んでいる表(ンオンヒョウ)の骨格構造と順番なのです。

父あってこその私たち、つまり「宇宙の子」なのです。言い換えれば大自然の申し子、神の子なのです。
2016.7.8

続く
父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

 

 

縦の軸は父

生前小田野早秧先生がよくおっしゃっていたことに「どんな人にも両親はいるのよね、人殺しだって、詐欺師だってね」というものがありました。何回も聞いていましたが、その意味するところはほとんど理解していませんでした。両親の愛を知らずに育った人は大勢いるかもしれませんが、ともかく人は石や、木の股から生まれてくるわけではないのだということを何故かよく指摘していらっしゃいました。

両親があるという同じ条件下で生まれた私たち人間にとって、その親に対する思い、その親の子に対する思いや育て方で人生の悲喜劇が生じてくるわけです。親の生き様や考え方の結果として形成された人格が中心軸となって他の様々な環境的要因が加わって多種多様な人間性が表れてきます。その様々な人間が互いに関わりあって社会を作り、現代の人間社会が出来上がっているわけです。この現代社会を見てあなたは何を思いますか?

自分の周囲に幸せそうで満ち足りていて、穏やかな人柄の人がどのくらいの比率でいますか。そばに居るだけでほっとするような人、声を聞くだけで元気が出てくるような人はどうでしょうか。こういう人が大多数の社会を想像できますか?小さな集落ではあるでしょうが大きな集団、例えば国のような規模になると今の地球上にはおそらく無いと思います。

幸せな人とは幸せな親子関係を持った人(その親が生きていようといまいと)であるとインドの聖者カルキ・バガバンやロシアの覚者アナスタシアが指摘していますがその人たちの至言を待つまでもなく、常識的に考えても納得のゆくことですね。その親子関係を調えるための様々な手法を使ったセミナーで内観中にあることが起きました。父親が出てきたのです。実際に目の前に出てきた感じです。容姿も声や身振りもまったく父そのままの明瞭さで浮かび上がって来て、見つめると見つめ返してくるのです。そしてその目の中に悲しみと慈愛とが混じっていました。それから十年余り経った今これを書いている時でも私の目には涙が盛り上がってきます。甘酸っぱいような懐かしい涙です。話を戻して内観中のこと、その時の感情的反応をそのまま何もコメントせず見つめるようにあらかじめ指示されていたので胸が痛烈に痛む感情の激動を味わいつつ多くの思い出が映画のシーンのように目の前を通り過ぎて行くのを観察しました。その結果としてある気づきが起きました。

 私という人格の半分は機能していなかったのだ。私は不完全な器みたいなもので欠陥商品みたいなものだったのだ。私はまるで片親育ちの子供のような人間なのだ。

父とどういうふうに仲直りをすれば一番胸が楽になるだろうかと考えて真っ先に出てきた答えは「許す」でした。次が「謝る」、そして「感謝する」、そのあと「文句を言う」でした。胸に貯まっていたわだかまりをどっさり吐き出しました。許した後なので遠慮なく何でも言えました。甘えながら文句を言いました。肩を打ったりもしました。困った顔の父の目にはもう悲しみはなくなっていました。すっかり仲直りできた感じでした。後で知ったのですが2時間も経っていました。

母親との人間関係が悪い人は人生がデコボコ道のように困難が多く、父親との人間関係が悪い人はお金で苦労するとカルキ・バガバンは教えていらっしゃいます。私はこの時を境にお金の苦労があまりなくなりました。何かを売ろうとするとそれが一番市場価格の高い時で、すぐに売れ、買うときは値下がりしているというようになっているのです。これは功利的な点での話ですが、人間関係でも男性と気楽にリラックスした状態で付き合えるようになりました。以前は男性に対して構えがあったせいかそばに寄ってきてくれない人たちが大勢いました。怖いと言われたこともあります。衝突もよくあり、双方疲れるという結果になりました。振り返れば亡き夫には気の毒なことをしました。でもしっかり謝ったのでおそらく許してくれたと思います(ハハのんきだね)。

父とは先に出てきたエネルギー、男性原理で、命波では数値は「一」に当たります。まず父という縦軸が立って(成立して)初めて母という「二」の数値を持った横軸が立てられる。父母という二つの異なるエネルギーの性質が一体となることで「時空軸」が完成し、その後で「子」という森羅万象が生まれて来られる条件が整ったことになるので、古来日本では、

