捻挫もお告げ

二十年ほど前になりますが、”Signs”(邦題:サイン)という映画[1]がありました。署名という意味もありますが、宗教的には「お告げ」という訳語が一番妥当と思います。英語国民の大多数は至高の叡智の存在をGod(神)と呼んでいますが、その神からの啓示という意味に於いてのサインです。映画の主人公は牧師で、ある時人類にとっては前代未聞の大事件が起きました。ミステリーサークルの出現です。この超常現象は事実で映画の虚構ではありません。出現当時私も夢中になって画像を保存したものです。そして数年前に、サークルが一番多く出現した英国のエイブべリー[2]に行ってきました。ストーンサークルもある所で、石は消えないので実際に見ることができますが、穀物畑に現れたサークルはもうありませんでした。目前に明らかに突きつけられた「サイン」だったにも関わらず、人類全体としては「???」、「えー何これ?」程度の反応で、ひとしきり話題になってもその意味を追求し続けた人たちはあまりいませんでしたし、出現が止まった後しばらくしたらもう「そんなことあったっけ」くらいになってしまいました。映画も賛否両論で、セックスとバイオレンス満載の映画のような大きな興行収入はなかったようです。

何が言いたいのかと言いますと、せっかくの「お告げ」も真摯に受けとめる人がいなければ役には立たない、つまりサインを出す側の徒労ではないかということです。ストーンヘンジもストーンサークルも起重機や電力機動の重機がない大昔にあったのに別に大騒ぎで、不思議だから人間が作ったのではないのではないか、では誰が作ったのか、という疑問を追求し続けた人たちはほんのごく一部の人間だけでした。個人個人とその家族あるいは民族の生存に直接関係のない現象に本格的に取り組む人が少ないということだと思います。

さて、話はグーンと私的なものになりますが、最近の「お告げ」について皆様にもお伝えしたく思います。先週捻挫をしました。かなりひどい状態になり、足首から足の指先までが青紫色に腫れ上がりました。すぐに湿布をしてなるべく歩かないようにしながら、血行を促進する治療もしましたが、足を床につけると無視できないような痛みがあり、家事に支障をきたしました。独り暮らしになってから身動きが取れない状態が如何に不便かも実感しました。こういう出来事だと無視はできません。病もそうですが、痛みがないものは本人が気がつかないので深く静かに進行して行き、ある時に回復不可能な状態で現れます。最近未病ケアという事がさかんに言われるようになりましたが、なかなか真面目に受け止めてもらえない社会的事情があります。明らかに発病しないと保険治療が受けられないからです。

今年に入ってから同年配(高齢)の友人が3人急病で倒れ、入院しました。内臓の多くが疲弊していて、今までのような生活(飲み食い、働きすぎを指す)はもう出来ないと医師に勧告されました。少し疲れた、体が重い、食欲が無い等の自覚症状があっても未病ケアはしないでいたので大ごとになったのです。私が前兆に気づいていても代替治療を勧め難いのは保険が利かないということがネックになっていたからです。結局は入院、手術、投薬治療で費用はかかるのですが、それは認めたくないという人間心理も分かります。実は出費が困るのではなく、怖いから認められないことも多いのです。

それに対し、捻挫と言うお告げは実にありがたいものです。痛いのと不便なのとで無視できないからです。そこですぐさま字分けをしました(いえ~い、お告げが理解できちゃうもんね)。

 

今・此処という命の場に存在している私という者の体の一部で足という部分が挫けているよと言うことを、それに向き合わざるを得ない痛みという形で告げられた意味を解いてみました。空と言う無限にして絶対の天の、文字通り完璧な計らいは文字で明確に示されているのにも関わらず、しばらく真剣に字分けをしていませんでした。音は見えないが、字に写すことでその意味が留められているのだから、それを読み解き続けなさい。それを怠ると不自由な現象が起きますよ。天は親切なので、捻挫という形で明確に告げて下さったのです。なにしろ立つにも歩くにも足が使えなければ自立して生活できません。誰かの手を煩わしてその人の時間を奪って生きなければなりません。いずれは老齢で動けなくなるにしてもそれまでは極力自立して生きていたいと思っているので、身に染みてありがたいお告げでした。

