五十音表の六行目にあるパピプペポの音

私は酉年生まれです。今年で干支を六巡しました。六回廻った人生にちなんで六という数の性質の一部を考えて見ました。

まず五十音の六列目はハ行になります。ハ行に入っている音は十五もあります。他の列はカキク、ガギグのように清音と濁音合わせても十音しかありません。六番目のハ行だけが清音ハヒフヘホ、濁音バビブベボに加え半濁音のパピプペポがあるのです。この特異性に着目した小田野早秧は半濁音について、濁音を清音に戻す能力を有している特別な音として、意味から取って「反濁音」と名付けました。

何故半濁音ではなく反濁音なのか
神社に行くと柏手ということをします。「パンパン」と音を立てて邪気払いをします。そう昔から言われてきたので皆さま習慣的にそうしていらっしゃるようです。手が湿っていると良い音はでません。乾いた手で打つと出る乾いた音なのです。 反濁音の発音は唇をいったん合わせてから素早くはじくようにします。日本語の他の音は濁音でもそれほど強く短く唇をはじきません。邪気を払うと言われている柏手のような良い反濁音を口から出すためにはお腹の筋肉を使って勢いよく音を出さなければなりません。ちょっと努力が要ります。呼吸が浅いと難しい作業になります。 つまり、邪気を払うのにはおへその下からの力がより効果があると考えられます。邪気とは何かを差別的批判的表現を使わずに説明しますと、「停滞しているよどんだエネルギー」です。血液やリンパ液の流れに停滞があればいわゆる血液ドロドロ、筋肉コリコリ、内蔵ヘトヘトという状態になります。体でなく、停滞したエネルギーが充満している場所は「穢れ地」と呼ばれ、お祓いということがされてきました。このお祓いには祝詞(のりと)を大きな声で唱えながら、パッパッと何かで空気を払うことをします。祝詞は清音で成り立っています。濁音は文字通り濁りなので、その濁りを払うために清音を使うわけです。清音は清い音ですが、その清音より更に短く強く出す五つの音が反濁音というわけです。音が邪気を払う力を持っていなかったらお祓いも柏手も何千年もの間使われてはこなかったでしょう。

今世界の多くの場所は不毛の穢れ地になっています。空気を清浄にしてくれていた森がどんどん減り、水は汚染され、海の大きな部分は上に停滞しているゴミの下で死んで行っています。都会は不毛の地です。ここへ人々がどんどん集まってきています。人口密集地ではエゴとエゴの摩擦が起き。競争がし烈化し互いに傷つけあっています。親子の間でさえそうなってきています。この事実を無視することはもうできないほどの状況になっていると言えましょう。これを清い状態に還元する力は実は私たちそれぞれが潜在的に持っている能力なのです。それぞれが何をすべきか、その道しるべともいえる利器があります。それは天の父母が小田野早秧を通して人類に降ろしてくださった、音の意味と力を教示している云音表なのです。今日はその表のほんの一部である半濁音の力について少しお話をしました。
2017.11
ナニヌネノのヌ

濁りはOKだった

超光速という可能性と概念

前回はタキオンという仮説について少しお話ししました。誤解のないように付け加えますと。「タキオンはこれである」と写真に撮って見られるようなものではありません。形のないものなので、当然です。概念(コンセプト)というものは人間が抽象的思考を使って「それは存在する」という仮説を立てたのちに様々な手法で、「だから存在しているに違いない」と他者に証明しようとする行為の結果生まれたものです。「それは」が仮説として提示される条件はそれという対象に名詞がつけられた時です。この場合は「タキオン」という名称です。名称は生まれたと同時に歩き始めます。あたかもそれが存在しているかのように人々は認識し始めます。存在の有無は別として。 最も端的な例は「神」です。誰が神の写真を撮って私たち人類に見せたでしょうか?神のイメージは画家や彫刻家が創作したものですが、実物の神はまだ誰も写真に撮ってはいません。しかし古今東西いつどこにおいても神を祀る寺院や教会が形として存在しています。それだけ多くの人々が「見たこともない存在」を崇め、お祈りをささげ、お金やお供物をささげています。 何が言いたいのかと言いますと、「神」というコンセプトが力を持っているからこそ、その影響力が信仰という結果を生み、寺院や教会という形体を生み、それぞれの解釈の違いが派閥を生み、派閥が競争と互いの間違いを指摘しつつ、自分の解釈こそが正しいとする自己正当化という意識を生み、争いを生んで行きました。名称が一人歩きするというのはそういう意味です。 名称、つまり「名」がエネルギーなのです。実体がなくとも「名」があればその影響力は生まれてくるのです。この「名」は言葉です。人間以外の生物は名称を認識する能力を授かっていません。人間だけが言葉を操ることが出来、その能力を使って自由かつ勝手に、名というコンセプトを創造し、それを使って様々な文化、芸術、争点、誤解等々を生み出してきました。いわば「両刃の剣」です。

タキオンのお話に戻ります。前回引用した文を考えて見ましょう。

 電子などの質量をもった粒子を光速以上に加速する事はできそうにない。しかし実は、相対性理論に直接矛盾しない形で、超高速粒子を考えることはできるという。そのような理論上の粒子は「タキオン」と呼ばれている。タキオンの質量は、何と虚数だという。虚数(純虚数)とは2乗して負になる数のことだ。
通常の粒子(質量が実数)の速度は、光速が上限だが、タキオンの速度は、光速が下限になるつまり、タキオンは、生成した瞬間から超高速で進み、決して光速を下回ることが無いのである。つまり通常の粒子と光速に関して正反対の性質を持つことになる。
また、タキオンはエネルギーを失うと加速するという。通常の粒子であれば、エネルギーを失えば減速するはずなので、とても奇妙な性質だ。
たとえば、もし電荷をおびたタキオンが実在した場合、真空中を進むタキオンは、チェレンコフ光(注参照)を放ってエネルギーを失っていくと考えられていく。するとタキオンはどんどん加速していき、最終的にエネルギーを完全に失うと、なんと速度は無限大に達するという。つまりどんなに遠い宇宙のかなたにも(100億光年先でも!)、瞬時に到達できることになるのだ。

