見る喜び、美の形

 

桜
桜が散ってしまい急に淋しくなった周囲の景色が他の花々によって新たに埋められてきました。我が家の庭は白い花が多く、それはそれで華やかなものです。こでまり、ジューンベリー、ドウダンそしてシャクナゲと大中小の白い花が次々に開花。それらを見ると胸がときめきます。人は普通美しいものを見ると喜びという感情が湧き起こるようにできています。ただしそのような感情があまりない人たちもいるそうです。

2009年に発表された二つの調査の結果を見てみると次のことが分かったそうです。

まず精神病質者ではないと鑑定された一般の人と犯罪者として投獄されている人の内反社会的人格障害者(注1)と診断された21名の人の脳の違いを調査した結果、脳の前頭葉の二つの部分に関して大きな違いがあることが分かったのだそうです。一つは中前頭回(注2)という場所、そして眼窩前頭回(注3)という場所、どちらも嬉しいとか楽しいとかの豊かな感情を起こさせる場所だそうです。中前頭回の働きを促進するような軽い電気的刺激を与える実験で笑いを引き起こせることが分かっています。反社会的人格障害者において中前頭回が平均18%、眼窩前頭回が平均9%も小さかったそうです。

次に精神病質者27名を普通の人32名と比較した調査でも違いはでたと発表されています。この場合は感情のセンターと呼ばれている大脳偏桃体が平均18%小さかったそうです。
https://m.livescience.com/13083-criminals-brain-neuroscience-ethics.html

豊かな感情は子供の頃にその元が養われるそうです。凶悪犯罪者の多くがそうである社会病質者、精神病質者は憎しみや強い怒りのような感情はあっても喜びや幸福感のような感情の方は枯渇したような人が多いと言うことなのです。美しいものを見て美しいと感じることは当たり前と思うでしょうが、そうではない人たちも大勢いるのです。惨たらしいものを見ると面白がるという感情は美しいものを見ても感動しないということにつながっているかもしれません。また、人工的なものは美しくとも自然の美という完ぺきなバランスをもった形に比べると不完全なものも多々あるかと思います。美に対する感動は美しいものを見れば見るほど養われて行くと思います。そして美しいものを見る喜びの体験が多ければ多いほど偏桃体その他の脳の分野は発達すると思います。

こでまり3 (800x800)

ドウダン

シャクナゲ美のバランスに関しては黄金比というトピックでまたお話しして行きます。

注1.法律といった規範や他者の権利や感情を軽視して、人に対しては不誠実で、欺瞞に満ちた言動を行い、暴力を伴いやすい傾向があるパーソナリティ障害

注2.中前頭回はヒト前頭葉の、上側約 1/3 の領域を占める脳回」笑いが引き起こされる領域 刺激電流のレベルが上がるにつれ、笑いの持続時間や強度が増加した。 例えば、弱い電流は微笑みのみが生み出されるのに対して、強い電流では大笑いが引き起こされた。笑いの起きている間は言語や手の動きなどの全ての活動は停止した。

注3.網膜の裏側にある眼窩前頭野は、脳の前頭前野皮質と皮質下が出会う重要な位置を占めています。そして、情動脳である大脳辺縁系と、知性の脳である前頭前野をつなぐ働きをしています。つまり、情動の源である大脳辺縁系の偏桃体が喚起した情動を制御し、偏桃体からの要求を抑制する働きをするのです。周囲の状況を的確に解釈し、内的及び外的経験に照らし合わせて、意思決定を行なうためには、大切な部位です。この部位の機能が低下すると、共感する力が損なわれます。
多くの精神疾患、あるいは人格障害、発達障害は、前頭前野や帯状回、眼窩前頭野などの機能障害に原因がありますが、この眼窩前頭野の障害では、辺縁系の活動の調整、統合に支障が生じます。すなわち、抑制力の低下が起き、衝動をおさえられないといった、いわゆる強迫性を生じるのです。

バイリンガルって本当にいいの

覚者と凡人はどこが違う

私たちは自己というものを通常どのように認識しているのでしょうか。大方の人は自分が中心にいて周囲に自分を取り巻く環境がある。環境に家族、友人、その他の人々がいて人間社会が成り立っている。その他に動植物を含む自然環境がある、というふうに認識していると思います。つまり自分と自分以外のすべてという関係性においての自己認識だと思います。生まれてからずっとそのように教育されてきたのですから当然だと思います。

しかしこの認識の基盤に成り立ったあらゆる物の見方とその見方によって生活している間に体験を通じて確認され、定着した「固定観念という記憶」が病と不幸せという感覚の根本の原因になっているのです。つまり私という人は「固定観念が服を着ている」ごとき存在だと言えます。