肉体は狂いのない精緻な数の法則に則って全ての細胞、細胞を構成している分子や原子、細胞内の染色体とDNAという青写真等が、調和的で健全な状態であれば、気分爽やか、心は楽しく、意欲は満々で生活できるという理があります。「何かおかしい、変だぞ」という違和感を無視すると緊急入院という騒ぎになって、医師に元には戻らないと宣告されてしまいます。

くれぐれも「サイン」には敏感でいてください。

[1] 『シックス・センス』『アンブレイカブル』などのヒット作で知られるM・ナイト・シャマラン監督による2002年の作品。謎のミステリーサークルの出現から始まる全世界規模の異変を背景にしつつ、片田舎に住む主人公の魂の救済をテーマにした異色作。その特殊な作劇によって賛否両論を呼んだが、ミステリーサークルなどの意味深なモチーフを多用した宣伝が話題となり、全世界で大ヒットを記録した。

[2] イングランド南西部ウィルトシャーのエーヴベリー村近郊にある、3つのストーンサークルを含んだ新石器時代のヘンジである。大ブリテン島で最も著名な先史時代の遺跡の1つであり、 ヨーロッパ最大のストーンサークルが存在する。観光名所であるとともに、ネオペイガニズム(復興異教主義。キリスト教以前にあった宗教の新たな多種多様な現代の宗教的な運動)にとって重要な宗教空間である。 新石器時代の紀元前2600年頃に作られたこの遺跡は、周縁部に大きなストーンサークルを持つ大規模なヘンジ(土手と溝のこと)と、遺跡の中心部に位置する2つの独立した小さなストーンサークルで構成されている。この遺跡が作られた本来の目的はわかっていないが、おそらく何らかの儀式や祭典に使われていたのだろうと考古学者たちは考えている。

下はストーンヘンジ、私の後ろ姿です。

こちらはストーンサークルで、一つの石の大きさが分かる写真です。

2020/2/15

続・脳は全自動にしてはいけない

最近になって所謂「物忘れ」、うっかりミスの現象が激しくなりました。
人と会う約束を忘れたのは、カレンダーを確認しなかったから。
眼鏡と携帯電話が見つからないのはしょっちゅうのことで、置き場所を決めないから。また、決めてもそこに置かないで、他の場所に、「無意識に」置いてしまうから。
銀行に記帳に行ったのに通帳がバッグに入っていない。買い物に行ったら財布に十分お金がはいっていない。出かける前に確認しなかったから。
切手の値段が上がり、追加の切手を買いに行った郵便局で、封書を投函し忘れた(何の為に行ったのさ)。
鍋でお湯を沸かしている最中に何かしていて鍋が空になって火が止まった(安全装置様々です)。
コートやズボンんのポケットにお金は勿論のこと、時計やスイカやホゴ紙が入ったまま(洗濯機にいれると紙屑だらけになる)。洗濯が終わったのに衣類がそのままで干してない。

落ち込んでいる場合ではない。対策を講じないと。
まず、その日にすることを朝全部書き出す。リストになる用事が片付き次第に消し込む。
片づけたものをリストアップする。どんなに些細なものでもちゃんと書く。ただ書くだけでなく、声に出して言う。

これはいい訳ではなく、説明の一つですが、一緒に暮らしていた家族が亡くなって一年が過ぎました。私より十数年年上でしたが、うっかりミスをしない人でした。その人にいかに頼りきりだったかを今更ながらに身に染みて感じています。独り暮らしという状況を実感しきれていなかったのだと思います。