注。チェレンコフ放射(チェレンコフほうしゃ、Čerenkov radiation、Cherenkov radiation)とは、荷電粒子が物質中を運動する時、荷電粒子の速度がその物質中の光速度よりも速い場合に光が出る現象。チェレンコフ効果ともいう。このとき出る光をチェレンコフ光、または、チェレンコフ放射光と言う。
%e3%83%81%e3%82%a7%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b3%e3%83%95%e5%85%89この現象は、1934年パーヴェル・チェレンコフにより発見され、チェレンコフ放射と名付けられた。その後、イリヤ・フランクイゴール・タムにより、その発生原理が解明された。これらの功績により、この3名は1958年ノーベル物理学賞を受けた。
Wikipediaからの引用

黄色のマーカ部分を見ていただいたと思いますが、この文の論点である「コンセプトが持つ影響力」を実感できたでしょうか。原子炉では実際にチェレンコフ光を見ることができるのですが、この光が「タキオンの存在」を実証しているわけではありません。実証してはいませんが、これは否定しているということでもありません。神の存在も同様に実証もできないし、否定もできないのです。これを冷静に客観的に受け止めて、どちらの考えを持つ人たちも批判したり、自分の考えを押し付けたりもしないでいる人々が増えれば社会は穏やかになりますね。

コンセプトは日本語の「概念」に相当する語です。概とは「おおむね」という意味で、「正確ではない」という意味です。これをしっかりと認識して生きていることが大切だと思います。
光透波理論では「名は命」と解しています。どちらも「メイ」という音を運んでいます。「名」は実際に影響力というエネルギーを持っていてその存在は人間の認識の対象としての位置を確保しています。写真に撮れても撮れなくても脳の記憶庫には「名称とそのイメージ」は収納されているのです。そしてその影響力は実際に行動の動機にもなり、その結果として悲喜劇が生まれ、他に影響を及ぼして行きます。「嘘から出た眞」という言葉がありますが、まさにこのことだと思います。また、命という現象は「形を持たない存在」のこととも言えます。通常は肉体という形を生かしているエネルギーで、無くなれば「ご臨終」となります。これを非常に明確に方程式で表したのが小田野早秧です。

生体-死体=命(命の内訳は、動きと音と温度)

生きている体がしていることで死んでしまうともうしないということを纏めると「動、音、温」であるということになるのです。そう明示されると、「なあるほど」と思いますが、これを見ないうちに、自分なりに考えると実に曖昧な解釈しかしていなかったことが分かります。

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超光速粒子タキオンと光透波

前回の「光の速度の話」の続きです。

アインシュタインの相対性理論ではE=MC2という式が有名ですね。Eは エネルギー、 mは質量(物体は質量です)、cは光速度…定数(constant)を指します。この式は何を意味しているのかをいろいろ調べて最も分かりやすい説明のいくつかを合わせて抜粋しました。
●エネルギーと質量は交換可能であるという事(質量が消滅すると、エネルギーになる)
●エネルギー量と質量は比例するという事(減った質量が2倍、3倍・・・となるに連れて、得られるエネルギー量も2倍、3倍・・・と変化する)。
専門家の言うところの「エネルギーと質量は等価である」ということになります。 ある物体がこの世から消失すると、ものすごい量のエネルギーに変化するという原子爆弾の理論的根拠にもなりました。

この式・・・あえて、わかりやすい言葉になおせば、
「この世のありとあらゆる物質は、形のないエネルギーが、質量という姿形(物質)になったもの」となります。
またこの式が導き出す他の結論としては以下のものがあります。
●質量を持つ物質は光速度に達することはできません。(無限の質量は存在しないから) 質量がゼロでない物質を加速するということは外からエネルギーを与えることなので結果的に加えられたエネルギー÷比例定数(cの2乗)分の質量が増加するということです。物質を加速するほど質量が増加して加速しにくくなっていきます。結論をいうと無限のエネルギーが無いと光速度にすることはできません。
※物理学での無限という量は、有り得ないとか実現不可能と同じ意味です。
光は生まれた時から宇宙で最高速の光速度で運動しているので加速することはできません。つまり、光は速度一定であり質量ゼロという純粋にエネルギーそのものとも言えます。ちなみに、光は波(電磁波)でもあり、そのエネルギーは振動数に比例します。以上は「物理学」における理論の展開です。

ところが、「量子理論」という全く別の理論体系から見てみると、そうとは言えないのです。
「超光速粒子タキオン」という名称があります。新しい分野の新しい観念を表現する言葉です。以下は本からの抜粋です。

電子などの質量をもった粒子を光速以上に加速する事はできそうにない。しかし実は、相対性理論に直接矛盾しない形で、超高速粒子を考えることはできるという。そのような理論上の粒子は「タキオン」と呼ばれている。タキオンの質量は、何と虚数だという。虚数(純虚数)とは2乗して負になる数のことだ。

通常の粒子(質量が実数)の速度は、光速が上限だが、タキオンの速度は、光速が下限になる。つまり、タキオンは、生成した瞬間から超高速で進み、決して光速を下回ることが無いのである。つまり通常の粒子と光速に関して正反対の性質を持つことになる。

また、タキオンはエネルギーを失うと加速するという。通常の粒子であれば、エネルギーを失えば減速するはずなので、とても奇妙な性質だ。

たとえば、もし電荷をおびたタキオンが実在した場合、真空中を進むタキオンは、チェレンコフ光を放ってエネルギーを失っていくと考えられていく。するとタキオンはどんどん加速していき、最終的にエネルギーを完全に失うと、なんと速度は無限大に達するという。つまりどんなに遠い宇宙のかなたにも(100億光年先でも!)、瞬時に到達できることになるのだ。