固定観念は一部あるいは大きな部分覆されるか書き換えられることは時々あります。そのような体験をした人々を私は何人か知っています。ただ完全に固定観念が無くなった、あるいは元々ほとんど無かった人という人たちはあまりいません。この人たちは「覚者」と呼ばれています。

どうしたら固定観念から解放され。真に自由な思考ができ、不安と恐れと心配と欲求不満と病から解き放たれるのだろうか。その手法は古今東西の賢者や導師やトレーナーなど自薦他薦で提供されてきました。どれがどのくらい効果があったのかをここでは問いません。言えることは、「覚者はそう多くは出来なかった」ということです。命波の創始者である小田野早秧先生は「字分け」という手法を考案されて、私はそれを実践しています。字分けの目的は「自分とは何か、命とは何か、死とは何か」を明確に把握し、結果的にあらゆる偽物の情報から解放されることです。偽物の情報というのは現代社会という怪物を構成している要素のことです。覚者とは真理を知る者で、偽情報に騙されない人のことです。

字というものは実はそれを分解すれば真理が分かるように作られてあった教科書のようなものなのだということを発見された初めての人類が小田野早秧という人だったのです。発見に至るまでの様々な啓示現象はまさに奇跡そのものです。これからもこのブログでは小田野早秧という人とその生きざま、何故字分けが効果的な手法なのかということと、心身の健康との関係などについてもお話しして行こうと思います。
2016.4.7 記

フィクションもノンフィ

フィクションもノンフィクション

光透波とは何か

 

 

幽霊と直談判

今から10年ほど前のことですが、 それ以前から時々訪ねて来ていたある女性が折り入って相談したいことがあると言って来られました。どういう相談かと訊きますと、自分には死んだ人が見える。母親も三人の姉もやはり見えるのだと言いながら私の様子をうかがって、大丈夫そうだと分かったようで続けました。幽霊なんていないと一喝されたら話にならないから心配だったのでしょう。
相談の内容は、今オフィスビルの掃除の仕事をしているのだがそのビルに幽霊が出て気分が良くない。体が冷えるし暗いし嫌な場所でやめたいのだが、自宅の近くの職場で給料も良いのでできれば続けたいとのこと。それでお祓いをしてくれということと、幽霊にはどう対処したら良いかというものでした。
お祓いはさておき、幽霊の対処は生きている人と変わらない、何が言いたいのか訊いて、出来ることと出来ないことがあるのでしっかり交渉するようにと。また交渉の時に気をつけるべき注意事項も付け加えておきました。

2、3か月後にニコニコして現れた彼女の報告です。

幽霊はそのビルの建築中に足場から落ちて死んだ男性で、その家族が全くお供えをしないし、お盆も命日も全く何もしないというのだそうです。それでいつも腹が空いていてのども乾いているので何か欲しいと言うのだそうです。
「何が欲しいのか」と尋ねた途端に頭の中に、天丼、カツ丼、うな重その他の食べ物と飲み物が飛び込んで来た(声でなくビジュアルで入ってきた)ので手を振ってさえぎって、早速習ってきたセリフで「出来ることなら手伝ってあげても良いが限度があるし何時までもは出来ない」としっかりした声で断固断ると、急に弱腰になって、「じゃあオニギリでもいい。それと何か飲み物を」というので「水なら」と答えるとそれでもいいと言ったそうです。それで期間の交渉に入り、一月というのを一週間にまで下げさせて交渉成立。

翌朝家族の弁当を作るついでにオニギリを二個握って、沢庵も少し添え(優しい人なのです)、ペットボトルに水を入れ仕事に出かけた。その途上にある家の塀越しに小さなビワの実が沢山ついている木が目に入った。その日はそのまま急いで仕事場に行き、ロッカールームの棚の一番上の人目につかない場所に食べ物を置いた。翌朝は少し早く家をでて例のビワの木のある家の玄関のチャイムを鳴らし、出てきた人にビワを分けてもらえないかと尋ね、ちょっとした手土産を渡そうとしたら(すごく律儀な人なのです)、手を振っていらないと断られ、ビワの実を小さな枝ごと二本も切ってくれた(この人も親切ですねえ)そうです。例の場所に食べ物を置いて掃除を始め、終わったらその幽霊が出てきてお礼を言った時にビワが大好きだったので嬉しかったと言われたそうです。翌日は寝坊してオニギリを作っている時間がなくコンビニで買ったのを置いた。その日には「二個じゃ足りない。三個は要る」と文句を言われたそうです(前日のビワは棚においてるのねえ)。そのコンビニでオニギリを一個買って家に帰って計ったところ彼女が握ったオニギリ二個分が三個分に相当する量だったそうで、ちょっとすまないと思い、翌日はビールのマメ缶をつけた(全く律儀だねえ)。