昨年始めから数か月間、小田野早秧先生の『考える力』をはじめ、残りの三冊を再入力しながらさんざん読んだのに、把握していないということに気づきました。
いや、把握していたのに、定着していなかったのです。定着は繰り返しをしないと、加齢と共に脳細胞は劣化し続けていますので指の間から砂がこぼれ落ちるように記憶力は衰えて行きます。

ただし、ここが大事ですぞ!「自分は頭の働きが鈍化してきてるからしっかりしなければならない」と緊張していれば良いというものではないのだと八十歳の男性に教えられました。八十数歳で、完璧に近いほど頭の回転の速い、八方に気のつく友人が最近急に記憶があいまいになった現象を話したところ、そのことについての意見でした。

しっかりした性格で、気を抜かないから八方に気の回る人というものは急激にボケることがある。糸が切れたようなものだ。大事なことは緩急のつけ方だ。長年人を見てきたから言えるが、ぼーっとして抜けているようで、必要な時にだけ引き締まって行動するタイプの人のほうがむしろボケにくいようだ、と。「あんたは大丈夫だ」とつけ足されました。先ほどの家族の話ですが、窓際に座って外を眺めていることが多い人でした。「何を考えているの?」と聞くと、決まって、「何~んにも」と答えたものでした。「何も考えないなんてことがどうして出来るの?」と聞くと、「だって、簡単。何にも考えないだけだから」と。頭がちゃんと休息しているわけです。ちなみに先ほどの男性はその人の弟です。

確かに考える力は脳を活性化させますが、それだけではなかったのです。このことを、私と似た状態になっている方々にぜひお伝えしておきたいと思いこの記事を書いております。下の文はこの記事の内容に直接関係はないかもしれませんが、人間の頭脳の働きと、それを培う誠実さと、底に流れる人間愛とが社会構造を機能させているのだと思います。

南アフリカのある大学の門に貼ってあったメッセージです。

国家を滅ぼすのに原爆や長距離ミサイルは要らない。
教育の質を下げ、試験でカンニングを見過ごせば良いだけ。
そのようにして資格をとった; 
 医者によって患者は死んでしまう
 エンジニア等によって建物は倒壊する
 経済学者や会計士等によってお金はどこかに消えてしまう
 宗教家や哲学者によって人間愛は失われてしまう
 裁判官等によって正義を守る司法制度は無効となる

教育制度の崩壊とは国家の崩壊である

日本でも起きていますね。消えた年金記録事件や、何とか言う建築家が建てた高層ビルやマンションの倒壊事件を憶えていますか。

脳は全自動にしてはいけない

2020.1.7

門に桟がかかっていると全ての答がある中に入れない

モンサント社がグリホサートで癌になった夫婦の訴訟に負けた!

これは現代史に於ける大きな転機だと思います。このような最悪の事態を引き起こす人たちは勿論のこと、それを見過ごしてきた無関心な人達も大勢いたことが原因で、次から次へと人類社会を襲う災害が発生しています。もう誰にも否定できないほどのひどさになってしまいました。

最近発刊した『仏眼の』第一部の「舟を岸につなぎなさい」では、人類はどうしようもない流れで滝つぼに向かって行く笹舟に乗っている蟻のようなものだという比喩が使われていました。舟の上で喧嘩しようが、仲よくしようが一切お構いなく滝つぼに向かっているという点では私たちは一連托生(いちれんたくしょう)、つまり誰が善で誰が悪かなど互いに指差しあっても意味がないと言っているのです。

ではどうすれば良いのか?

答が第二部の「仏眼」にあります。読んですぐに理解できる人もあれば、なかなか分からない人もあるかと思いますが、暗中模索ではなく、文章で提示されているのです。本気で真剣に読んで行けば、何回目かで少しわかってくると言ってくれた読者の男性がありました。永年お付き合いしながらその方が今回の出版を契機に今まで考えなかったことを考え、その結果を報告してくださったことをきっかけに今回の記事を書いています。

