時を解する者と五次元思考

最近読んだ文で、人類の歴史に関して、100万年前、1万2千年前、5年後の未来展望等々。あることが起きた、起きる可能性がある等々。これは時間というものを尺度で区切っている思考形態に基づいています。日本語には時間と時刻と二つの単語があります。これは驚きです。間という「何も無い時」と「刻まれている時」、つまり時間を区切って時刻にして、日常生活を営んでいるのが人間です。他の生物には時刻という観念はありません。時計という道具を動物に見せても意味不明でしょう。他の生物は、「今というその瞬間」に「無心」で生きています。人間だけが、刻まれた時を時間と混同して生きているのです。これに気づくことが理解の第一歩です。

時は過去、現在、未来と直線状にあると思っているか、そうでないかが、神秘家が言うところの「三次元思考」と「五次元思考」の違いだとしておきましょう。神秘家の中には、五次元思考が「アセンション」の必須条件だと言っている人たちがいます。これが現在の風潮のようです。五次元という観念に関する命波の理論はここでは論じません。

さて、「時」は何かという理解力によって何がどう違うかということを、光透波理論/命波理論(以後命波と表記)、に基づいて考察してみましょう。あくまでも私の理解の範囲です。

時をトキと読むと、命波の字の鍵を参照して「透基」と当てられます。透明とは何も無いという意味です。それが基本となっているとすると、「何も無い時」とは何でしょうとなります。時間の経過など無いとも解せます。ジと読むと、磁が当てられます。中心に向かって引き寄せられる力の方向性(求心性)です。これに対して反対の方向性は電性(遠心性)で、合わせると「電磁場」ですが、実は順番で言うと、「磁電場」だと命名されたのが、小田野早秧先生です。順番は非常に大切なので、これからは磁電場と表記します。

さて、時は英語でTIMEと言うので驚きます。数学記号では「×」です。加減乗除の「加・乗」です。加えられている情報とは、言い換えれば磁性なので、求心的に機能しています。求心性なので定着します。例えば、磁気テープ、CD/DVD等は情報を磁気的に定着させて保存し、それを再び音楽、画像、動画等に戻して再生することが出来ます。電性だと、それこそ放電してしまい、記録は出来ません。

これを私たちの認知機能に当てはめて考えてみましょう。考える機能の基本的条件は「言葉」です。言葉を使わずに考えることは出来ません。そして、言葉はそれを使う人の思考能力によって曖昧・意味不明から明晰・明快まで様々な段階があります。この思考力を培い、より明晰に明確にして行く作業があります。考える対象を決めたら、それに関する情報を収集し、様々な観点から考察して行く過程で役立つのは先駆者の発見を定着させている情報の再生道具である、文字を使った書籍、と各種の磁気情報です。霊感/インスピレーションとか高次元意識からのメッセージ等はここでは論じません。

考える対象は現在「時」ですので、今はこれを考察して行きます。

先に人間以外の生き物は、「今という瞬間」に生きていると書きました。では「今」とは何でしょう。「時間の経過の無い時間」と言えば分かりやすいかもしれません。一億分の一秒でも時間の経過はあります。この瞬間という言葉の意味を理解すると、時間というものの本質・実体の理解につながります。

命波では時性とは磁性であり、順番で見ると「一」、すなわち絶対(相対なら二)であり、かつ二つのエネルギーの流れで先に出来たと見ています。この先に出来たエネルギーが「父性」であり、加えて行くことで、その集積が反対方向に反転する因になっていると解しています。因に何も無かったら反転出来ないからだということです。反転すると出来るのが電性でこれが「元→二+ル」で二が出てきます。二がル(立つ)と出来るのが磁電場で、私たちが存在していると認識している相対界、すなわち物質宇宙です。

先ほどから「何も無い」という言葉を使ってきましたが、これを理解するのに、とても便利な単語が英語にあって、アメリカ人のスチーブ・アールさんが小田野先生に伝えたところ、「ビックリ仰天、今座っていた処から地球の反対側まですっ飛んで、出たところがイギリスだったわよ」と仰っていました。何故イギリスだったのかは聞き漏らしました。

その単語とは、Nowhereで、何も無いという意味です。これを字分けすると、NowとHereで、今と茲(此処)になるので、それを教えて下さった先生は世界の宝ですとスチーブさんが先生に言ったのです。