 一が二を生み二が三を生み、三が万象を生む

と言われています。両親が生きていようといまいと自分の心の中で起きている嵐のような葛藤は仲直りすることで静まります。嵐が去ったのちに訪れるものは平穏です。心の中心軸に平穏な安定性が出来たとき、その人は周囲の人から見ると幸せで、穏やかで、ほっとするような人になるのでしょう。それでも人生の荒波に対して時には振れたりはしますが。私ごとですが今はその時で、一緒に暮らしている家族が生命の危機に瀕していて余命いくばくという状態が続いていたのですが、今奇跡的に小康状態になり、こうしてようやく何かを書く気になりました。
2016.7.1記

続く
父の音、宇宙の種音

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

 

 

竜はDNA

竜という字を分けて見てみましょう。龍という字もありますが、竜はそれより古くからある古字だそうです。現在英語のDRAGONは竜と訳されています。

竜を分ける

音が開く(Lは開くという意味)と教えてくださっています。音は振動であり振動があらゆる物を作っていることは「理解という光」でも少し触れました。竜は神話や伝説上の生き物ですが、干支にもあるように私たちにとっては馴染みが深くそのイメージはどなたの意識の中にもしっかりと存在していると思います。そして竜には二種類あって、神社の柱などによく彫られているのは登り竜と降り竜のセットです。
さて、今回は竜を二つの観点から考察して見ることにします。次の図ではDNAの二重らせんと竜の関連性をリストアップしています。DRAGONの中にはDNAとRNA(注1)の両方があることを教えてくれたのは光透波の勉強仲間の藤田知江さんです。

DNAは竜

ご存知のようにDNAは4種の塩基で構成されています。4つの塩基の3つずつの組み合わせ(コドンと呼ばれます)は64種類です。64はムシと読めます。後で出てくる虫に関係するのでここで指摘しておきます。ちなみに64はまた易の卦(注2)の総数でもあります。
蛋白質はDNAが異なる種類の設計図を作り、それに従ってRNAが実際に働いて作られます。ここではそれらの関連性が字分けをすると出現するという驚異的な一例をお見せします。

蛋白質の字分

蛋白質の蛋は足を意味する疋と虫に分けられます。アシには吾思を当てました。吾の思い、個人である私の思いとも解せます。この思いは大部分自分が中心ですが、進化して行けばずっと愛他的にもなって行くでしょう。究極は無私の愛である無詞になりますが、その過渡期においては様々な挫折、失望、苦悩、苦痛を味わうという人生を体験するわけです。虫はまた64という数を運んでいます。ビックリ(吃驚)です。初めは吃驚などしないと思いますが、字分けをしているとだんだんに天の計らい、大自然の設計図の緻密さと精妙さに吃驚仰天するようになるのです。私はそうでした。
白は「・」と「日」に分けられます。天は・が回転して展開しているこの世界だとは他に書きました。日はヒと読むと日本語の数読みであるヒ、フ、ミ、ヨ、イの一、絶対という意味でもあります。絶対という唯一無二の天の白(コトバも意味します。告白の白ですから)という黄金の命の波である質(シツ)、詞に通じている質が「蛋白質」という言葉に込められているのです。読み解けばということですが。

概念で字を見る人は「虫」と見ただけで毛虫やムカデをイメージして気分が悪くなるかもしれませんが、64にすれば何の不快感もなくなります。無詞に至っては憧れの対象となります。このように概念から脱却するプロセスが字分けとも言えます。

注1.RNA(リボ核酸)には、メッセンジャーRNAのほかに、トランスファーRNA、リボソームRNAの3種類があり、これらのすべてが蛋白質生合成において機能している。
注2.古代中国では存在するすべての根源は宇宙の大局(陰陽の二つが出てくる元。言い換えるとプラスとマイナス)のもとにあり、その大局の変化によって自然界が変化していくと考えた。その変化が8つの形、すなわち、地・雷・水・山・沢・火・風・天である。さらに、この8つを組み合わせると64の卦ができる。
2016.03.16 記

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

神は電気です

前回は「神」を分けてみました。カミという音がついている字でした。今度は「カミナリ」という音を持った文字「雷」を分けてみましょう。
雷について「科学不思議探検」では分かりやすくこう言っています。

