「久司典夫さんの気づき」を読んでパート2

「久司典夫さんの気づき」を大変興味深く読ませていただきました。福岡在住の八田と申します。

僕も一度20年ほど前に典夫さんとお会いしました。その時はまだ典夫さんもこのような体験をされていなかったのですが、とても純粋な方でお会いした時に「あっ!ここにも同志がいた!」と思いました。
典夫さんは概念思考停止体験を経験した際に、「今まであると思っていたもの」は自分が対立的意識、概念思考で作り出した産物だったと気づかれたのだと思います。宇宙の本質に偽りはありませんから、本質に出会った時に始めて、周りのすべての人為的なものは自然には本来存在しないものであって、「今まで有ると思っていたものが全部幻想だと分かった」と気づかれたのだと思います。

「ジャッジメントを伴わない観察」とあります。以前友人が教えてくれた「クルシュナムルティー」という方が「観察するものと観察されるものとの統合こそ、あるがままに見る」ということ、「瞬時の理解」こそ「ジャッジメントを伴わない観察」ということについて読んだことがありました。一切の批判をせずに見るということだと思いましたが明確に理解したわけではありませんでした。

世界は私たちの意識、思考で作られているのですが、意識や思考がコトバでありそのコトバが人為的な意味で使われてきたので、対立的感情を生みます。対立的感情によって他の人と自分とは違っているとしか思えないような考えになるのだと思います。そのことを典夫さんはファントム(幻想)・セルフと名付け、いつも何かをジャッジしている自分、ファントム・セルフが自分自身の本質だと思っているのです。ファントム・セルフとは私たち人が作ってきたコトバの意味なのです。日本語の表意文字で書くと人が為す書いて偽りとなります。

人+為→偽(イツワリ)

光透波を学び始めてどのようなことかやっと理解できました。それは観察する者と観察される者、両者ともコトバなのです。しかも今まではコトバを人為的にしか使うことしかできなかったので、いつまでも典夫さんの言うPERCEPTIONによって相対的に判断することしかできませんでした。

例えば私とあなたの命のエネルギーは全く同じですし肉体も同じなのですが、何が違うのか、それぞれの自我が違うのです。「あるがままに見る」良い方法としては音として捉えることです。すると両者とも「ワ」「タ」「シ」、「ア」「ナ」「タ」となり、概念無しになるためにある意味で同次元と言えます。

しかし意味を持つ表意文字で表すと、「私」という文字は自分を表し、「貴方」という文字は自分とは違う他の人と、明確な違いがあります。「私」、「貴方」は今まで私たちが学んできた言葉の意味、言語の意味です。ところが小田野早秧先生は様々な啓示による誘導、徹底した分析癖によって宇宙の本質である絶対無限エネルギーが発している音には音本来の意實が有ることを突き止められました。

そしてその日本語の音の図を「天鏡図」として纏められました。その図から音の意味を索引すると、

「ワタシ」とは「和やかな田(絶対電磁場)の詞(コトバ)」と読むことができます。また「アナタ」とは「空(宇宙)の大を示す田(絶対電磁場)」と読むことができます。読み替えてみると、「私」と「貴方」に対しそれまで持っていた意味とは全く違った意味になります。「私」という「語ゴ5」)は自分、個人という意味ですが、読み替えた「和田詞」)は、絶対電磁場の和やかな「詞シ4…光透波」という、光が透明になったエネルギー、光透波を表す意實になります。このように読み替えることを小田野先生は「字分け」と言われていました。

天鏡図の索引による意味の読み替えによって、言語として使ってきた意味を、宇宙を表している詞(光透波)の意實に読み替えることが可能になります。典夫さんが言われているファントム・セルフは言語(コトバ)で作られていて、その意味は人が為してきた…偽りの意味で使ってきたので、対立的、差別的にしか働きません。しかし読み替え後は宇宙の本質の意實に転換できるのです。

今まで輪廻も含めて長い間蓄積してきた自意識の言語情報である語を、詞の意實に読み替え続けると、もちろん個人差はありますが、自意識の変化を自覚できるようになります。徐々にですが「私」と「貴方」の違いが薄れていくのです。

典夫さんの体験は、私の知る限りの他の多くの覚醒体験のように、自我意識…概念思考停止経験によって起こっているように思います。しかしこのような体験はあくまでも自我意識ファントム・セルフと宇宙の本来のエネルギーとの違いを体験的に味わうことだと思います。しかしこの体験で終わりではないと思います。

宇宙の音の意實においては「和田詞」と「空奈田」に違いはありません。全てのコトバは宇宙の本来の意實を表しているのだと思いますが、それまでは言語の意味しか知らなかったので、偽りとしてしか捉えることができなかったのです。読み替え…字分けによってさらなる文字の意實の普遍性を学ぶことができます。ファントム・セルフを客観できる新たな視点、軸が備わるように思います。この軸を宇宙軸(天軸)と私は呼んでいます。ファントム・セルフをいつも客観視しているもう一つの軸ができてくると、感情を客観する「観情」が生まれます。客観性が増した意識はファントム・セルフを客観でき、ファントム・セルフのみの意識の時よりも自意識のセルフコントロールが可能になります。また存在している自然生物の本来の意味や自然現象を通じて宇宙の理(言÷)を理解できるようになります。