今茲とは何も無いとう意味で、この「無」というものの理解が、時というものを理解するには不可欠なのです。

ねえあなた、「何も無いというものは、有るの無いの?」

これは私が先生に師事した初めの個人授業での最初の質問でした。

勿論何のことか全く分からずきょとんしていました。それから30年。ヤットコスットコここまでたどり着いた次第です。

時間と空間というものは今と茲で、無なので、当然真空透明。そして時間を解する者が空間を超越して距離という概念に縛られることなく「瞬間移動」出来る能力を発揮できるのではないかと、そのように推察しております。まだ出来ませんけれど。

過去現在未来が直線的に流れていて、空間が距離だと認識している人間は、言うなれば檻の中に閉じ込められている囚人のようなものです。重力場に縛り付けられているわけです。重いは思いで、重くないのですが、これは又、異なる話題として今はこれまで。

2025.03.20

父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

縦の軸は父

フアイー父の愛

 

言葉の力は良い方にも悪い方にも使われる

フロリダに住んでいた時の話です。

フロリダに来る前にブラジルにしばらく住んでいた日本女性と知り合いになり、よく一緒に食事したり、ショッピングや観劇に出かけたりしました。A子さんとしておきます。気が合うのか、おそらく食事とアルコールを楽しむことが出来るのが楽しいのかで友達になりました。飲まない人と違い、長時間食事をしながらおしゃべりが出来るので普段は言えないことも「ついポロリ」と出てしまうものです。ある時、ブラジル時代の体験をその人が打ち明けてくれました。

その人の夫は裕福な商社マンで、派遣先のブラジルで女性と浮気をしてしまったのです。相手は若い美人で、向こうから近づいて誘惑してきたと言い訳したそうです。その女性が「すぐに妊娠して」結婚を迫って来たそうです。もちろん論外なので断った夫は慰謝料を出すと申し出たのですが、聞き分けてもらえないので、困って妻に打ち明けたわけです。

ある夜A子さんは胸の上に何かが乗ってきて、苦しいのに体は麻痺したように身動きもできないような状態になり、声さえ上げられなかったそうです。死ぬのではないかと思ったのですが、何とか夜が明け、そのことを現地の知り合いの友人に相談したところ、浮気等の事情も聞いた後でその人が、おそらく呪いをかけられているのだと教えてくれました。

呪いをかける呪術師は「黒魔術」を使うのですが、これに対して「白魔術師」もいて、呪いを跳ね返してくれるそうです。黒の方より強い人でないと出来ないそうで、値段が高いと言われましたが、もちろん出しますと言って頼んだそうです。その時に、黒魔術師がもし負けたら、跳ね返された悪いものはその人が受けるので、死んでしまうこともよくあると教えられたそうです。

それを聞いた時に私は、黒い呪いのエネルギーは跳ね返された後に消えるのはなく、出たところに戻るということだと思いました。白いエネルギーが分解消去してくれるのではないということを学びました。それがもしかしたら呪術師の使う言葉の力の限界なのかもしれないと後で思うようになりました。光透波理論を学ぶようになってから、「言葉の力には段階がある」ということが理解できるようになったからです。力対力で打ち負かすのであって「吸収して分解し無害化」するわけではないということです。あくまでも「二項対立の世界」における戦いなのでしょう。

さて、日本語には端的なことわざがあります。

人を呪わば、穴二つ

※「穴」は墓の穴を意味し、呪い殺す相手と自分用に墓穴をふたつ用意することを指すそうです。

2024.09.28

完結、あたりまえだけど、そうでないこと

朝掃除する為に階下の普段使わない洗面所に入り、内部の照明が二つ点灯したままなのに気づきました。最後に使われたのは24日なので、3日間点きっぱなしだったのです。
これは照明器も劣化しますし、電力も消費されます。
その時に頂いた文字が「完結」でした。

部屋に入る → 暗い →点灯する →部屋を出る前に消灯。

何かを始めたら、一連の作業工程を完了、完結するということを普段しない傾向があるとこういう事も起きる可能性が高まるのではないかと思いました。

光透波の研究生の中に字分けを完結しないで、途中で諦める人が大多数で、そのまま研究と探求が終わってしまうようです。作業の一つを完結しないという「心の働き」が傾向としてあるということに気がつく良い機会だと思い、文にしました。何かを始めたら、たとえ時間がかかっても一応完結するということを続けていると日常生活においても反映されてくるのではないかと思います。