もう一つ大きなきっかけは、小田野先生から直接講義を受けておられたアメリカ人のスティーブさんという方がつい最近癌で亡くなられたことです。オーガニック食品を販売している会社の経営をなさっていましたし、合気道という心身ともに鍛える運動も続けておられた有段者で、精神的にも安定性の高い人柄だったにも関わらず、癌にかかってしまったのです。これが同じ笹舟に乗った、一連托生ということの意味を如実に示しています。善い人でも健全な意識を持ち、健康にも十分に注意して生きていても、誰彼構わずに災害は襲ってくるのです。

モンサント社という例を見ることで、人間性の一部分である度し難い側面と、「幸せに輝いて生きたい」という本音の部分について考えて見ました。モンサントを字分けしました。

 

私達が人間という形態で生を受け、生命活動をしているその産みの親は人間ではありません。人間の親は肉体に備えて頂いている機能を使って、受精卵から一人の人間として生まれてくるまでを「お任せ」で全部やって頂いているのですが、自分では「親」だと思っています。これが本当の親ではないということを真に認識するには、字を見ると分かります。親を分解する、つまり「切り分ける」と分かると教えて下さっている言葉があります。「親切」です。

親を切り分けると「立、木、見」と三文字になります。立(立証)つまり存在している、木(モク-網空)つまり空という目に見えない世界の透明な網、これを見る(観察する)、というふうに取れます。実の親とは透明真空の網である母(同時に父も一体で支え、機能している)なのです。父という縦軸と母という横軸が交叉(点-回転軸)しているエネルギーが常に絶え間なく云(運)んでいるのが生命のエネルギーであり、知恵であり、食べ物を生産する地球のような生産地なのです。人間の体は勿論のこと、空気も、水も、太陽光も、微生物も何一つ人間に作れるものはありません。人間に出来ることは壊すことだけです。そして毎日せっせとそれを行っています。「自然にお任せ」をほぼ完全に忘れ反って生きてきた結果を今、癌や、精神病や、戦争という形で受け取っていることになります。

答を見ることができる、いわば図書館のような情報源は門の中にあります。その門に桟がかかっているのを開けて中に入らないと真理は見ることができないのだとモンサントが教えてくれました。

注。
グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。
以下のサイトにモンサント関連記事がのっています。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791

2019.11.02

ミクロの決死圏―体の中を旅して見ました

前回「バカの壁」についてお話をしました際、光透波理論を病の治療に応用できる手法があることに少し触れました。治療資格を得るために受講して良かったと思っています。おそらく受講者の中では最高齢者だったかもしれません。覚えることが非常に多く、記憶力の低下を防止する為にもなりました。

一番回数の多い練習台は自分です。鼻が悪い、耳が悪い、胃腸が弱い、腎臓が弱い、アレルギー体質、心臓が弱っている、細菌感染していた。ウイルス感染していた等々盛りだくさんで調査と治療の実施と結果の判定には事欠きません。

まず「バカの壁」を取り(一時的です)、賢い方の自分との通信回線を開きます。それから調査対象を絞って検査。

腎臓の糸球体濾過機能を調べます。右が45%、左が60%働いているという情報をもらいました。かなり低いですが、尿毒症にはなっていませんでした。

この美しい精緻な構造を眺めて、機能低下を認識して、自己治癒力を発動する手法を適用します。(注。体の内部は実際にはほとんど色はついていません。ここで使用されている画像は細胞構造を見やすくするために人工的に色をつけてあります)右と左を別々に行いました。右が60%、左が75%に回復。更に機能をあげるのは又の機会にして、心臓を調査。

右心室、右心房、左心室、左心房、心筋と見て、循環システムも調査。寄生虫感染が見つかった箇所で、除去して良いとのことで、除去しました。炎症がある箇所の炎症を鎮め、毛細血管のつまりも少し融かせました。右心室に三尖弁という弁をコントロールしている筋肉の中の一本が動いていないということで、治療。呼吸に意識を向けて、横隔膜と呼吸筋群をコントロールしている脳の司令塔にアクセスして肺を一杯にするように呼吸を整えました。呼吸が楽で息切れもない快適な感じです。