一週間が経ち、最後の日にその幽霊が「ありがとう。俺はもうこれで行くから(きっと良いところに行けるでしょうね)、でも頼みがあるんだが」とおずおずと切り出した。何かというと、友達がいて(どこに?)やはり腹を空かせているのでと。これでようやく役目がすんだと思ってほっとしていた矢先だったので腹が立って、ちょっとつっけんどんに断ったら「一週間じゃなくて、三日でもいいから」と頼まれた。まあ三日ならと承知したがオニギリ二個なの?と訊くと一個でもいいとのこと、さすがにでもかわいそうで翌日から二個を三日間供えた。最後の日にもう一人の幽霊が来て、やはりお礼を言って、これで行くからと言ったそうです(どちらも気のいい幽霊だったのですねえ)。
それからほどなくして掃除係りの担当の会社の上の人に呼ばれ、突然給料を上げると言われたそうです。何故なのか不思議に思っていたらその男性が、前からこのビルには幽霊が住みついていて、暗くて嫌な感じがしていたのが、急に明るくなった。お供えをしていたのには気がついていた、ありがとう、と言ったそうです。
はい、めでたし、めでたし。

追記。これは余談ですが、お供えは仕事の帰りに下げて近くの川に流すか自分で食べたそうです。それからその女性の姉二人も訪ねて見えて、幽霊との交渉の話のお礼を言われました。年かさの姉の方は非常に鋭敏な人で、子供の頃から死んだ人に悩まされた人生だったそうです。妹の場合は良い霊で良かったが悪い幽霊との対応は非常に気骨が折れることなのだと言っていました。お祓いや相談事にも乗ってきたがもう疲れてしまったのでどんなに脅されても相手にしないようになったとのこと。その時から約二年後にその方は亡くなられました。まだ60歳前だったそうです。そういう血統のようなものがあるのですねえ。ちなみに小田野先生も私の母も見えた人です。
2016.3.5

幽霊は在るのか無いのか

 

 

幽霊は在るのか無いのか

幽霊を見たことはありますか。見たという人を知っていますか。

私がこの質問をした相手の半分くらいの人はどちらかの経験があると言っていました。要するに思ったより多かったということです。ただしこれは私の知人や友人が「類は類を呼ぶ」の喩えにあるように少し変わった人たちであるからかもしれません。でも誓って言いますが精神病の人はいません。

直接見たと答えた人の多くはその幽霊は亡くなった家族や友人だったとのことです。他には泊まった家やホテルなどで見た知らない人。変わった例は大勢の人が集まる公共の施設、葬儀場、競技場、会社のビル等でした。「見たと言う人を知っている」と答えた人より直接見たと答えた人の方が多かったのです。全員が嘘をついているか勘違いしていない限りはすでに死んでいるのにその姿が目に見えるという何かが在るわけです。

では目に見える何かということを考えてみましょう。肉体の目は道具としての役目を果たしています。いわばカメラのようなものです。肉眼というカメラのレンズの奥に網膜があり、それが視神経に接続されていて、その神経が脳の視角野につながっていて、「何を見たか」の認識をしているわけです。過去に見たものが何という名前かを記憶していると何を見たかという認識がすぐに出来るそうです。それはさておいて、視覚野や名前を記憶する脳の分野が損傷を受けると「目というカメラが捉えたもの」が何かは分からなくなってしまいます。脳溢血で多くの分野を損傷した脳神経科学者のジル・ボルト・テーラーさんや脳の損傷を受けた人たちの多くを実際に診察した脳神経学者のオリバー・サックスさんによれば、その人たちにとって形というものは何もなくて、
ぐちゃぐちゃの色の氾濫」が目に飛び込んでくるので苦痛であるそうです。

また見る機能にも個人差があります。私の知っている染色家によれば繊維や染料の色を二万色以上認識できるそうです。例えばグリーンという色に三千種類あるとして、それぞれの色を識別できるということです。また「オーラが見える」と言っている人を私は何人も知っています。見えるか見えないかの個人差があるとしたら幽霊が見えるかどうかも個人差があるのではないかと思います。
染色家の場合を例にとると、彼女は二万種類の色の名前を知っているのです。名前が識別を可能にさせているわけです。これは誰にでもうなずけることだと思います。

さて、オーラはどうでしょう?これは先に「在ると思っている」という信念があって、鍛錬すれば見えるようになると思っていると「見えるようになる」という場合と、子供の頃から見えたという場合があります。私は両方のケースを知っています。幽霊の場合も同じです。その人たちの場合は、

目というカメラが捉えた「形あるいは様々な色という振動」を何であるかと認識するプロセスにおいてすでに名称が記憶庫にあって、しかも「それは存在する」と思っていることが存在しているという認識を可能にしているということだと思います。
ややこしい言い方ですみません。でも見たからといって気体や光の色も含めて実体として在るかどうかはそれぞれの人にとって「何であるか」を認識するプロセスの違いによって異なるのではないでしょうか。プロセスには信念、期待、他者(親兄弟も含め)の体験談が大きく関わっているようです。