何かを始める行為が「加」わり、それが運(云)ばれるには「頭を使う、四肢を使う、時間を使い」ます。作業(務め)をするには数(狂い無き順序性、段取り、結論付け)の働きが必要です。それは人間に備えられた生来の機能です。それを使うことで、真の意、人間として機能する、つまり「汰」、よなぐ(物事を整理し、仕分けし、作業順序を計画する)ことが必要とされます。これを通じてこそ、「完結」するという結果が出ます。訪問先でその家の方に嫌われたり、迷惑がられたりする人は、相手に対する「慮り(おもんばかり)」が少し足りないのではないかと思います。今はオモンバカリなんて言葉もあまり使われていないかもしれませんね。

以上、年寄りの独り言を記事にしました。

以前書いた時には気づかなかったのですが、「心のわだかまり」が減ると、他者に、口うるさい、独りよがり、嫌味等の評価を恐れずに発言が出来るようになるのだと思いました。「思ったことを真っ直ぐに言いなさい。残念なんて念を残さないように」と母に言われたことを思い出します。20代で十二指腸潰瘍になり、くよくよ気を使うと命に関わると気付いて自由奔放に生きることにしました。それほど自由でも奔放でもないですが、まあ「ほどほどに」。

最後の断捨離

文字通りその2 直通

2022.02.02 6:39に「直通」を頂きました。先ずはを分けました。

これだけで私にとってはゾクゾクするほど「その通り」なのですが、説明も加えます。

というのは私達が命を頂いて生活している「場」である地球という惑星も含めて、あらゆる物質の存在を有らしめている創造の源、言い換えると「命の實親」を指します。沢山別名があります。「創造主」、「真空」というとよりピンとくる人もあるでしょう。

この空がっているというのはどういうことなのでしょうか。何もない空がどうやって養っているのでしょうか。

一足飛びに、「何も無いものが智慧そのもの」なのだと言えばこの話は終わりです。でももう少し続けさせてください。

日本語では漢字に読み音が二種あり、先に音読の音に「字の鍵」から文字を当てました。次に訓読のナオに当てた文字の意義を見てみましょう。

という字を分解すると「大=小」となります。これは凄いことなのです。大小は物質の持つ特性です。空に大小はありません。それだからこそ、(統治する者である他に数字の4の古字でもある)それが真ん中を意味すると同じ音を持っています。は大きいという意味があるとともに絶対の一者()と分解できます。絶対の一者とは創造主、絶対神、あるいは在りて在る全ての物をも意味します。互いに関係があることはこれで分かります。

その直が透明の命の内容だというのは開くと出てくるからです。は一つの次元から上の次元へ開くという形であることから、光透波理論ではと取っています。

絶対の真空の創造主とじているとは究極の恩寵と言えます。神は死んだと言って自殺して哲学者もいましたね。通じていれば孤独でもなければ苦しみも不信も無い訳です。

それを今日頂いたのですから感謝しかありません。じているとは、実はまったく当たり前のことで、創造の源が生命の源ですから、その人が知っていようといまいと生かして頂いているわけです。生命エネルギーの供給が途絶えたら途端に死んでしまうからです。

これがものの道理というものだと分かっていれば当たり前が実は大変なことで、「有り難い」わけです。

直について更に拡大して見ましょう。ジカとも読むのです。「字化」と当てますと、しているととれます。真空という見ることも触れることも出来ない「透明の実体」が見えるようになっているのがなんと、字なのです。「字に化けて」私達が見て、分解して、どういう構造になっているのかまでが分かるように備えられてあるのです。

なんと凄すぎるまでの親切な設定になっているものが文字の真の存在価値なのです。どうぞこれに気づいてください。「ああ又字分けなの!面倒くさいわね」、と飛ばして文だけ読んでいる読者の方が多いかもしれませんが、字分けの画像の方もどうぞジックリ(字通空理)と見てください。

自分を知るのには字分をするのが遠そうで近い道なのです。

壬寅を分けたら文字通りだった

壬寅という字を分けて見ると、「分けて文字通り」でした。少し説明いたします。あくまでも私個人の見方ですので、他の人が分ければまた違う見方が楽しめます。

 

は「天鏡図」、つまり音に宇宙共通の意味を当てた、文字という真理を指示している「鍵」と取ります。小田野早秧先生は「文字の鍵」と呼んでいらっしゃいました。鍵が無ければ音の意味を探る手立てがないからです。