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命波では「光透波」という形のないエネルギーの性質を研究対象にしています。そしてこの特定の種類のエネルギーが超光速のエネルギーであると仮定しています。

そこで次回は「超光速」という可能性と「光透波」について少し考えて見ましょう。
超光速という可能性と概念

アイキャッチ画像。「光速を超える謎の粒子タキオン」のイメージ。実物ではありません。

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労多くして~でもチャレンジ、光の速度の話

最近苦手な物理学と物理学にどうしてもついて回る数学の方程式とを使って考えなければならない事態が生じてしまいました。光透波理論の講義の際に光速(C)の2乗、あるいは7乗という計算式で、速度という単位は結果としては出てこない、掛けると単位が変わるからだと言われました。その意味が分からなかったので、調べて後程連絡しますと言って保留にしました。

さて、数学が苦手な方々ならお分かりと思うのですが。数字そのものは別に怖くないのですが、方程式に使われる数学記号を見ると、考えようとする意欲が削がれて、思考する機能がシャットダウンし始めるのです。

シャットダウンする前に気を入れてともかく取り組みを始めました。自分に分かる範囲内でともかく最低限これだけは理解しておこうという目標を決めて取り組みをスタート。

英語で方程式のことをequation(equalという語の頭部分が入っています)と言います。文字通り「イコールにする」、つまり「=」記号の右の項と左の項が同じになるように計算することです。数学が得意な人は当たり前だとお笑いになるかもしれませんが、それさえしっかり認識されていないままに日常生活を送っている人々もいるのです。

何が言いたのかといいますと、計算が終わって左右の項目の値が同じであるという状態が出来上がったもの(方程式)を見てそれが何を意味しているかを把握できると、そこから派生する様々な状況が次々に理解できるようになります。つまり方程式が示している事柄を応用できるということです。応用できるようになりたいと思います。

ある人に非常に分かりやすく説明されて分かったことの例を挙げます。

5m×5=25m
5m×5m=25

5m×5は25mです。つまり距離と言う同じ単位の価です。5m×5mは25です。距離が面積と言う単位に変化するのです。

家族にとても賢い人がいて他の分かりやすい例を挙げてくれました。

リンゴが3個と梨が2個、ミカンが4個あります。全部で9個です、とは決して言えません。違うもの同士を合計何個として取りまとめることは出来ないからだと教えてもらいました。三種類の果物の合計数は9です、と言わなければそれは間違いです。言われて見ればその通りなのですが、そのようには考えずに生きていても痛痒は感じない、合理的でなくとも生きて行ける、だから一生間違いには気づかない。それが多くの人間に当てはまる状況だと思います。

上記のような、左右の項目が同じであると示されている単純な例式を見て、それを応用して行ければ勘違いは無いのですが、これほど単純化された方程式は物理学にはありません。そこで苦手に取り組むという労多くして功少なしの作業をする次第になりました。一緒に取り組んで行きましょう。

以下は素人向けに書かれた「30分で分かる量子力学」
https://www.ryoushi-rikigaku.com/quantum.html
からの抜粋で、私の文も混じっています。引用文は青字で表示されています。

 物理学とは計測できるものを対象にしている研究分野です。ですから原子以上の物質を対象にしています。物理学に限らず、医学や経済学や心理学でも、「原因に法則が作用して結果を生じる」と考えるのが普通です。 いわゆる「因果関係」という考え方です。
この「原因→法則→結果」の形式は、「入力→作用素→出力」と一致しています。

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 ほとんどの近代科学が、「結果には必ず原因がある」という前提の上に成立しています。 そして、原因が結果へと変換される「法則」がどのようなものであるかの研究に邁進します。 法則さえ解明できれば、望ましい結果が得られるように、物事をコントロールできるようになるからです。

ところがこの因果関係が成立しない世界があるのです。量子の世界です。

波は物質ではなくて「状態」です。海水という「物質」の、ある「状態」が波です。
原子より大きい世界では、このように「物質」と「状態」をはっきりと区別できます。しかし、原子より小さい世界では、そんな区分ができません。 電子は「物質」ではなくて「状態」です。 ただし、海の「波」の場合の「海水」にあたる物質がありません。

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 粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ、このような特殊な存在を、 普通の物質と区別するため、「量子」(quantum) と呼びます。その「量子」を研究するのが「量子力学」です。電子は「量子」の代表格です。 原子の内側にあるものは、「部品」ではなくて、「量子」です。

光透波理論は命波理論とも呼ばれます。命の波、「波という状態の性質」を研究対象としています。20世紀初頭に生まれた小田野早秧が当時の物理学の観点では説明がつかない(つまり合理的でない)生命現象を説明する為に生涯かけて研究した成果がこの理論です。「生命エネルギーの本質とその性質と機能」をエネルギーの波という観点から説明しようとした試みは量子という「無いもの」を扱う分野が無かった時代であったことは特筆すべきものと思います。

量子とは、単に「小さい」だけではなくて、原子より大きい世界に存在する「物質」とは振る舞いが異なります。 電子は波のような「波動性」を持っています。ただし「何かの波」ではなくて「波だけ」です。 そこで、その波の形を調べよう、ということになります。

電子が、どのような形の波動になっているのか、それを数学の関数の形で記述したものを 「波動関数」と呼びます。

電子は「波だけ」ですから、その波の状態を表す「波動関数」がわかれば、「電子」を理解できるはずです。波動関数を知るためには、波動方程式という名前の方程式を解く必要があります。これを解くと、その答えとして波動関数が得られます。

その方程式を解くために、「作用素」と「固有状態」を使います。(注。ここでは説明を省きますが、固有状態という言葉を覚えておいてください)

波動方程式とは、いったいどんな形なのでしょうか。 発案した学者の名前を冠して「シュレディンガー方程式」と呼ばれるものですが、 それを最も簡単な形で示すと下図のようになります。 この方程式の解として、「波動関数」を得ることができます。