幽霊は在るのかどうかという題でこの話は始まりましたが、ユニコーンは在るのか、天使は在るのかという問いも提起したいですし、続きが必要な話題です。
次回は「精霊あるいはエレメンタル」についても触れて行きたいと思います。
2016.3.4 記

幽霊と直談判

困ったさん

以前勤めていた会社の上司のOさんは海外から帰国した私が日本社会に馴染めるように厳しくしかし温かく教育をしてくれました。その時の私の呼び名が「困ったさん」でした。
お辞儀の仕方、ミスをした時の謝り方、エレベータへの乗り込み方、何人かで歩く時の身の置き場、挨拶の仕方等、実に細かく丁寧に指導をしてくださいました。ユーモアのある方で、私が誰かにお辞儀をしているのを見て、
「君、腰が悪いの?」と訊くのです。
「はあ、若い時にぎっくり腰をしてから云々」とトンマな返事をし始めたのに対しては手を振って止めて、
「あのね、お辞儀をするときには体を二つに曲げるものなんだ。首だけコックリじゃだめ。頭を深くさげて、両手の平を膝につけて、ゆっくりと、一、二、三と数を数えるの。相手が誰かで数は変える。分かった?腰は治しなさいね」、という風でした。
かなり強く叱られたのは見積書の桁を間違った時です。通常かかる費用から計算して十分の一の金額で仕事を受けてしまったら会社は大損するわけです。しっかり意見されてから一緒に謝りに行ってくれましたが、担当者が変に思って稟議をあげていなかったので事なきを得ましたがこれは本当に落ち込みました。
「かわいい子には旅をさせろ」ということわざがあります。親元でぬくぬくと甘やかされて育つと世間に出てから通用しない人になるからあえて世間の波風にさらして子供を鍛えてもらうという意味だそうです。私の母は小さいときから私を他家に預けては何日も何週間もどこかへ行ってしまう人でした。まあ、それでも家にいる時には甘やかされていましたが。ともかく二十歳からよく海外へ一人旅をしました。二十歳後半からはアメリカで生活をしました。そして帰国後にOさんに出会った次第です。何をかくそうバイリンガルのお話の中に出てくるセミリンガルにより近い私でした。

私は生涯を通じて良い師に恵まれたと思います。小田野先生もそうでしたが良い師とは智恵と知識があるというだけではなく、愛がある人だと思います。今でもOさんを思い出す度に「困ったさん」という声音の中に込められている情愛を胸に沁みるように感じます。亡くなられて十年ほどになりますが、その人の愛は人の心にまだ生き続けているのです。まさに「愛は永遠なり」ですね。

情愛はエネルギーそのもので、強い伝播力を持っています。愛ある人の周囲には大勢の人が集まってきます。人は無意識のうちに自分にとって心地よいものをしっかり選び分けているのです。もちろん動物も、そして今は多くの人たちも認め始めていますが、植物さえも情愛に反応します。毎日大酒を飲む、覚せい剤を飲む、大食する、家事の手伝いを全く分担せず用事を頼むと怒って切れる、鬱になって引きこもる等の行為は情愛というエネルギー不足が原因です。こう言いますと、子供がこれらの行為をしている親御さんは怒るかもしれませんね。子供にはたっぷり愛を降り注いていると思って疑わないでしょうから。でもその愛にも種類があることを考えてみませんか。

厳島瀬戸内海に厳島という島があります。「イツクシマ」と読みます。大きな神社(神のやしろ)があり、世界遺産になっていますね。音が運んでいる他の文字でまず頭に浮かぶのが「慈しみ」です。厳しいのが慈しみと教えていただいていると受け止めています。厳しさが情愛なのかどうかの判別法のひとつは親が子供に対して、

「怒る」のか「叱る」のかどちらなのかだと言えます。怒る場合は怒りという感情が混じっていますが、叱るのは諭すという行為です。諭すとは「目下の者(子供は目下)にことの道理を理解できるように言い聞かせる」という意味です。ことの道理を理解できるように言い聞かせるためにはカッカと頭に血が上って怒っている時にはできません。怒りという感情は主として大脳の偏桃体という感情のセンターが優位で活動している状態で起きています。「道理を理解させるために考える」時には前頭葉の前野が優位に活動しています。前頭前野と偏桃体の働きは拮抗します。つまりどちらか一方しか働かないという意味です。

怒っている時には叱れないのです

Oさんの諭しにこもっていた愛情は今でも私の胸を温かく潤しているのですから、子供にとって親に叱られた記憶は一生を通じて胸を温かく潤し、自己破壊的な行為をしないような歯止めになるのではないでしょうか。