別の日。胃腸の調子が悪く、調べたらやはり寄生虫がいました。ランブル鞭毛虫という名前です。画像を見ると可愛いですが、断固撤去してもらいます。


寄生虫や細菌、ウイルスに関する部門を担当した講師の方に言わせると全ての生き物には生まれてきた何かの意味があるのだと言います。嫌な奴と思って無理やり除去するとか殺すという気持ちで処置するとダイオフという死に方をして、後に毒素を残して行く場合があるので、それが無い時のみ除去するように注意されています。ともかく自分勝手を謝って、出て行っていただきました。

耳の炎症は腸の循環システムとメンタルな原因が主原因とのことで、寄生虫はすでにいなくなったので、小腸の問題を起こしている原因らしいメンタルな問題を処理することにしました。今までも「心の断捨離」で行ってきましたが、全く触れていなかった過去のある数日間のトラウマが見つかりました。大喜びです。ずっと隠れていたのです。それだけ根が深い問題だったのかもしれません。耳だれはその後一度も出ていません。先月の耳鼻咽喉科の検診で、もう来年まで来なくて良いと言われました。鼻の通りも良いので、睡眠時に口を閉じて眠れるようなりました。薬も全く飲んでいません。

又別の日。このところ睡眠が不規則になって来たので、リラクセーションにつながる様々な治療をしてから、ふと睡眠に関与しているセロトニンの分泌状態を調べたら必要量の半分も出ていないことが分かり、夜更かしとパソコンのし過ぎを反省。制作所の松果体の治療をしました。

勿論自分だけでなく、友達の体内旅行もしていますが、とても楽しく、半分遊び気分で行っています。又いろいろな発見があったら書くつもりです。何しろ日本は半病人が多い国です。単に健康なだけでなく、楽しく、有意義な人生を送っていただきたいです。病気の時には人の役に立つことなどする余裕がなかなか出ないので人間関係もギスギスしがちです。

出典:美しい人体図巻 ポプラ社
   人体解剖図 成美堂出版

ミクロの決死圏の動画の一部を載せますね。
(注。私がこういう風に旅をしたわけではありません。誤解無きようにお願いします。あくまで様々な解剖図を眺めながら、賢い方の自分に質問しながら情報を得て、この映画で旅をしている人達のようなイメージで行っていただけです)

「バカの壁」を越えて見つけたこと

4番目の問題

病が治る人、治らない人

2019.09.29

「バカの壁」を越えて見つけたこと

以前光透波理論を学ぶ仲間の女性に、「あんたに今必要な本」と言われてプレゼントされたのが養老孟司[1]さんの書かれた「バカの壁」という本です。読んでいて抱腹絶倒であったと共に膝を打って、「そうだ、そうだ、本当にそうだ。私はバカだ」と目からウロコが落ちました。

あれから十数年、バカ度はどのくらい下がったのかと自己客観視。どのあたりがバカでどのあたりが進歩したかを調べました。分かったことの一つは、「どんな理論を学んでも、現象を起こせなければ説得力はないね」と教えてくださった飯島秀行[2]さんの言葉の意味です。要するに具体的に何かの役に立つ行為に繋がらなけばそれを学んでいる人の貢献度はあまりないと言われたのだと解しました。飯島さんはフリーエネルギーを開発され、成功されました。現象を起こし、貢献したのです。

二十世紀という時に地球という星に生まれ出てきて、100年足らずの間に私という、詞の大海原の一滴に何か意味あることが出来るのか。光透波理論の真髄をどう応用して行けば「生きがいの発見」という素晴らしいプレゼントを頂けるのか。そしてそれを実践して「世界の平和と地球の蘇生」を実現させる原動力である「人類の覚醒」につながる行動の一端を担えるのか。