また、上の図ではが意味をんでいると出ていますね。その図のきとはスパイラルで転しているエネルギーの力にってその活動する状態、実態、機能、目的等を示しているのですが、見ただけでは理解できません。読み解いて理解し、納得して行かなければ身につかないという仕組みになっています。身につかなければ現象を起こす原動力にならないのです。現象を起こさなければ地球や天のお役に立てないのです。

明な実体(なので実体という意味)なってんでいるのは「字」ですが、人がコトバで考え、積極的に分けないと答が導き出されて来ないのです。誰か他の人が分けたのを見ただけでは積極的ではないので、身につかないという仕組みになっています。

(トヒ)を頂く前提です。絶対(の意)宇宙(透明の宇宙・實の宇宙・真空・無)は振動する波にって森羅万象を創造、運行、維持しているので、これは始めからそう出来ています。自然とは「自ずから然らしめられている」という意味の字ですので、どうしてそうなったのかは分からないのが当たり前で、これをどうしてかと探るのが人に備えられた好奇心というもので、止められません。

ところがこれを何と人は理解できる能力を持たされて生まれて来ているのです。宇宙の子である「字」を書き、読み、理解出来るのは人だけですから。ただ、自分の潜在能力をほとんどの人は自覚していませんが。

出来たのもをほとんど理解していないのが人間です。毀せますが、作れないのです。髪の毛一本、血の一滴一つ作れません。理解が深まると「ほとんど何も知らない」自分に気づきます。それでやっと謙虚になり、感謝心が起き、おそらく今あるがままで幸せなのだと思えるようになるのだと思います。

ダイオキシンを持ってきてください

小田野早秧先生がある時誰かが持ってきた古くなってカビの生えたカレーを見て、箸でグルグルっとかき回し、食べ始められました。驚いて「先生そんなことしたら、お腹毀します」と止めました。

私の顔を見て、「別に大丈夫ですよ。でもあなたは止めた方が良いかもしれないわね」とおっしゃいました。

しばらくして、「あのね。今ダイオキシンという毒について騒がれているでしょう。枯葉剤かなんかで。それが食べ物にも入って来ているって。あれを今度持ってきて下さらない。私それを飲んで見せますよ。多分何ともならないと思います」

目を白黒させて、先生のおっしゃることの意味も解せずにいた私でした。まだお伺いして日も浅く、光透波のエネルギーの何たるかも何も知らないに等しい私でした。

何が言いたいのかと言いますと、ある人には毒でも他の人には毒ではないということの意味です。人それぞれ自分の体を健康に保つ機能を持たされて生まれて来ているのですが、その後の生き方でその機能がどんどん失われて行くもののようです。そこで毒を字分けして皆様にもシェアいたします。地球環境も汚染で「毒化」してきていますので、それで病気になっている人たちが周囲に大勢いるからです。

生き方と物事の捉え方次第で、個人差が出てくるということになります。ダイオキシンは試しませんでしたが。

2021.8.24.11.14 毒という字を頂く

 

 

まず、この宇宙の成り立ちは、先にエネルギーが中心に向かって集まって、集まる毎に重力が加えられ、加圧の果てに究極の黒一点となり、これ以上行き場もない結果として爆発反転して拡がり、現宇宙という電磁場が出現したという順序性を見てみると、磁性が先、次に電性が生じたとなります。父の磁性(閉じている状態・閉音=ン)があって、母という電性(開いて母音が出来た)が出てきたわけです。

求心の極みの閉じた状態から遠心の開いた状態が出て来たのだと踏まえると、毒は毒ではなくなります。法則性を理解すると「毒」という概念が「道空―空の道」という天然の普遍的意味に変換されます。空は天ですから天への道と取れます。天への道はそれ自体がの叡を指しています。その實智を理解するには、自分で考え(る、つまり考えるという行動を意味することを字が教示しています)天(アメ)へのは各人の足で踏んで行くというのが「」という字で示されています。天への路とは(十ト一ヒ→)にりです。

隠されている意味が現れる(露呈と言います)のは概念を天然の意味に変換することで可能となります。宇宙の(干・電磁場)の成り立ちと法則をめて天へのを私も歩んでいるわけです。