2016.2.2 記

バイリンガルって本当にいいの

 

バイリンガルって本当にいいの

バイリンガル、モノリンガル、セミリンガル、ナイリンガルについて

日本語という言語は日本以外の国では話されていません。ご存知のように今世界で一番多くの国で公用語として使われている言語は英語です。英語圏(地図のピンクの部分)というのは地理的にも広域で、南北両大陸にまたがっています。広くてもロシア語圏(グリーン)や中国語圏(オレンジ色)は使われているのはその国のみです。多国的に広がっているのはスペイン語圏(褐色)、フランス語圏(黄色)です。カナダは英語域とフランス語域が混在しているので縞模様になっています。日本など見つからないくらい小範囲ですね。ただし英語以外の言語圏の人たちも世界会議などの場面になりますと英語が主要語になっています。インターネットで何か調べようとすると他言語の文献も英語に訳されて発表されていることが分かります。つまり英語は国際語になっているわけです。英語ができたら便利だろうなと思う人の気持ちはよくわかります。

world_language map

では、本題に入りましょう。

この頃三歳から英語を習わせようとしている動きがあります。流行と言ってもいいでしょう。そしてバイリンガル教育という言葉をよく見かけるようになりました。でも皆が皆三歳から英語を習ったらどうなるのかと少し心配です。ではまずこの語の意味を少し詳しく調べてみましょう。

バイリンガルとは

多くの要素が複雑にからんでいる語です。一般には単に二つの言語がほぼ同じように話せ、文章も読める人という意味で使われているし、そう思っている人が多いのではないでしょうか。でも話せるということが必ずしもその言語が使われている地域の文化理解していることにはなりません。文化とは風俗習慣、宗教、歴史と歴史上の著名人、社会通念、善悪の基準、政治的経済的な仕組み等の他にマナー、食習慣、漫画や映画などの芸能と芸能人など全部を含んでいます。同じことが母国語にも言えます。上に挙げたようなことを知らないで人づきあいや会話が上手にできるでしょうか。

まとめますと、バイリンガルとは二つの文化にまたがってそれぞれの言語をほぼ同等に話せ、読め、それを使って深い思考ができ、地域社会に馴染める人となるかと思います。それは次を読めばもっとよく理解できるでしょう。

セミリンガル

よくある例は、母国語形成期(0~4歳くらいまで)に両親の母国から外国に移住し、言語形成期(4~14歳くらいまで)にも大方外国で暮らした人たちです。両親からは母国語を周囲の大人からは両国語混在で話しかけられ、言葉を教えられ。学校では外国語を使って生活をした結果、いわゆるバイリンガルになったと思われています。おそらく本人もそう思っているでしょう。しかし実際にはどちらも母国語にはなっていない場合があるのです。英語を話すとブロークン、文法やスペルは間違いだらけ。マナーも悪いとひんしゅくを買う。日本語のほうは敬語も丁寧語も普通語もめちゃくちゃ、漢字もほとんど読めない、書けない、挨拶もちゃんとできない、となっています。「英語力50%、日本語力50%、合わせて100%、それでいいじゃん」と言う冗談がありますが、これは困った結果を生みます。どちらの社会でも高等教育は受けられなくなりますし仕事にもつけなくなります。こういう人たちはセミリンガルと呼ばれることがあります。言語形成期に二つの言語が同時に入ってくる環境でうまく振り分けが出来れば良いのですが、それが出来ない子供の場合は十分な言語力の発達が阻害されてしまうことがあるのだそうです。学校も現地の学校と、例えば日本人学校のような祖国の言語が使えるような特別教育をする学校と二つの学校に入り、他の子供たちが放課後に遊んでいる時にも勉強させられるという生活を強いられます。外国人と同国人の二つの文化の間でうまく人付き合いが出来、そのうえ遊びという社会性を養う絶好の成長の場が削られるというハンデイも背負います。それを乗り越えてどちらの文化にも完全に溶け込めなかった子供たちがこのジャンルに入るのです。ある意味で被害者と言えます。

先ほど書きましたように、三歳からの英語教育に関して心配なのは一つの言語を完全に母国語とすることが出来ないうちに他の言語の影響を受けて正常な発達が阻害される危険性を理解して対策をとる姿勢で臨んでいらっしゃる親御さんたちばかりではないのではないかということなのです。