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 「波動関数は、固有状態になっている」 というのが、この方程式の意味です。固有状態は本質を表します。固有状態である波動関数は電子の本質を表します。 固有状態になれないような関数は、電子の波動関数ではありません。

一言でいえば、「固有状態である波動関数を探すのが量子力学」なのです。

どんな関数であれ、何らかの作用素の作用を受ければ、変化する方が「普通」で、作用した結果が入力と一致 するというのは「特殊」な場合と考えられます。
それなのに、電子の波動関数は、必ず固有状態になることがわかっています。「特殊な状態」のはずの固有状態が、量子の世界では「普通」になります。
「普通」と「特殊」がひっくり返る、この感覚は重要です。従来の物理学が発展して量子力学に辿り着くのではなく、それまでの常識を逆転したような形になっています。

この「固有状態」という概念には、さらに深い意味が隠されています

固有状態というのは、原因(入力)と結果(出力)が一致する状態です。これは、「因果関係」という枠組からみると、想定外の事態です。

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しかし、これが「量子の世界」の原則です。原子の外側では「原因→法則→結果」があたりまえですが、原子より内側には、それと異なる世界が存在します。

モノとは違って、抽象概念については、それが「原因」なのか「結果」なのかさえ、判然としないことも多いものです。そもそも「抽象概念」というものは、多数の概念との関係性の強弱が生み出す「波」のようなものです。 さらに、それが物質の波動ではない点でも、「量子」と似たところがあります。

 ここまで読んでいらして何が論点になのかと疑問に思われる方も多いと思います。でもこれから申し上げることをお分かりいただくための踏み台なのです。

光透波理論における光速(C)の無限乗という速度という仮説は超光速と言う、原子以上の物質の世界における、光速とは全く異なる性質の光があるということを言っているのだということを分かっていただきたいのです。

 光透波とは光が完全に透明化した、光速とは全く異なる性質を持った光の波が生み出している意味を持った動きであり、それは計測不可能でありながら全生命を生かしているエネルギーという力そのものなのです。ちなみに上記の「抽象概念」というものは、多数の概念との関係性の強弱が生み出す「波」のようなものです。という説明は言葉を使って説明されているのです。言葉がなかったらいかなる概念も観念も表現することは出来ないのです。その言葉である人語の土台に、「光透波/詞」という宇宙の生地とも構成要因とも言えるエネルギーがあるのです。そして人間は語という手段を使って今、21世紀という時に量子という抽象概念を研究対象にあらたなる英知の世界を理解しようと言う試みを始め出しているのです。冒頭に量子学のゴールを簡潔にまとめた図を挿入しておきました。念のために申し上げておきますが、光透波理論=量子理論ではありません。しかし口幅ったいことを言いますと、量子学は非常に便利な説明ツールではあります。
2016.10.1
超光速粒子タキオンと光透波

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何故文字が感動を呼び起こせるのだろう

前回はざっと母について二つの字分けをしました。その時に母という字の読み音に付けた文字群については説明しませんでした。ある字を分ける際には先に文字の分解作業をすることから始めることが多いのですが、ここまでは「云音表(はこぶねひょう)」が無くともできます。

最近実際に字を分解しながら講義をなさっている方にお会いしました。直感的に文字をみて、「これだ!」と閃いた感覚を元に、病や人の意識のあり方などを説明すると講演会に参加している人たちが「うわ~」と沸きました。何故そんなに感動するのか?
これを不思議とも思わず、ただびっくりし、感動している人々を目の当たりにみました。

字を分けただけで何故感動するのか?
これは何かあるぞ。そう思いませんか?
光透波理論を学ぶ際には不可欠の字分けというものですが、どうしてこれが心を動かすのか。まずそれを考えて見ましょう。

遠い過去からずっとずっと人間は言葉のおかげで互いに様々な思いを相手に対して表現してきました。言葉がなかったら複雑な心境を相手に伝え、共感を得るのは非常に難しいことです。あふれる思いを愛する人に伝えたいのに適切な言葉が見つからなかったらどんなにもどかしい思いをするでしょう。見つかったら大喜びで使うでしょう。そして伝えながら、これを消えない形で取っておきたいと思った人もいたでしょう。それが言葉を文にした手紙でした。日本人は愛する人に深い思いを伝えるのに韻律を持った美しい言葉を綴りました。31あるいは17という限られた数の音節を使いみごとに心にあふれる思いを表現した芸術があります。ご存知、和歌や俳句ですね。何千年も後の私たちが読んで感動を新たにできるのは思いが文字になっていたからです。

これはひとつには字のパワーと言えます。字が、繊細で微妙な心の状態を運んでいるのです。こういう観点を持って字に向き合っている人はまだまだ大勢はいません。でもいったんこれに気がつくとその力、影響力に驚きます。

いや、字が感動を運んでいるのではなく、思いを表現する言葉が感動を呼ぶのであって、字は単にそれを記録する道具であるにすぎない

と反発される方も多いと思います。でもそれが違うのです。今日まで人間は思いを表現する言葉の力のみに焦点をあて、字の力には気づいていませんでした。
まずそれに気づいて、それから音が運ぶ(云ぶ)表を作るまでの大変な作業をすでにされた方がいらっしゃるので私たちはそれを使わせていただくことで、さらなる言葉の意味の深淵をのぞくことが出来るようになったのです。

ではもう一度母の字分けを見てみましょう。

母の字分け2

字の力を信じない人にとっては心情的にむらむらと反発心が起きる展開でしょう。頭が痛くなり、見たくない、意味もないこじつけだ。中にはこの母と言う字の読み音についている文字を見ただけで拒否感に襲われる人もあると思います(拒否感は何処から来るのかについては後でお話しします)。
「これは面白いぞ」とワクワクする人と、ここで読むのを止める人と二手に分かれます。
でもどうか止めないでください。