私は人間が好きです。バカでも怠惰でも自分勝手でも好きです。人間を相手の仕事をしたいです。それは分かっていました。人間の心理や本性について学んでも来ました。そして様々な手法も学んできました。でも、本当に効果のある、自分に向いた手法はまだ見つけられないでいました。今は「これかも」という手法に出会ったと思っています。

教えて下さった方とのお約束で具体的な手法をお教えはできませんし、光透波理論をご存じない方なので、自分の解釈による理論を織り込んでのお話となるため、お名前を出すことは控えるべきと思います。いつかその方にも光透波理論のことをご紹介してご承諾を得られたらもっと詳しいことをお話しできるかもしれません。

養老孟司さんによれば、世界とは複雑なもので、「わかる」ことはできない。「客観的事実」や「本質的真実」は信仰の領域である。この世に絶対的な「正しさ」や「正義」なるものは存在しない。「これが正しい」「これがあたりまえだ」と思い込むことは思考停止である。社会や自分の属する集団の意見を盲目的に正しいと思い込み、それを鵜呑みにするのはバカのすることだ。常識を知っているということは「人間なら普通はこうだ」という判断ができるということだ。推測を真理と取り違えたり、科学や宗教を妄信したり、わかっているつもりになること、それが健全な思考の広がりを妨げる「バカの壁」だ。

バカの壁とは「自我の壁」とも言えると思います。この自我の壁を乗越えて、人類(実は地球人だけではないと私は解しています)発生以来のあらゆる感情的・知的体験がもたらす知恵と発見が細大漏らさず記録されている謂わば「図書館」のようなものがあるとしている人たちがいます。私もその一人です。これは「アカシックレコード」とも「人類の集合意識」とも呼ばれています。情報の源で、ここから私たちは自分に興味のある情報を必要に応じて取り込んで、それが「自分の思考・発見」というように思っています。

さて、今私が学び、実践している治療法とはこの源から得た情報を活用して、精神的・肉体的に病んでいる(多くの場合両方病んでいます)人やケガなどによって苦しんでいる人が最も効率的に速やかに常態に戻れるような自己治癒力の発動をうながすという手法です。術者は自我の介入を避ける非常に効果的な準備をしてから、被術者から直接情報を得る源とのいうなれば「通信回線」を開きます。被術者の自我の壁のかなたにある情報源ですので、ご本人は自分の病の原因は知りません。そして、「知った時が回復のプロセスの始まり」となります。

太母さんが言うところの、「医王さま」が誰の中にもいらして、それが働く邪魔をしなければ「病気は勝手に治って行く」と聞いてはいたのですが、発動を促す条件があまりにも実現不可能なことが多く、実際にはできなかったのです。

誰もが大宇宙の分身同士で敵も味方もない、従って戦いも競争も不要、生きとし生けるものもまた分身同士で互いに助け合ってこの世界は成り立っている。それぞれを敬い、感謝して生きるのが幸せな世界を作る条件。要不要を無視して濫造する物品とそうせざるを得ない経済機構がもたらすあらゆる汚染を止め、必要最低限の物だけ持ち、「身無一物福寿無尽蔵[3]」を悟り、真の幸せを確立すれば病も死も一如であると分かり、恐怖も心配ともおさらば。

私は70歳を過ぎてもまだこの心境に達していなかったのです。でも自我の壁の向こうで発見した、人間本来の英知との通信回線を通し、少し「バカ度」が下がって来ているように思っている今日この頃です。

[1] ようろう たけし
日本の医学博士、解剖学者。東京大学名誉教授

[2] いいじま ひでゆき
フリーエネルギー研究家。一般財団法人テネモス国際環境研究会理事長

[3] 何もかも捨て去り、拘りも恨みもつらみもすべて手放せばその時にあらゆる福寿が降り注ぐ。

『仏眼(ぶつげん)』が発刊されました

 表題の『仏眼』は菊池霊鷲が著した最後の書です。この本には前編ともいうべき書があります。今から60数年前に発表され、その後英訳され、1967年に、世界各国の元首および要人に百数十名に向けて、全人類への警鐘「第一のメッセージとして送られました。『舟を岸につなぎなさい』がそれです。