モノリンガル

モノリンガルは一つの言語を生まれながらに使って生きている人です。生まれた国で親や親せきや学校の友達と一緒に育って、無理なく身についた言葉でコミュニケーションがごく当たり前にできるので問題は別にありません。時々、「外国語ができるようになりた~い」と憧れて(外国旅行に行くとこうなる人が多い)、会話学校などに入って多くの場合は途中でやめる人も大勢いるようですけれど。言語形成期を過ぎてからの外国語の習得は難しい場合が多いからです。でも出来なくても痛痒はないのですから悩むことはあまりないと思います。母国の言葉を大切にしてなるべく心からの声を相手に伝え、友達の輪を広げて行き、温かい社会を作る一員になっていただきたいと思います。美しい言葉を豊かな表現力で使うことのできるモノリンガルエキスパートになっている方が、外国語が少しできて母国語が下手なよりずっと素晴らしいと思います。 日本語と日本人のユニーク性については他でお話しします。

さて、最後に出てくる「困ったさん」はナイリンガルですが、これは私の造語です。あえて失礼な言い方をすると、ある意味で母国語が一つもない人のことす。

「え?あたし今日本語話してるじゃん」と頭の上に?マークが出ている方に申し上げます。母国語というのは、その能力が十分に発達した段階において、「論理的な思考ができる言語」を指します。また。「他者の言わんとするところが、よく理解でき、その相手が言っていないこと(ニュアンスと言います)もくみ取れる言語」のことです。今風に言えば「空気が読める」でしょうか。アメリカで暮らしている時に日本の方たちからよく聞いたことですが、「外人の言っていることってニュアンスがよく分からないんだよね」と。

ここまでくると私は、しっかり説教ばあさんになっています。そして「今さらそんなこと言われてももう遅いわ」と不愉快に思われたり、傷ついたりされた人もあるかもしれません。でもご安心ください。幾つになっても脳は発達するのです。

以下は「日本学術会議・面白情報館」に出ていた記事です。他にこういう回復例はいくつもあって、アメリカの「脳溢血による失語症友の会」に相当する会にいろいろな症例が載っています。そのうちに少しご紹介するかもしれません。

ドイツに住んでいる中年男性のBさんは、となりの人の家に招かれて楽しく話をしている最中に、突然体調がおかしくなり、意識を失ってしまいました。目が覚めたときは病院にいて、医師たちに取り囲まれていましたが、彼らが話していることがまったく理解できません。しかも、自分から言葉を話すこともできなくなっていました。  普通、私たちが言葉を聞いて理解したり、話したりするとき、左脳の「言語野(げんごや)」とよばれる部分を使っています。Bさんは、脳卒中(のうそっちゅう)で左脳の言語野をやられてしまったのです。その後Bさんは、一生懸命にリハビリを行い、ついに言葉を取り戻しました。Bさんは、どうして言葉を取り戻すことができたのでしょう?

Bさんの脳を調べたところ、左脳の言語野の機能を、なんと右脳が肩代わりしていることがわかりました。左脳にある言語野が、右脳に移動していたのです。 Bさんのケースは、大人の脳でもニューロンネットワークが組み変わることができることを示しています。

イギリスの有名な劇作家のバーナード・ショーは、94歳で亡くなるまで多くの戯曲(ぎきょく)を残しましたが、90歳代に入ってからも数編の戯曲を書いています。脳はたとえ老人になっても、豊かな創造性や活動をすることができるのです。
ニューロン(神経細胞)は、1日に10万個死んでいくといわれます。ニューロンの数は基本的には増えることはなく、減る一方ですが、心配することはありません。ニューロンには新しく突起を伸ばしてネットワークを作り上げていく力があり、老人になってもその力はなくならないのです。  実際、老化して亡くなった人の脳のニューロンを調べてみると、むしろ若い人よりも豊かな突起のつながり方をしている場合があります。老化した脳は、確かに若い脳に比べて反応のスピードなどが遅くなったりしますが、豊かに作り上げたニューロンネットワークを使って学習したり、若者にはない知恵や思考を展開できるのです。

https://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku4/kioku4_2.html

何歳からでもコミュニケーションの能力は伸ばして行けるということですからがっかりしないでくださいね。失礼な呼び方であると承知でナイリンガルなどと言ってしまいましたが、言語力はいくつからでも身につけられるということならそこからの脱却を目指していただきたいと思います。

先ほどちょっと触れましたが、日本語のユニーク性についてはまだまだこれからもお話ししてまいります。
2016.1.29

病が治る人、治らない人

今年の始めに訪ねていらした女性がありました。治療関係のお仕事をされている方で私も温熱治療なるものを少ししている関係でお話が弾みました。少しお疲れとのことで、温熱をさせていただきながらお話を続けましょうということになりました。あちこち熱いようで(健康体ならそれほど熱いとは感じない)体調を崩していることを自覚されたようで、その原因のお話になりました。働きすぎは確かにあるでしょうが、それよりも何よりも何か心に屈託があることが分かりました。