小田野先生が天(宇宙實親)から学ばれた宇宙の本質、絶対、無限エネルギーの音は母音がすべての音に添う母音系言語…日本語の読み替え(字分け)によって、語意識であるファントム・セルフを少しずつ読み替えることができます。読み替えの先に現れてくるのは「宇宙との血縁」、宇宙の子としての自覚なのです。ですから宇宙の子と書いて

ウ(宇宙)+子→字

その「字」を「分ける」と書いて

字分=自分

「字分け」こそが、ファントム・セルフから自分の本質に読み替える→甦りの法、再生の法なのです。

小田野先生は「天に直通ケーブルかけちゃったのよ!」とよく言われていました。ですから字割り、字割り(ジワリ、ジワリ)と字道に読み替えを重ねることが実は最高の近道!なのです。

2018年10月1日 20時19分 八田光典

付記。
八田光典さんは小田野早秧先生に17年間も師事された方で、私にとっては先輩です。基礎講座も長らく続けてこられ、多くの貴重な資料も作成されています。ブログサイトは以下です。
http://www.kotoha-a-f.org/

菊池静流

「久司典夫さんの気づき」を読んで

光透波を学ぶ仲間の藤田知江さんから長いコメントが届きましたが、これはコメントより投稿記事にしたほうが良いように思い、掲載します。今までは私一人で記事を書いていましたが、これからは他の方たちにも書いていただき、他の視点、別の考え方も読者の方々にご紹介して行きたいと思い、新しいカテゴリーを作ることにしました。
藤田さんは私が光透波の講座を始めたばかりの頃からの受講生で、20年間月一回の研究会にほとんど欠席したことがないという熱心な人です。今では私が思いもしなかった斬新な切り口の字分けを見せてくださいますので毎月の会を楽しみにしております。

以下は藤田さんの文です。

久司さんのお話をお聞かせいただき有難うございました。光透波理論を習い始めたばかりの時にクラスが始まってしばらくすると頭痛がし、それからウトウトと眠くなり、しまいには意識がどこかへ行ってしまう、というような思考遮断による自己防衛がよく働きました。久司さんのお話を読むときに久しぶりに同じような抵抗がありました。その抵抗感を懐かしく幸せに感じながら読ませていただきました。私は小田野早秧先生の光透波理論を菊池静流先生から学ばせていただくようになり、今では光透波理論が自分にとって考えの土台となりました。
久司典夫さん、半田公宣さん、飯島秀行さんも唯一の真理を皆さまそれぞれの位置から伝えてくださっています。久司さんのお話を読みながら、半田公宣さんの「自己と他者」、飯島秀行さんの「原因と結果」、小田野早秧先生の「詞と語」のお話を重ねて考えていました。

?            「ジャッジメント(判断/裁き)をともなわない観察」
?            変化を起こす原動力は「在るものをそのまま観る」ということによって出てくるもの
?            変えるべきなのは自分の内側のパーセプションだけだということ
?            人間は一人残らず目覚めているんだけど、他の人たちと僕との違いは「それを知っている」かどうかなんだ
(久司典夫さんの気づきより)

判断という漢字は、刀で半分に断つと書きます。切ってしまって半分ですから半分の理です。つまり自分の側からだけ物事を見ている状態です。判断する、とは目の前に結果として現れている現象について語っている私です。
PERCEPTION(認識)の中にはRECEPTION(受け入れる)とPがあります。Pはアルファベット16番でありピィと発音します。ピィに天鏡圖から文字をあてると日意となります。日は時のことであり、意はおもいです。認識は過ごしてきた日々の思いの積み重ねでつくられ、それを受け入れているということです。
私にとって衝撃だったことがあります。それは「人間は言語を周囲から学習しないと言語能力を使うことが出来ない」という事実でした。私の内面空間という思いの場は言葉で出来ていて(映像も言葉がないと結びつかない)、それは誰かから教えられたものですからつまり他者の集まりです。私はたくさんの他者であり、様々な結果であり、それは言語であるということになります。そしてそれが私のパーセプションなのです。

「変えるべきなのは自分の内側のパーセプションだけ」ですから私の個人的意識である内面空間が変わるべきところです。どう変わるというのでしょう?
人間は生きている間中考えています。考える力は命の力から発しているので目覚めていない人はいないのです。他者、結果、語といった遠心性の現象に対して、自己、原因、詞へ向かう圧をかけます。圧は負荷であり、一時的な求心性を起こします。宇宙呼吸(光透波理論p.259)により必ず爆発反転しエネルギーが生まれるためです。これが「在るものをそのまま観る」ことによって出てくる変化を起こす原動力です。
「それを知っている」というのはその場に今、居るということだと思います。

このように考えましたがよろしいでしょうか。
私は目覚めていないので実際はわかりませんが、光透波理論と字に向かうことにより理解を進められる方法を学ばせていただきましたおかげで、伝えてくださっている方々の座っている位置を頭の中で整理し感覚的に察するようになりました。それは暗闇の目標ではなくなって夜空の星のような指標と感じています。