 当時はまだ環境問題など一般に取りざたされていない時代ではありましたが、反響は大きく、多数の要人からメッセージが届きました。中でも当時の国連事務総長からの手紙に、「メッセージの趣旨には賛同しますが、何分にも時期尚早にて、すぐには実践できない事情が多々あり、心に留めては置きます」というものがありましたが、この返信に代表されるのが当時の要人の多くが同じ懸念を持ちながらも、一般的常識外の内容である為実際には何も出来ないという内容のものでした。 

 さて、今はもう時期尚早などとは言えない状況となって来ています。世界中で起きている環境汚染や、生態系の崩壊、異常気象、原因不明の多くの疾病疾患等の問題は六十数年前とは異なり、誰にも否定できない明白さで、人類につきつけられています。
 こういう時にこそこの書を発表することはいろいろな意味において、人類とその宿主である地球環境の保全に貢献することが出来るのではないかと思い、当書の発刊を決意した次第です。

 このメッセージ文の中に十六の議題というものが挙げられてあり、その回答として書かれたのがこの『仏眼』です。
 議題の回答だけ教示して欲しいとのことで、当時のローマ法王庁から特使が二回来られた事もありました。私も一回同席しましたが、霊鷲太母は、回答は、一国、一組織に対しては出来ない、万国・万教関与の上でなければ、と断り、その代わりに次の様なことを話していました。

 環境問題を引き起こす根本原因となっているものは、人間の「根本無明(こんぽんむみょう:単なる無知ではなく学問をしても解決できない愚昧・迷妄)」である、という趣旨と、「開眼(かいげん:悟りを開くこと)」ということの意義です。
 今や、地球の住民である全人類は国境、宗派を超えて同じ問題に直面している訳ですから、万国関与とも言えます。そこで、議題を先に提示し、その後にこの著書を発表するという編集で、この本を作りました。

 第一部が、『舟を岸につなぎなさい』
 第二部が、『仏眼』
となります。

ご購入希望申し受けます。

本 単価:1,000円 送料別途。10冊以上送料無料
『仏眼』朗読CD 単価:500円 送料別途
講演ビデオ(2枚組120分)3,000円 送料別途

お問合せページからご注文できます。

追記。「無明からの脱却」という現象について生前太母さんはこうも言っていました。一人の人が目を開き、無明を脱するのではなく、「全人類」が目を開くことが地球とその全ての住民の蘇生の要となるということを知ってもらいたい。私が打ち立てた本願(自分や家族の為、ある特定のグループや民族の為でなく、全ての存在を対象にした願い。つまり神仏の立てる願)は「全人類開眼、万物皆安堵」だったのだから。「一人一人が開眼すると言うと膨大な数だから無理」と思うかもしれないが、そうではない。ごく少数の人たちが先に目を開くと、その影響が次から次へと波及して行くから、ある時一挙に可能になるのだ。

豚の羽、蝶の羽、ダンボの羽、人の羽

 

肉体が亡びる時離れて行くものは何か

前の投稿で、肉体が無くなっても意識は不滅ですというお話をしました。これについて、面白い説明を画像で見せている動画サイトがありました。

真空、生命、知性の実態、実質は何か、という疑問に対し、量子力学的な説明をしている方があります。マックス・プランクという人です。プランクさんの解釈による、人の本質(体ではなく潜在意識の方)であるエネルギーがどのような形態で存在しているかをCGで作成して見せてくださっています。トーラスと呼ばれる形で、きれいな画像です。字幕を付けておきました。トーラスは正と負のエネルギーが同時に関わり合いながら不断に動いている形です。象徴的にはメビウスの輪、八の字等とも表現されてきましたが、今は立体で見ることができます。

21世紀という今の時代にはこのようなテクノロジーで私たちが目で見、音で聞ける媒体ができていて、楽しみながら学ぶことができます。そして、理解の幅も広がり、その理解の振動が他の理解の振動と繋がり、共鳴し合いながら人類の集合意識が成長して行くという訳です。
2019.7.5