ぜロから無限まで永遠に続く数ですが、かれて部分的に示されます。例えば日付です。それで日付をサイン(メッセージ)と受け止めて、意味を探ります。

2021はこの前の字分けで書きましたので省きます。8.24.11.14ですから、8(H)は24(X、エクス工空数)、タクミという知恵をを通してる)。それをするのは14(N、ン)が母の働きで開いて出て来た「ナニヌネノ」、真ん中にある「ヌ」は奴(人間の意)で、その責務は、音の能(ノ)を何(ナ二)と問う、考えるという仕事です。11もやはり十トと一ヒ、問です。そしてアルファベットのKの順番です。計は全き(十全の)言(コトバ)ですから詞という、光透波を指し、同時に計らいという意味もあります。人智で計り難い計らいで、計りしれないのが私の拙い理解力です。でも24を足して一桁数に戻すと6ですので、ム、務めと取り、各人の務めとも解せます。ツトメ、透明に通じるまで務めることでその積み重ねが毒を毒でなくなるまでの人に培って行くのでないかと思います。これは言葉を使って、文字を分けて行います。そして概念でガチガチに固まった自我意識を回答を通して解凍して、理解して行くわけです。これでもう毒なんか少しも怖くなくなります。死ぬのも、病むのも怖くありません。とてつもない解放感です。は不断にれています。「バカの壁」で遮断しないでただ悦んで受ければ良いだけです。時には非常に厳しいのが愛ですが、感謝して頂いております。

2021.08.25

人新世の「資本論」を読んで

人新世の「資本論」を読んで

長年に渡り、地球の代弁者を自称している母親(霊鷲太母)の哀しみを見ながらどうしてよいか、私に何が出来るのかと悩みました。悩みから逃れる為の様々な逃避行為もしてきました。

光透波理論を読んでもそれだけで、私にとっては具体的に何をしたら良いのか明らかな答えは出ませんでした。理論に不備があるのではなく、自分の理解力の浅さと実践の足りなさが原因です。どのくらい浅いかということについは後程説明します。ここで言う実践とは「理解への鍵となる字分け」のことを指します。

人間という思考力を頂いて生み出されてきた私達が「理解していれば」それが宇宙という「場」全体に影響を与えるということ、つまり「人という、言葉を操り考える能力を与えられた存在としての責務を理解して行くという行動」で人類社会が招いた数々の災害と残虐行為等は糺されて行くのか?現在の地球の状況を見ていると「果たして間に合うのか?」という疑問と焦燥です。

実は糺されて行くのですが、それにはもっともっと多くの人が理解し、真の宇宙とはどういうものなのかを理解して行くことが必要なのです。「変化を現象させるうねり」を起こすに足る人数です。

小田野早秧先生を始め、アナスタシアによる貴重な教え、霊鷲太母が遺していってくれた「舟を岸につなぎなさい」と「仏眼」、これらは自分にとっては貴重であり、個人的には「心の断捨離」もほぼ終了することが出来ました。でもまだ足りないものがたくさんあるのです。

宇宙の、いや真空の、無というゼロの「場」の構造と働きを理解するには追及が足りなかったのです。今小田野先生の理論を学んだ人々でさえ地球環境の酷さの影響を受け、肉体的に弱っています。縁あって治療をさせて頂きながら、そこで又学ばせられました。理解を深めて行くのには「命の本質」を突き止めて行かなければならないと、病に指摘されているのです。今全世界の人々の大多数が「病気」です。厳しい指摘を受けているわけです。人は「気息奄々」にならないと行動を改めることをしない癖があります。

突き付けられた課題はとてつもなく大きなものです。人類全体の「気づきとそれによって可能となるあらゆる生物に対する愛他心の確立」です。あえて「開眼」あるいは「悟り」、はたまた「アセンション」とは言いません。そんな謂わば、「絵にかいた餅」を追い求めて苦闘することは必要かどうかさえ分かりません。また効果的なのかどうかも分かりません。何故ならそれを実現した人の数の少なさです。私としては「開眼云々」という状態は行動の結果であって、それが起きるか起きないかは自分で決められることではないのだと解しています。今まで見えなかったもの、明らかでなかったものを理解するには踏まなければならない道程というものがあります。カンニングは利かないのです。道理を理解することなく、何か奇跡的な「開眼」という結果を得ようとしてもそれは起きないということは既に見て来ています。

要は、「自我の消滅」を目的(本末転倒です)としないで、「自我意識」を持ったままで、それでもなおかつ具体的に何をすれば良いか、何が必要か、何が必要かということを明確にした指針があればそれを伝えて行くという仕事の一端は担えます。自分に授けられた範囲での才能を無駄にすることなく活用することで。