ハハに波と把を当てました。波はエネルギーを意味します。エネルギーが何かを把握すると形あるものと無いものとの両方の共通項が見つかり、ある気づきが起きると思います。「空即是色」の意味が少し理解できるようになるかもしれません。非常に重要な気づきですが、いくらお題目として唱えていても大自然の摂理に対する理解が怒涛のように押し寄せてくることはあまりないです。少しずつ少しずつ分かって行く過程というものがあって、ある時、節目、節目にまとまった理解が起きるのです。積み重ねの効果と言えます。
母というものをエネルギー的に把えるとマイナスのエネルギーだとお話ししました。ではマイナスの役目は何でしょうか。ひとつには引力に対し斥力を意味します。エネルギーがどんどん中心に向かって集中すると加圧状態になり加熱し重くなります。究極的にはブラックホールのように何も通さない状態になり生物など存在不可能になります。反対に斥力だけだと何もまとまらず、生物としも物体としても存在しなくなります。引力はエネルギー的には磁気的、斥力は電気的に機能しています。父は磁気的、母は電気的な機能しているという視点にたつと両親があって子供が生まれている道理が理解できます。私たちは電磁気的には電磁場でもあるのです。

次に網を見て見ましょう。網は交差する何かの線の形です。縦と横の線の交差が織りなす形ですが今ここで関係しているのは磁気と電気のエネルギーですから電気的網です。現代生活には無くてはならない電磁気網と言えば通信網ですね。人間同士の通信網を地上のネットワークとして、人間ではなく神聖なる天の母のネットワークを形成しているものは純粋意識という至高の叡智のネットワークです。人間が天を仰いで憧れる絶対平等の無条件の愛を持つ母という真の養い親です。これをはるかに望みながら、何とまあ人間の親の執着と偏愛に満ちた理不尽なことかと比べて慨嘆することもあるでしょう。親に対する恨みや怒りを収めるには人間は完全ではないということをしっかり理解することだと思います。理解しているようでいてまだ怒りや恨みは残っているのですが、それを冷静に客観的に観察することで少しずつ気持ちが穏やかになって行けます。怒りは体を蝕みますので、相手ではなく自分が痛んでしまうので、理屈に合いません。願望あるいは希望の望みという字はまた、モチとも読みます。望月のモチです。モウとも読みます。ここでまた智慧の網が出てきました。智慧の網という意義がありますよという教えが二重に強化されているのです。

最後に二つの8という数字について見て見ましょう。8を横に倒すと無限を意味する数学記号になります。またアルファベット8番目の文字はHであり、読み音はエイチです。日本語では叡智と同じ音です。二つの叡智、二人の親、つまり父母という叡智の存在が母という字の読み音に秘されていたのです。
以上のように一つの文字を分けながらそこに閃いて入ってくる思いを検証して行くのが字分けの意義です。その作業の過程で様々な気づきが起きるのですが、気づきを促す知恵のエネルギーが作業中にどんどん入ってくるのです。
思考中に入る至高のエネルギーはとても精妙で、言い換えれば振動数の高いエネルギーです。このエネルギーに圧倒されると頭が痛くなったり、体の部分が痛んだりします。体の痛みは普段気がつかないでいた不具合を教えてくれている場合も多いので、健康管理に役立ちます。しかしこの痛みを不愉快というように感じて避けようとする人もいます。これが先ほどの拒否感の原因の一つなのではないかと私は解釈しています。私が初めて小田野先生のお話をうかがいにお宅におじゃまするようになった後の一年間くらいはもう眠くて眠くて目を開けているのに大苦労をしました。小さな座卓を隔てた向かい側にいらっしゃる先生のお体から発している気迫と申しますか気魂と申しますか、そのエネルギーに圧倒されて座っているのも容易ではなく倒れそうになるのを背後の壁によりかかるようにしてようやく座っていました。しかしだんだんに鍛えられて行ったたようで眠くなくなると共に体も楽になってきました。これも毎週何時間も先生にしごかれた(?)積み重ねと思います。
見たくない、聞きたくない、知りたくないという、心の進化を妨げているものに気がつくと学ぼうとする姿勢もおのずと変化すると思います。

最後までお読み下さりがとうございます。
2016.9.7

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母は意識の中心核

このところしばらく父について書いてきました。今回は母というものについて書こうと思います。光透波理論的展開での母の存在意義という視点です。いわゆる人間の母というイメージを大きく超えた母というものが一体どういうものであるかを知ると心の葛藤が消滅して行くという期待が持てるから大切な論点になると思います。
どんな人にとっても母と言う存在は良きにつけ悪しきにつけその人の意識の中心にあって生涯ついて離れないものです。人の意識は母と言う存在を核として回転していると言っても過言ではないでしょう。
この中心核が基本的に楽しく心和むようなエネルギーに満たされているか、反対に思い出すと辛く悲しく恨みに満ちているか、または悲喜こもごもであるかでその人の一生がどのようなものになるかが決定されていると言っても否定できる人はいないでしょう。「自分は幼いころに母に死なれてほとんど思い出がない」という人にとってさえ「母の不在」という悲しみあるいは母性的な存在への憧れなどの思いがつきまとっているのではないかと考えられます。意識が常にあるものによって影響を受け続けていて離れることができない状態をイメージしてみてください。まるで鎖につながれているようなイメージです。この鎖から解放されなければ自由にはなれないのです。その為に母というものそのものについて根本的に理解して見ると言う試みをして行きたいと思います。父性に対しての母性、その原理、つまり母性原理というものの理解です。