病気の原因はいろいろありますが、中でも特に大きな比重を占めているものは精神的な疲れのようですねと意見が一致しました。治療の手法は何であれ、いくら治療をしても効果が上がらない人とそうでない人が常にあります。病の重さとは別に短期間で良くなる人とそうでない人の違いは何でしょうと訊かれたので、思わず「それは生きがいの有る無しだと思います」と答えている自分の声が聞こえました。「答えている自分の声が聞こえる」とは変な言い方だと思われる方もあると思いますが、何か質問されて間髪を入れずに答が口から出てくる時、私は自分がそれを知っていることに気づいていないか忘れている時なので、聞いてみてから「ああ、そうか」といまさらながらに気づくわけです。

生きがい! はっとしました。この頃の自分には情熱を傾けて打ち込む何かが足りないのではないかという何とも言えないもやもやとした焦りのような気持ちがあり、それが原因で体力気力の低下を自覚していた矢先でした。早速情熱というテーマでさまざまに思いを巡らせては内観をし、字を分けても見ました。字を分けるということの効能については別のページでさまざまな角度からご紹介をして行くつもりです。人の心はとても複雑な迷路のような構造をしている上に単なる平面的な迷路ではなくそれが顕在意識という表層部と潜在意識という深層部、これがまた何層にもなっているというやっかいなものなので、治癒の経緯も一筋縄では行きません。それでも生きがいは大きな要因であるとは思います。

ともかく生きがい作りに少し集中して見ようとこの日に思い立ちました。それがこのサイトを作るきっかけになった一連の出来事の一つなのです。他のきっかけについては光透波のページでお話しをいたします。

2016.1.12 記

4番目の問題

現世を何故ウツシヨと読むのか

 

個人を構成している要素ー私は何でできているのか

私には菊池静流という名前があって戸籍にはそのように記載されています。この名前が個人と他の人とを区別しているしるしの表示ラベルの役目をしています。名前がないと他の人と区別がつきません。存在していないも同然なのです。法律的には名前がないとその国の市民であるとは認めてもらえません。パスポートももらえませんし、銀行口座も作れません。結婚もできないし、家も買えないし、学校にも入れません。ある意味で存在していないわけです。

さて、私という人の存在を私が認識する、これを自己認識と言いますが、その為には何が必要なのでしょう。「ここは何処?私は誰?」の誰に当たります。自己紹介ではまず名前を言いますね。それから何処で生まれ育ち、何を職業としていて、家族はこれこれ、趣味なども付け加えたりします。そう発表している際に私たちは頭の中の記憶庫に保存されている子供の頃からの様々な体験を思い浮かべています。家族の話をしている時には家族の顔や名前、性格、一緒に過ごした体験も思い浮かべていると思います。楽しかった、美味しかった、つらかった、悔しかったなどの感情もよみがえってきます。味も匂いも景色も浮かんできます。

ではこのような情報が記憶庫から取り出せない、あるいは記憶庫そのものが縮かんで固まってしまったらどうなるでしょうか。自分が誰か分からなくなってしまいます。迷子になったお年寄りが家に帰れないのは自分の名前や住所が思い出せないからです。つまり、

私とは記憶の集積でできているわけです

自己認識とは記憶に依って可能となっていると言えます。この記憶の働きをコントロールしている海馬その他の頭の中の器官が鈍ってしまわないように頭を鍛えていなければなりません。そこで頭を鍛えるという鍛錬についてはこれから「光透波理論」という手法に基づいて少しずつお話しして行きます。

2016.1.13 記

脳は全自動にしてはいけない

メニューには頭のページとありますが、帽子の台の話ではなくこれからお話しして行こうと思っているのは実は脳のことです。

脳が何をしているかは皆さまよくご存じですね。脳が働いていなかったら、体は動きません。考えることもできないし見ることも聞くこともできません。要するに生活できないのですが、これの使い方は人によって千差万別です。天才から普通の人(おおざっぱなくくりですが)、認知症で生活全部を他の人に介助してもらって生きている人までいます。

皆さまは今このブログを読んでいらっしゃるわけですから認知症にはなっていらっしゃらないと思います。認知症の初期の兆しは、「知らないことに対して好奇心が起きない」というものです。新しい情報を取り込んでそれを使って今までしたことがなかったことを始める、考えたこともなかったことにつて考えてみるという気がなくなってしまった状態になっているということです。たとえば定年退職後に今まで妻任せだった料理を始める、娘と孫が住んでいるアメリカに行くために英会話を習う、運動不足解消にダンスを習う、楽しく頭をひねることができる俳句をひねってみる等々。

日常的にずっとやってきた作業はあまり考えなくても手順がしっかり脳に刻まれているので出来るものです。いわば全自動洗濯機のようにスイッチを入れると自然に動き出すというのに似ています。慣れたことはオートマチック仕様、初めてやることはマニュアル仕様の機械みたいなもので、こちらは「考える」という作業をしなければなりません。これが苦痛になってくるのが脳の機能の後退の兆しです。