その答の一つ、いやもっと幾つかありますが、それを明確に、分かりやすい表現で示してくださっている本に最近出会いました。

斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』です。現在の、いやもっと昔から続けられてきたのですが、資本主義という経済機構が必然的にもたらす地球全体にわたる「気候変動」の危機に大きな焦点が当てられています。今、気候変動を否定する人はいないでしょう。実際に誰もが被害を受けているからです。夏に冷房が無くていられますか?自分でなくとも知っている人達が洪水や台風の被害にあっていませんか?干ばつと洪水と農地の汚染よる農作物の減少で、新鮮で美味しい食品の入手に苦労していませんか?他にも貧富の差による圧倒的大多数の人達の極度の貧困と飢えや、過労死するほど働いても楽にならない生活を目の当たりにしていませんか?

アナスタシアの言うところの「人類滅亡につながるテクノクラートの世界」、『舟を岸につなぎなさい』で16の議題として提示されている、いくつかもここに挙げておきたいと思います。議題に対する答えがこの本にあるからです。以下の三項目です。

一 文明が大車輪で発展すれば、災害も大車輪で大発展することに目を留めなさい。なぜか?

九 人類の苦しみの第一因は、要不要の算定を無視した物品乱造であり、悩みの最大因は、乱造せざるを得ない経済機構にある。ということについてと、その重苦から脱する方法について

十 物品乱造の結果、乱費となり、これが人類と他の万物との関係をどのようにしているかについて

この本に全ての答がある訳ではありません。経済学的見地に立って、理解すると、それだけでも地球蘇生の一端を担う一員となるかもしれません。斎藤さんは3.5%効果と呼んでいます。人類の3.5%が「そうか、そうか、そうなんだ」と分かったら、「起こってくる変化がある」のだと言っていらっしゃいますが、私もその意味が他のいくつかの教えと照らし合わせて納得できます。

後は光透波理論で示されている命の本質に対する理解を深めて行くという行動が、それを理解できる日本人と日本語を使って生きている人々に課せられている責務だとお伝えしたいと思います。人類の何パーセントかは分かりませんが、日本人の何パーセントかは理解しないと「変化のうねり」は起きないと思っています。光透波理論を学んでいない人たちにとっては斎藤さんの本が背中をどんと押してくださっていると思い、感謝しています。

以下は字分けです。

2021年8月に三人の知人が病気になりました。

人が肉体を持たされて(個として)生み出されて来た(子)此処(茲)、現世という「場」は肉体があるが故に、生きる為に戦い、切磋琢磨し、しかし反対に家族を持って愛と友愛を味わい、学んでは理解し、更なる試練や不都合を乗越える為に知恵を絞って行く、そういうところです。真言は少なく虚言の多い人類社会で、個人として孤独に耐えながら、あまりの辛さに愛を求め、騙され、利用され、「何故生まれて来たのだろう?」と悩み苦しみます。命の實親である宇宙親の元にUターンするには此処(茲HEREヒヤ日/時 也)という場にいる間に学ばなければ、親の意図が成就しません。叡智にもいろいろありますが、宇宙親の叡智は全知であって、普く負っている、つまり欠損欠落のない叡智です。でも誰もがあらゆる答を得ることはできないのです。降りて来た「場」の規制と限界内で生きる過程で突き付けられた難問の「答」を得るために「問う」ということをすることが課題なのです。「問えば答は頂ける」のはいつもいつものことで、体験ずみです。でも頂ける答もどれほどの名答かというのはその人の理解力に制限されてしまいます。練習、鍛錬を積むことで限界は広がりますが、それでも終わりなき道ではあります。何故なら、至高の答(T)の透明度、明快度はあまりにも深く、自我意識を抱えて生きている人の理解がはるかに及びません。それぞれの限界内で理解できる範囲の答です。これを積み重ねて行くのが、8方向にリカヒ(理解)のヒカリ(光)、即ち波紋のように拡散して行く知恵(波智)、を放って行く影響力の大きさに正比例して行くと捉えています。

命の場でどれだけ「イノチ意能智」というものの本質を理解しているかが命の健康度に響いて行くのではないかと思います。病は「愛の鞭」です。「無知で真の叡智という愛」は受けられません、実は受けているのですが、それに気づけないのです。無知とは知識が無いという意味ではなく、不断に平等に与えられている叡智を拒絶している状態を言います。壁を作ってしまっている状態の人のことを指します。以前書いた記事の中の表現ですが、「バカの壁」です。全ての現象体は人間も含め動植物も平等に親の愛を受けています。ただ人間はそれを認識できないのです。たまに認識しても、「自分は賢い、人より優れている」と自負した途端に真の叡智との間に壁が出来てしまうのです。