雷の正体は電気です。電気には、必ずプラスとマイナスがあります。電気は、このプラスとマイナスの間を流れるときに、いろいろな働きをするのです。 雷の電気も、ふつうの電気と同じでプラスとマイナスの間を流れます。ただ、ふつうの電気と少しちがうところは、空気中を流れるということです。ふつうの電気は、電線や鉄をつたわって流れますが、雷は、雷雲(かみなりぐも)の中で電気が発生し、はなれたところのプラスとマイナスの間に電流が流れたときに発生するのです。空気というのは、ふつうは電気を通しません。しかし、雷の電気は非常に強いために、ふつうは電気を通さない空気中でもむりやり流れてしまうのです。このとき、空気は熱くなりはげしくふるえます。 この空気のふるえが、あの雷の「バリバリ」や「ゴロゴロ」といった音になるのです。

雷を分けると「雨と田」の二文字ができます。雨という字は訓読みでアメ、音読みでウという音がついています。云音表を参照すると「于」という字が入っています。この字は+と-が合わさって出来ています。プラスとマイナスです。この字はウと読む他にココとも読みます。此処という電磁場が宇宙という処でもあります。宇宙に存在するあらゆる物質が大は星雲から小は微生物やそれより更に小さな原子に至るまで電磁場でもあるので文字通りだと言えます。文字通りってそういう意味だっだのね。

雷の図形

 

雨はまたアメと読むので「ア/空というメ/命(命は物質でなく空です)」であり、天でもあると字が示しています。天とは地に対して形のないもの、高きところにあるもの、神的なもの等を指す字です。田は「田の字分け」にもあったように物の生まれてくる処、そしてデンと読むので電に通じます。電磁場である于、天の田が「カミナリ」と字が示しているのです。神を成立させているものは鳴っている電気で神也(神である)というふうに解釈できます。
田の字分け

「神って電気なんだ」と、これも一つの側面です。電気は全くエコヒイキ無しの存在です。電気は悪人善人を裁いて地獄や天国行を決めたりもしません。単に「機能」なのですから。でも停電になると困るので大切です。現代生活においては日常生活全般に渡って頼っているものです。地上で便利に使っている電気の機能は天にあってはもっともっと重大な役目を果たしているのですがそれはまた別の機会にお話しします。

次は裸意ですが、裸(全く衣を着ていない実体そのものという意味)の「音の心」でもあるとも示されています。天の田という鳴る神が意なのだとも示していると理解しました。

今はまだ「だからどうなの」と思われるかもしれませんが、絶対的に中立で、無批判で好き嫌いなどない電磁気という働きが神なら宗教戦争は意味なくなりますね。本物の神、偽物の神などという論争は意味がなくなります。人間は長い長い間「神」という「概念(害念)」に振り回されて無用な悲劇を繰り返してきました。字を分けるという作業の意義は「概念」を洗い清めて行くことなのです。字が分かれるとその時に概念が割れて壊れて行くのです。すぐにはそうならないかもしれませんが、続けて行くことで少しずつ思い込みという頑迷な重りが軽くなって、自由になって行くのだと思っています。最後は羽化登仙となるといいですね。

2016.02.22 記

 

芸術にカンニングは効かない

人間は他の動物と比べると個体差が非常に大きな生物です。体の大きさや体形も肌の色も髪や目の色も違いますが、一番大きいのは各人の能力の違いです。私は運動能力があまり高くないのでオリンピック競技などでアスリートのパフォーマンスを見ていると、よくぞこんなことが出来るものだと感嘆します。人並み外れて芸に秀でるということは鍛錬を必要とします。この鍛錬の成果が人間としての限界近くにまで高まると「神技」と呼ばれます。
神技は見ているだけでも目を楽しませ、胸を躍らせ、爽快感や痛快感を呼び起こしてくれます。技とは磨かれた智恵の結晶で、これを芸術と呼びますね。ただし頭で考えているだけでは達成できないもので、行動を必要とします