さて、光透波理論という視点で書いているのでまず字分けをしてみましょう。

母の字分け

かこみを表す「囗」という字と数学記号の「÷」の2つの部分から成り立っている文字と取れます。国や囲みという字の部分でもあり、境界線を持った閉じた形を意味しています。これに÷という字が加わると何故母という字になるのでしょう。
まず母とは何をする存在でしょうか。子供を産み、育児をし、生きて行くのに必要な技能を習得するべく教育をし、子供の成長に必要な食べ物を提供します。養うという仕事です。父は子供を受胎するには必要ですが、その後はたとえいなくなっても子供は育ちます。母は実母であれ、養母であれ、子供が自立できるまで成長するには必要不可欠です。動物の種類によって期間は異なりますがある期間傍にいて常に見守り養う仕事をします。見守らなければ他の生き物に食われてしまったり飢え死にしたりしてしまいます。
さて、この母が「割る」という仕事をするという点について考えて見ますと、人間の場合まず受精卵という一個の細胞が分裂をしてどんどん数が増え、大体60兆個にまで増えると人間としての姿になります。どれだけ割って行くとそんなに膨大な数になるのかと考えると気が遠くなります(注。分裂の回数は40数回で60兆になりますが、たとえば最後の30数兆をそれぞれ二つに割るという意味では膨大な作業量ですね)。
割って行く仕事をする母という字に「÷」という数学記号が含まれているのに対し、父には「×」(掛ける)という記号が使われています。「ハ」(波という意味を持つ音でエネルギーを意味する字)に掛ける(加えるという意味)ものはこの場合精子です。母が持っている卵子に精子が掛かると受精卵になるわけです。すごいですね。字にちゃんと示されているのですから。母の音読みと訓読みの音についている文字については後で分かってくるようにします。今回はインプットだけしておいてください。
そして子供を産むという仕事をした母はその後八面六臂の活躍をします。それも毎日です。毎日、毎時間、毎分休むことなく仕事をし続ける母という字に「ノ」(機能の能という意味の音)と「-」という数学記号が加わったのが「毎」という字です。毎度毎度休みなく為す(機能している)からマイナス(毎為)という字が入っているのがすごいですね。あきれたこじ付けだと思いますか?それが違うのです。字を分けて見れば見るほどこじ付けとは言えなくなります。でも疑ってみるのは当然のことで、深く疑ってみながら実験、検証をして行ってみてください。何事もただ鵜呑みにしないのが科学する心ですから。

毎の字分け
母についてもまた書いて行きます。
何故文字が感動を呼び起こせるのだろう

2016.9.2

フアイー父の愛

前回日本語には五十音という文字の表記法があって、これが宇宙の構造を解き明かすいわばカギのような機能を持っているとお話ししました。

では外国語に何かカギのようなものは無いのか、片手落ちではないか、不公平ではないかと思われるかもしれません。私は不思議に思いました。そこで小田野先生にお訊ねしたところ、外国語の多くはアルファベットという文字表記を使用しているが、そのアルファベットがカギとしての機能を持っているとのことでした。世界で最も多く使用されている現代英語のアルファベットについては他の機会にもう少し詳しくお話しするとして、ここでは外国語の中でも非常に古い文字であるギリシャ文字について少しお話しします。

図は一覧です。全部で24文字です。
ギリシャ文字一覧お気づきのようにギリシャ文字は数学記号やIT用語によく使用されています。

この中にファイ(Φ、φ)と言う文字があります。21番目の文字です。今日はこの字を検証してみましょう。記号として使われている場合の意義は次のようなものです。

  • 大文字のΦは電磁気学で磁束をあらわす
  • 小文字のϕはいろいろな分野で使われているがそのうちの主なものは、幾何学においてθ(テータ・シータ)に次いで角度をあらわす
  • 黄金比をあらわす記号としても使われる
  • 量子力学ではψ(プサイ・プシー)と共に波動関数としても使われる

まず磁束を表すというところに注目して見ました。宇宙にあるあらゆる物体は電磁気的存在です。大は恒星から小は原子に至るまで電気的にプラス(+)とマイナス(-)とで成り立っている「場」、電磁場です。私たちの体も電磁場です。さて、磁束は+の電気です。エネルギーを中心に引きつけて集める性質(引力―求心性)を持っています、-は反対にエネルギーを外へと飛ばす性質(斥力―遠心性)を持っています。光透波理論で+は縦軸で父のエネルギー、-は横軸で母のエネルギーと取っています。そして両方が無ければ何物も存在しえないので互いに不可欠の存在として見ています。これを土台として宇宙が成り立っているのですから。

父を日本語ではフと読みます。フ音のフです。父の愛をフアイ(父愛)とつなげるとΦの読み音になるのが面白いです。この字の形が丸の中に一本縦軸が通っているのも面白いです。丸は「場」の形(注1)と取りますと、「場」における縦軸の形がファイなのですから父の愛だ~と思ってゾクゾク、ワクワクしました。

そして黄金比も表しているのですが長くなるので黄金比についてはまた今度。

では父の字分けを一種類ご紹介します。

父の字分け

父という字はカタカナの「ハ」と「×」という数学記号に分けられます。ハは(フアイには波動関数という意味もありましたね)と取り、×という記号は英語でタイムと言います(注2)のでと取ります。「タイム―田意務」とは音によって展開されている此処()という場(ココロ―)が果たしている務めと取ります。ここで言う務めとは何かと言いますと、

一瞬も休むことなくこの宇宙を存在せしめ、その運行を司り、あらゆる生き物を養い生かしている天の父母の果たしている役割のことです。

私たちは「生かされている」のであって自分独りの力で生きているのではないのです。父の血と智慧は母が女性の役割分担によって乳という栄養分を子に与えて養っているという共同作業をしているのです。

なお時空座標において時間軸は縦軸です。すごいですね。このように字をじっくり見て行くと、これでもかと何重にも宇宙の構造を指し示していただいているのが分かるのです。

注1.原子を例にとると、プラスの電荷を帯びた陽子の周囲をマイナスの電荷を帯びた電子がいくつか高速で回っています。回っていることで成立している場は必然的に円形状になります。
注2.英語で、例えば2×2はtwo times twoと言う。

2016.8.5
続く
母は意識の中心核

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

波動関数が何かについて少し説明している記事
労多くして~でもチャレンジ、光の速度の話

父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

先月から父について書いてきました。口を閉じたままで発音できる唯一の音、そしてそれは全ての音の元であるとお話ししました。この閉じた音を光透波理論では「閉音、へいおん」と呼びます。母の音「母音」の前にはその音の元となる音があってそれが父の音「父音、ふおん」であると光透波理論では解釈しています。