これは自分でも毎日確認して戒めにしてゆくつもりです。

2021.08.20

日本人は死なない、死ねない

この一年半ほどでコロナウイルスによる脅威とその感染予防対策で世界中で大きな変化と混乱が起きています。ですが、これをどうこう言う為にこの文を書いている訳ではありません。本題に入る前に一年余りで出た統計についてお話ししたいと思います。

先ず、国別の感染者数と死亡者数がまとめてありますので、これを見てみましょう。統計はデータをどうとったかで結果が違ってくるものですから、大体の数値です。アメリカの友人たちに聞いたところでは、全米で半強制的に検査をさせられたそうです。症状が出ていようといまいと検査をしないと移動ができません。他の町や、州に行けない、レストランに入れてもらえないので、仕方ないのです。欧米諸国も大体同様です。それで、感染者数がかなり多くあると分かったわけです。あまり検査を徹底していない国では当然数値は低くなります。それも踏まえてのお話しになります。

多少の不整合性や検査法のバラツキがあっても全体的に見て、日本人は感染者数も少なく、死亡者数も非常に少ない。下のチャートを見ると、100万人あたりの死亡者率では世界で16位となっている。いわゆる欧米諸国がダントツに多く、アジア、オセアニアは少ない。

 

日本人感染者と死亡者が少ないのが何故かは分からないので、「ファクターX」と呼んでいる学者もいますが、そこにリストしていないファクターがあると私は思っています。

それが、毎日私達が使っている言語にも関係していると思うのです。

日本人は小数民族ではないのですが世界でもユニークな民族で、他のあらゆる国のどの地域の人々とも全く異なる言語を使用しています。根本的な違いは、全ての単語の音節が母音で終わるという言語です。世界中のどこの国でも日本語は使われていません。そして印欧語族とか何らかの語族にも属していないユニークな言語なのです。日本人の脳がユニークだという点はすでにご紹介しましたが、脳の左右の半球の機能に優劣がないということなのです。これが原因かどうかは分かりませんが、日本人はあまりけんかをしません。不協和音を嫌う、悪く言えば「ことなかれ主義」だそうです。自己主張もあまりしません。白か黒かという議論をしないのです。だいたいグレーです。どっちでもいいんじゃないかしら、です。

最近外国人の女性が日本語の力について語っている動画を友人が教えてくれました。最後にとても大切なことを教えて下さっているので全部見てくださいね。

https://www.youtube.com/watch?v=oyno-NNbwqU&t=701s

アリシヤさんは日本人は優しい、それは日本語の力で、自分も日本語を使うようになって優しくなったと言っています。

世界は今分断され、闘争が止みません。覇権を競う心を持つ人たちが勝敗で価値を決め、人類社会を支配しています。経済効果優先なので、地球は汚れ切っています。海洋汚染の画像は見たくないかもしれませんが、掲載します。人体の60%以上は水なのに、水が汚染されているのですから、当然大地も汚染され、結果的に病人だらけになっています。ウイルスの脅威を心配するより地球の汚染を心配するほうが先なのに。原因があって結果をつきつけられているだけです。私達みなの責任で、誰を責めてもどうにもなりません。最初の画像の美しい海を見ると、幸せな気持ちになります。以下の画像は人間がしたことです。

あなたが裁くと宇宙が汚れる

今年の初めに頂いたメッセージです。身につまされました。

裁くのを止めるというのは難しいですが、これは自分で出来ることです。戦いを止めるのには先ず、「許す」という行動が先です。過去の恨みを捨て去って、それぞれの違いを認め、尊敬し、優しくなること以外にもう出来ることはあまりありません。経済効果優先主義も元々は覇権主義から出ているので、汚染に歯止めをかけるには勝敗レースから外れれば良いのです。より多くの人が裁くのを止めるという方法は、「急がば回れ」みたいなようですが、一番の近道ではないかと思います。この記事の始めに日本人の死亡率が低いというチャートを出しました。私の考えでは、ファクターXとは日本人の存在理由なのです。

日本人は死なないのではなく、死ねないのです

役目があるからです。日本は「大和」とも言います。大きな調和が世界を平和にする影響力を発揮するのだと思います。ヤマトと読みますので、世界平和というに向けてを放つ(行動する)のは大調和の波動を毎日言葉で発している日本人の役割なのです。