You Tubeで見た神技をひとつご紹介します。他にも幾つか神技があるのですが、これは私が特に好きな技です。とても美しい女性ですしね。

まさに神技ですね。

言葉を使うのも技です。誰もが当たり前に毎日使っているのでそうとは気づかないかもしれませんが言葉の使い方が優れていて美しいという技も芸術だと思います。そして言葉を光透波にまで高めて行くのにも鍛錬が必要です。必要とはそれをしないでは達成できないという条件です。誰か他の人にやってもらって自分が成果だけをもらうことは出来ないのです。術とは行いを求めるという字です。また必ずそうすることが要である。つまり心の能き(ノ)が要るということも字によって示されています。
カンニングで美の創造はできません。

術と必

カタカナの「ノ」は命波では、能(はたら)きと解されています。デカルト座標(直交座標)の交点0 から、x、y の方向へ例えば1 進むと斜線が出来てきます。0 地点から動きが加わっている状態ですので働き(能き)を意味します。

ノと能

芸術という技を磨くには心の能きが要であるとのことですのでノラクラは時々の息抜きにして、心を込めて真剣に、それがどのような道であれそれぞれの意にかなった美を創造して人々に喜びと感動を届けて行きたいものです。

2016.2.9 記

理解という光

八田光典さんの「闇の進化」をお読みいただけましたでしょうか。闇は門の中に音が閉じ込められていると字が教えてくださっているのですねえ。音が生き生きと活動できる状態にないということなのでしょうか?考えてみましょう。

音が活動している、つまり展開している世界がこの私たちが存在している宇宙なのです。
どうしてか?

宇宙は振動するエネルギーで成り立っているという見方があります。物体も究極的には振動するエネルギーが素となって成り立っている「場」であると言えます。原子は中心核の周囲を電子が猛烈な速さで回転して作っている場と言えばイメージが浮かぶと思います。そして振動しているものとは音です。人間の耳に聞こえようと聞こえまいと、音です。この音が展開している処で私たちが存在している(と思っている)物体のある場所が三次元という処であると多くの人が思っています。しかし場所ではなく此処という処が心であると字が教えてくださっています。

幾何次元を見てみましょう。一次元は線です。幅のない線が無限に重なっていくとします。面ができます。二次元です。一次元の線だけから見ると二次元は90°立ち上がっている形と取れます。さて、広がりは出来ましたが厚みがありません。この面が無限に重なって行くとまた90°開いて立体ができます。図を見ましょう。

次元006

三次元になりますと、もうその形を崩さずに90°開くことは出来ません。しかし図にあるように直行する軸をx、y、zと三つとり、それぞれが90°開くと三次元の形を維持したままで、結果的に回転します。回転という動きは時間性能であると言われています。四次元は時間であるという言い方もされています。

つぎは字を見ましょう。

点が四つそれぞれ一から四次元と順番に並んでいると見ます。ちなみに点が四つある字は漢字の部首で連火と言います。連なる火ですからエネルギーという意味の字です。焦点はどちらも連火ですね。点が三つという字はありません。
ここで二つ目の二次元にあたる箇所に90°開いているというL の形を入れます。ちなみに光透波理論でアルファベットのL は開くという意味に取られています。

心の字分け 心という字ができています。ココロ、此処(三次元)というところにロ、云音表から参照すると「露」という字が当てられるので「露われている」と取ります。此処に露われているものが心とはどういう意味なのでしょうか。宇宙全体でしょうか。三次元全体と取りますと、一つしかないことになります。では私の心、息子の心、夫や妻の心という場合は別物でしょうか。大方の人はそう思っています。形がないのですから一つ二つとは数えられませんがそれでもなおかつ個々の心という境界線はしっかり各人によって作られています。横道にそれました。

では音と心を一文字にしてみましょう。「意」という字になります。意識の意、意味の意。意思の意です。意とは音が此処に展開しているという意味になります。その音が展開できない状態で閉じ込められているのが闇という状態であると教えていただいているのです。闇識、闇味、闇思では困りますね。

何か大きな気づきが起きたのではないでしょうか。起きたのならその現象は「理解」と呼ばれます。理解という字は以前「リカヒ」と読まれていました。逆に読むと「ヒカリ」、となります。自分が暗闇で手探りで這いまわっている状態をイメージしてください。どこに何があるのか、危険なものはないだろうか。出口はあるのだろうか、皆目見当がつきません。そこに光が差しました。一目瞭然、自分のいる場所が見えます。これが理解です。
2016.2.7 記