この父音があってこそ出て来られた母音は開いた音、つまり「開音節」で、その母音を纏めた音が「AUM、オウム」であって、神秘学やインド哲学などでは宇宙の種音と呼んでいます。瞑想なさる方やインドの行であるヨガをなさっている方々も多分聖なる音として唱えていらっしゃることと思います。

では宇宙の種音と父音の関係はどうなっているのでしょうか?今まで誰も父音に関して何か研究した文献を著した人はありません。つまり前代未聞なのです。小田野早秧という人が初めてこの閉じた音の役割に気づいて研究をされたのです。これはとても重要なことなので心に銘じておいてください。

ではこれから宇宙の創生と種音の関係についての光透波理論的所見を少しだけご紹介します。

現在、宇宙はいわゆる「ビッグバン」によって始まったという仮説は多くの人たちに受け入れられています。元々は極小の一点(10のマイナス何十乗という極小で高温の一点)からの爆発によって始まり、いまだに膨張を続けていると考えられています。ビッグバンによって一点から開いて膨張を続けているということを「母音、開いた音」と取りますと、その前には何があったのだろうか。当時の科学では何もなかったという状態があった、つまり無だったとされていました。しかしそれは無ではなく何かがあったのだと小田野早秧は考えました。そしてそれを「前提宇宙」と名付けたのです。これは小田野の造語です。そういう考えが今までなかったので用語も無く、新しい用語を作る必要があったわけです。さて、この前提宇宙が無限に縮小してあまりの圧縮度に限界まで行き詰まった末にそれこそブラックホール化し、結果的にそして必然的に爆発反転して今の宇宙が出来たというのが光透波理論です。閉じた音が開くための産みの苦しみを経て開いた音の宇宙が出て来たという考えですが、この説明は今までには他にはありませんでした。

しかし最近になってその前提宇宙なるものがあったかもしれないという新しい仮説が今出てきたのです。そう考える科学者は量子の研究者で量子というものを研究して行くとそういう仮説も成り立つというところに行きつくらしいのです。
https://wired.jp/2016/07/29/big-bounce-universe/

これに、量子を研究したこともない人がすでに気づいていたのです。では何を研究していて気づいたのだと思いますか?

答は、そう、「音」です。音の持つ意味とその音の出来てきた順番性という両方の観点を徹底的に研究することで多くの気づきが起きたのです。母音の前に父音があって、父母の後に子の音「子音」が出て来たという順番性です。その意義がいかに重要であるかを人類はまだよく知りません。特に日本語を日常使っていない人たちは知る手立てを持っていない為に研究を促すようなきっかけがなかったのです。その「知る手立て」とは日本語の五十音の表なのです、ご存知のようにア、カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワの十行とそれぞれの行に含まれている五音です、合計で五十音、これにンを加えて五十一音、これが云音表です。これだけで前提宇宙という考えにも行きついたわけです。

これから先も引き続きこの音というものの意義をご紹介して行きたいと思います。
2016.8.2
フアイー父の愛

 

父の音、宇宙の種音

母音という言葉はありますが、父音という言葉がないのは何故でしょうか。そういう音が無いから言葉が無いのだと昔から決まったことのように思われてきました。ところが実はあるのだと言うことを納得できる理論で展開された方が小田野早秧という反骨精神の塊のような人です。小さな子供の頃から疑問が服を着ているような性格丸出しに、何故そうなの、何故、どうしてと家じゅうの大人を質問責めにしていたそうですが、多くの場合は、

「昔からそうに決まっとる」というのが答えだったそうです。

「これはどうも自分で探さなければ満足の行く答は見つからない」と早くに諦めて、それからは沈思黙考の人となり、持ち前の粘りと飽くなき探求心を持って「光透波」という前代未聞の理論を確立して行かれたのです。

お釈迦様でもキリスト様でもそうとははっきり教えていらっしゃらなかった究極の疑問に食らいついて、一心不乱に答を探し求めて生きた。人からはまるで狂人扱いにされ、家族親類にまで愛想をつかされる始末。でもどうしてもやめられない因果な性分なのよ。

生前何度もそのように述懐されていたことが耳に残っています。少しでも手がかりがあるとそれを掴んで決して離さずに突き詰めていった根性は凄まじいものでした。寝食を忘れてしまうのです。一日の生活の割り当て表を作り、22時間を研究に当て、残りの2時間を睡眠、食事、排せつ、身づくろい等に当てて数年がかりで作成された究極の答である「音と意味の表(云音表)」が遺されています。その表を手掛かりに父の音について少しお話しします。

まず母音ですが、日本語には5個あります。他の言語にはもっとあるものもあるそうですが、よく聞くと幾つもの音が重なって一音のように聞こえるだけで、語尾を伸ばしたり抑揚をつけたりしないで単純に一音節で発音できるという形での母音は5個だそうです。ア、イ、ウ、エ、オ(A,I,U,E,O)ですね。これに瞬間音、例えばKがつくとKA,KI,KU,KE,KO、カ、キ、ク、ケ、コという音になります。これらは子音ですね。

次にこの子音を伸ばして発音して見ましょう。

「カ~」と伸ばすと最後はアになります。同様にキはイになります。全ての子音は伸ばすと母音になることから、

「子音は母音に帰る」

と小田野先生は指摘しています。実際に発音して確認して見てください。次にここがポイントです。あらゆる音を思いつく限り、例えば自分の姓名を口を閉じたままで発音して見てください。サトウハチロウならどうでしょう。「ンンンンンンン」とぜんぶ「ン」になります。どの音でも良いので試してごらんになれば納得されることでしょう。これを先生は、