最近嬉しいことがありました。イギリスの友人が教えてくれた地球に優しい発明です。プラスチックの代用品がキノコを使って費用もあまりかけないで出来るのだそうです。嬉しくて涙がでました。地球に優しい人たちが増えてきて、こういう発明をしているのだと分かると有難いです。

https://www.treasureislandsweets.co.uk/eggs-strawberrys-fruity/foam-mushrooms.html

https://tabi-labo.com/297610/wt-haecklesnewpackaging

https://ecovativedesign.com/about-our-materials/how-its-made/

2021.03.11

 

 

 

 

 

猫の神様

一昨年くらい前からどこかの猫が家にしょっちゅう来るようになりました。大きな茶トラで、体の大きさに比例してかなりの量の糞をわが家の庭の土の上にする習慣がついてしまいました。どこの猫かも分からないし、仕方なく糞の始末をしていました。玄関わきのベンチがお気に入りの場所で、悠然とそこで日向ぼっこしているのをよく見かけました。それも仕方ないと思って我慢。脅かしてもその時だけ逃げて、また戻ってくるからです。

しかしある時にベンチの上に嘔吐したものが飛び散っているのを見かけ、近寄ると周囲の壁や、タイルの床にも飛び散っていて、乾いてしまっていたので、洗い流しに手間がかかり、さすがにもう嫌だと思いました。

それから数日後に散歩で近くの江ノ島に行ったおり、神社の掲示板に、「私達を連れ帰らないでください。野良ですが、島の人たちが世話をしてくれているのです」と猫の絵入りのポスターが目に入りました。それで、江ノ島には「猫神社」があるのを思い出し、フト(フト、というのはインスピレーションが入って来たしるしです)、猫の神様にお願いしたら良いかもしれないと気づきました。

犬猫撃退剤など使いたくないので、「家に猫が来ないようにお願いできますでしょうか?」とわが家の情景と猫の姿をイメージしながら訊いてみました。「はい」という返事が来たように感じたので、お礼を言って、帰宅。

それから数か月になりますが、一度もその猫を見かけなくなり、糞もまったくされていません。「猫の神様」の霊験あらたかでした。

あらゆる生き物にはその種族の元締めのような、いうなれば知恵ある意識があるというふうに、私は受け止めています。動物園で寝ている夜行動物を見たいので、「コアラの神様」、「ワラビーの神様」、その他もろもろの種族の神様にお願いしたところ、どの動物も寝床から這い出て来て、写真を撮らせてくれました。終わるとまたサッサとねぐらに戻って寝てしまうので、案内係の女性がびっくりしていました。

 

では人間はどうでしょうか。人間の場合は「人類の集合意識」という表現が分かりやすいかもしれません。知恵というものは形がなく、見えも触りもできません。どこかに在るとか場所もありません。ですが、その集合が有るというふうに思ってください。そう思えばその人の意識の中で「人類の意識の集合」という位置が座を占めます。一旦座を占めることでアクセスする焦点が出来ます。そして「つながる」わけです。いきなりつながるかどうかは私にも保証はできませんが、少なくとも基盤はできたので、あとは信念と練習が功を奏するでしょう。

存在とはそれに付けられた名称で、名称(コトバです)が存在を確立するのです。名前が無いものを想像することはできません。想像できれば、ある時ある状態に達したら創造ができ、現象を起こし、願った成果も出てくるという仕組みがあるのに気づいてくださると、きっと楽しい体験ができることでしょう。 

以前投稿したものですが、内容を捕捉していると思います。

「バカの壁」を越えて見つけたこと

2021.03.09

 

 

 

時間性能が全ての原因!驚きの見解

光透波理論を長年教えていらっしゃる八田光典さんが分かりやすく説明をして下さいました。PDFを添付します。
時間性能が何故原因なのか?

今年は丑です。 丑 → 二 + 刀 

二フ普を負っておられる刀(無上の力)こそウシ宇宙詞のことです。2021年からはTU(注。アルファベット20番目の文字はT、21はU)ツ通、通うと取れます。この丑という文字の意味に始めという意味があるそうです。またチュウと読むそうですから「中」と取ると内側であり、「宙」と取ると八行目の「ユ由」に「ウ」が加わると「宙」の字になります。(注。宙を分けると由とウになる)

「宙」から「ウ場」に至ると即「ユ由(誘、結、湧)」の大誘導が起こるのではないかと思います。

八田光典