云音表の一行目、アイウエオのイには三つの字が入っています。意と爲(旧字の為)と異です。意思あるいは意図があって、行為がそれに続くということは分かりますから同じ音のくくりの中にあることは納得できます。口を開いて出るアの発音は楽ですが、イになると口を横に開くという筋肉活動が加わり、エネルギー消費も増えます。つまり努力が要るわけです。そこに意思、意図、行為という能動的活動が必要な文字が入っているのかなと、当初は推察しました(今ではもっともっと広大な意味があることを発見していますが)。ですが何故ここに異が入っているのだろうと不思議に思ったことを憶えています。
世の中のご夫婦や仲の良い友達同士を見て、あの人とこの人が何故?と不思議に思ったことはありませんか。これをことわざでは、「縁は異なもの味なもの」と言います。男女の巡り合い、結びつきというものは不可思議なものだという意味だそうです。
不可思議に挑戦してみることにしました。それで異を分けて見ました。
なんだか電磁場が共鳴している感じがビンビンします。天空は言(コトバ)が共鳴している命のエネルギーが充満しているところで、目には見えないネットワーク、天網が張り巡らされている。それぞれの網の交差点がある周波数をもった個々の命と他の命との結び目なのでは、と受け止められます。それぞれはまた個々の意識を持っていて、結びついている他の命と交流して生命活動(爲)を行っています。縁でつながった相手との交流が共鳴なのでしょう。響きが美しいハーモニーを奏でているのか、はたまた不協和音を放っているのか、いずれにしても体験して味わっていることが生きているという意味なのだと思います。喧嘩ばかりしている夫婦が別れないのも、一見仲が良さそうな夫婦が離婚するのも何を味わって、それが口に快いのか、苦くて吐き出したいのかは当事者のみの知るところなのでしょう。
人間以外の生き物はもっと寛容なようです。
昔アフリカのサバンナに行ったことがあります。当時は今よりはるかに多くの動物が生息していました。絶滅危惧種という言葉も一般的ではなかった時代でした(いつのこっちゃ)。イギリス領だったため、密猟者も厳重に監視されていて、捕食者と捕食される者も見たところのんびりしている感じでした。野生のままの動物生息地ですから、捕食動物にも餌は与えませんが、動物の移動を妨げるような障害物(自動車道路やフェンスなど)が無い広大な地域が確保されていましたから餌を得るのは比較的楽だったようです。
宿泊していた樹上のホテルの窓からは水を湛えた大きな池を見ることができました。そこには多くの動物が水を飲みに来ていたのですが、捕食動物も他の動物もみな一緒に水を飲んでいました。ライオンや豹も空腹でない時はのんびりしているので、草食動物も平気ですぐそばで水を飲んでいました。敵同士というくくりはないので、その時々で命の危険がある時だけ、即時対応しながら生きているのが人間以外の生き物のようです。天敵と言う言葉は人間だけが使っているのです。不協和音は人間同士の関係においてのみ発生するものなのだと思います。
2018.10.5