母音も含め全ての音は口を閉じて発音すると「ン」になることから、「帰る」の逆に、「出てくる」と結論づけされました。全ての音が母音に帰るのなら全ての音が出てくる元の音は何であろう。子音という子供を作るのに母だけでは足りない、父がいなければ。そういう大自然の法則を考えると当然出てきた答は父の音でした。父母があって子が出来る、そして父は先にあって、父が母に種を植え付けて初めて母は受胎できる。その順序でなくてはならない。

父音をフオンと読むと面白いことが分かります。英語では音のことをPHONE(フオン)と言うのです。音声学はPHONETIC、遠くに音を運ぶ機械はTELLEPHONEと言いますね。その昔ギリシャで音というものに付けられた名称をボオンと言わずにフオンと言うことをもう少し考えて見ましょう。

父が無くしては、母はその本来の役割である産生という活動ができない。そして父母が無ければ子は生まれて来られない。この永遠普遍の法則に則って作られたのが、音が云んでいる表(ンオンヒョウ)の骨格構造と順番なのです。

父あってこその私たち、つまり「宇宙の子」なのです。言い換えれば大自然の申し子、神の子なのです。
2016.7.8

続く
父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

 

 

縦の軸は父

生前小田野早秧先生がよくおっしゃっていたことに「どんな人にも両親はいるのよね、人殺しだって、詐欺師だってね」というものがありました。何回も聞いていましたが、その意味するところはほとんど理解していませんでした。両親の愛を知らずに育った人は大勢いるかもしれませんが、ともかく人は石や、木の股から生まれてくるわけではないのだということを何故かよく指摘していらっしゃいました。

両親があるという同じ条件下で生まれた私たち人間にとって、その親に対する思い、その親の子に対する思いや育て方で人生の悲喜劇が生じてくるわけです。親の生き様や考え方の結果として形成された人格が中心軸となって他の様々な環境的要因が加わって多種多様な人間性が表れてきます。その様々な人間が互いに関わりあって社会を作り、現代の人間社会が出来上がっているわけです。この現代社会を見てあなたは何を思いますか?

自分の周囲に幸せそうで満ち足りていて、穏やかな人柄の人がどのくらいの比率でいますか。そばに居るだけでほっとするような人、声を聞くだけで元気が出てくるような人はどうでしょうか。こういう人が大多数の社会を想像できますか?小さな集落ではあるでしょうが大きな集団、例えば国のような規模になると今の地球上にはおそらく無いと思います。

幸せな人とは幸せな親子関係を持った人(その親が生きていようといまいと)であるとインドの聖者カルキ・バガバンやロシアの覚者アナスタシアが指摘していますがその人たちの至言を待つまでもなく、常識的に考えても納得のゆくことですね。その親子関係を調えるための様々な手法を使ったセミナーで内観中にあることが起きました。父親が出てきたのです。実際に目の前に出てきた感じです。容姿も声や身振りもまったく父そのままの明瞭さで浮かび上がって来て、見つめると見つめ返してくるのです。そしてその目の中に悲しみと慈愛とが混じっていました。それから十年余り経った今これを書いている時でも私の目には涙が盛り上がってきます。甘酸っぱいような懐かしい涙です。話を戻して内観中のこと、その時の感情的反応をそのまま何もコメントせず見つめるようにあらかじめ指示されていたので胸が痛烈に痛む感情の激動を味わいつつ多くの思い出が映画のシーンのように目の前を通り過ぎて行くのを観察しました。その結果としてある気づきが起きました。

 私という人格の半分は機能していなかったのだ。私は不完全な器みたいなもので欠陥商品みたいなものだったのだ。私はまるで片親育ちの子供のような人間なのだ。

父とどういうふうに仲直りをすれば一番胸が楽になるだろうかと考えて真っ先に出てきた答えは「許す」でした。次が「謝る」、そして「感謝する」、そのあと「文句を言う」でした。胸に貯まっていたわだかまりをどっさり吐き出しました。許した後なので遠慮なく何でも言えました。甘えながら文句を言いました。肩を打ったりもしました。困った顔の父の目にはもう悲しみはなくなっていました。すっかり仲直りできた感じでした。後で知ったのですが2時間も経っていました。

母親との人間関係が悪い人は人生がデコボコ道のように困難が多く、父親との人間関係が悪い人はお金で苦労するとカルキ・バガバンは教えていらっしゃいます。私はこの時を境にお金の苦労があまりなくなりました。何かを売ろうとするとそれが一番市場価格の高い時で、すぐに売れ、買うときは値下がりしているというようになっているのです。これは功利的な点での話ですが、人間関係でも男性と気楽にリラックスした状態で付き合えるようになりました。以前は男性に対して構えがあったせいかそばに寄ってきてくれない人たちが大勢いました。怖いと言われたこともあります。衝突もよくあり、双方疲れるという結果になりました。振り返れば亡き夫には気の毒なことをしました。でもしっかり謝ったのでおそらく許してくれたと思います(ハハのんきだね)。

父とは先に出てきたエネルギー、男性原理で、命波では数値は「一」に当たります。まず父という縦軸が立って(成立して)初めて母という「二」の数値を持った横軸が立てられる。父母という二つの異なるエネルギーの性質が一体となることで「時空軸」が完成し、その後で「子」という森羅万象が生まれて来られる条件が整ったことになるので、古来日本では、

 一が二を生み二が三を生み、三が万象を生む

と言われています。両親が生きていようといまいと自分の心の中で起きている嵐のような葛藤は仲直りすることで静まります。嵐が去ったのちに訪れるものは平穏です。心の中心軸に平穏な安定性が出来たとき、その人は周囲の人から見ると幸せで、穏やかで、ほっとするような人になるのでしょう。それでも人生の荒波に対して時には振れたりはしますが。私ごとですが今はその時で、一緒に暮らしている家族が生命の危機に瀕していて余命いくばくという状態が続いていたのですが、今奇跡的に小康状態になり、こうしてようやく何かを書く気になりました。
2016.7.1記

続く
父の音、宇宙の種音

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/