一度苦痛なこと(考える)を避けても生きていられるという経験をすると、「自分で考えて工夫をしなくても死なないのだ」と学習します。これはどんどんエスカレートして行きます。楽な方へ流れ始めると逆行は時と共にますます困難になります。脳はどんどん縮かんで固まって(脳萎縮)行きます。

高齢でも萎縮していない脳

左は同じ年齢でも中身がスカスカになっているBさんと、みっしり詰まっているAさんの画像です。見ればわかるように加齢による機能後退は誰にでも当てはまるわけではありませんね。

 

萎縮脳年齢比

しかし脳が老化しないように何か防止策をとっていないとやはり普通は年齢と共に萎縮はして行きがちです。食べるもの、運動不足による血行障害など生活習慣もさることながら好奇心や生きる意欲が不足したらやはり普通は若い人とは差が出てきます。

さて、人間も含めて動物は生存が脅かされるような危機に直面すると普段とは違う生理状態になります。死にもの狂いで知恵をしぼる(脳の活動を活性化するホルモンが出るため)、アドレナリンが出て普段の何倍もの力が出る(火事場のバカ力)、普段より敏捷に動ける(遁走行為あるいは戦闘行為を可能にするために生理機能が必要な準備をするため)など。臨戦態勢でボケる人はないと思います。死にたくないという本能があるからです。

ところが人間の社会は自分で生きるための作業が出来なくても誰か他の人が助けてくれるという仕組みになっています。助け合いは確かに素晴らしいことですが、日本のような経済的に豊かな先進工業国の社会では行き過ぎを警告するブザーが働いていないのです。

洗濯機なら洗い物を入れすぎるとブザーが鳴って動きませんが、

脳は全自動にしてはならない 

確かに自律神経という、機械に喩えれば出荷時の初期設定があって体が死なないように自動的に機能しています(恒常性維持機能)が、これ以外の作業は、考えながら、工夫しながら、なるべく自分で出来ることはやってみて、それでも出来ない場合だけ家族や友達やプロに頼む。知らないことは自分で調べてみる。そのうちに「考える力」が出てきます。この(振動するエネルギー波)が脳の神経細胞を奮い立たせ、新しい回路を作り(シナプス結合)私のような高齢者を認知症から護ってくれるのだと信じています。この「考える力」については光透波のページでお話をして行きますね。

追記。認知症の原因は大きく分けて加齢による脳機能の後退と脳の血管障害によって起きるものと、アルツハイマー病のような病気とがありますが、いずれも進行度の差はあれ、脳の萎縮が関わっています。アルツハイマー病は脳にアミロイドベータという毒素が蓄積する、レビー症もピック病もヤコブ病も皆脳に何らかの異物が蓄積して起きることが解明されています。他にも脳の病気はいろいろありますが、多くは生活習慣が関わっています。原因が何であれ、結果は脳の神経細胞が侵害されて行くものです。侵害された神経細胞は生き返らないのですが、脳には使われていない神経細胞がたくさんあります。使われていない細胞とはシナプス結合がされていない細胞のことです。そこで新たな回路を作って行くという作業が役に立つのではないかと思うのです。バイパスを作って行くわけです。

2016.1.23 記

ご挨拶2016年版

Face1今日は。菊池静流と申します。これから最近思ったことや発見したこと、人生の先輩から教えていただいたことなどをこのお教室でお話ししてまいりますのでどうぞよろしくお願いします。

以前も「静流の部屋」というホームページを作って書き込みをしておりましたが、この何年かはさぼっておりました。実を言うと、考えるのが面倒くさい、新しい技能の習得や最近発表された新分野の論文や著書を読むのが苦痛でコンテンツを充実させる材料不足などなどの理由からです。またこういう発表の場を作って何かを書いて行こうと決心したきっかけは加齢による記憶力の低下がひどくなったことを自覚したからです。

先週のことですが、朝起きた時に何故か昨日の夕食は一体何を食べたのかなと思ったのです。そして何も覚えていないことを発見。大ショックでした。一生懸命思い出そうと食卓のシーンを思い浮かべ、食卓の上に何が乗っていたかを、頭の中の写真集をごそごそかき回して見つけて行き、一つ一つ糸をたぐるように思いだして行き、最後にフルメニューが乗っかるまで頑張りました。「これはもう認知症が始まっているのに違いない」と背中に冷水を浴びたような感じでぞっとしました。それから猛然と、自分で始めるウエブサイト入門講座のようなチュートリアルを見ながらこのサイトを立ち上げた次第です。かっこいいウエブサイトが作れるようになるには時間がかかると思いますが、とりあえずできる範囲でやって行こうと思います。
2016.1.10 記

https://www.iii.ne.jp/kikuchi/ こちらものぞいて見てください