光透波理論改訂版発刊のご案内

ダウジングと診断と対処法と残る課題

ダウジングについて、誤解のないようにお伝えしておくべきなので、他のことと共にこの記事を書いております。一般のダウジングは振り子やロッドを使います。どちらの場合も動きは時計回りと反時計回りというのが一般的です。私は違う規定をして始めていたのです。今は一般的な方法を使っています。他にも道具を使わないダウジングもしています。これは全く別の動きをするものです。

さて、体の不具合に関してだいぶいろいろと書いてきました。自分を実験台にすると誰からもクレームが来ませんので、例にとっておりますが、何をもって体に良いか悪いかを決める前に、日本人全体に共通の項目があることを申し上げておきたいと思います。

日本人は被爆しているのです。これが先にあって、その後に起きた様々な不具合にどのように対応するかという問題がでてきているのが現状です。自分の周囲を見て、どれほど多くの人たちが癌をはじめ、アレルギー、体の痛みに耐えて生きているでしょうか。私のような高齢者になりますと、回復力も遅いですし、何か作業をすると疲れも早く出ます。ただ、これは別に苦にしてはおりません。

何故かと言いますと、「死」と言うものが比較的近いので、当然のことと思っているからです。しかし、私よりもはるかに若い方たちが苦しんでいらっしゃるのを見ると、「何故だ、何でこんなに辛い思いをして生きなければならないのか」と疑問が解けずにいる間は辛いだろうと思います。疑問が解けない間は痛みよりも「訳がからない」という辛さに苛まれます。訳さえ分かれば立ち向かえるし、持っている不具合が治らなくてもそれを受け入れるという選択肢があることに気づいて気持ちはずいぶんと楽になると思います。私の友人の治療家の最近の著書に「病むことも生きること」と書いてありました。病は敵ではないという見方があるのを教えておられるのです。そうすると「悪あがき」はしなくなるでしょう。病んでいる内臓の大半を切り取って、最後にはやはり死を迎えた人の言葉が、「やり直せるものなら決して手術などしない」だったそうです。

環境の汚染を踏まえながらの診断ですから、まともな内臓などないかもしれないと、内臓の一つ一つがどのくらい機能不全になっているかも問いながらのダウジングもしてみました。左の腎は100%機能していますか、90%?80%?、60でYESだったので、逆進行して65と聞いたらNOでした。全く無傷の内臓などほとんどなかったのですが、それでも気持ちは元気に生活を続けております。有難いことに少しも怖くないのです。最近の大きな収穫は3歳の時のある記憶を思い出したことです。それが断捨離のおかげでついに見つかったのです。恐怖の最後の尻尾につながっていたのです。

病んでいる箇所の対応には優先順位があります。それを体は知っているので、信号を発して下さっています。母は非常に健康な人でしたが、よくこのように教えていました。

体の中には「医王様」がおられて、治るには何をしてはいけないか、何をすれば良いかちゃんと教えて下さっているのに、その声を聞きもせずに邪魔ばかりするのが人間と言うものじゃ。ちゃんと治ろうとしておるのに薬を入れて治るのを止めておる。獣を見ていると、ちゃんとするべきことをしておるよ。自然に逆らわんことじゃ。心配せんこと。ちゃあんとなるようになってゆくものだから。

心臓がどこにあるのかもよく知らない人でした。でも体の声を聞いて、対処していました。多くの場合治るまで何も食べず、水を飲んで、草むしりなどしていました。時々草を食べてもいました。自然治癒力にまかせて安心して生きていただけです。妊婦が苦いものや酸っぱいものなど食べたい時には食べているのを見ると、お腹の中にいる赤ちゃんが体に必要なものを教えてくれているのだと言っていました。同様に不要なものは吐き出すのが「つわり」だとも、「医王様は遠慮深い方なので邪魔するとすぐに引っ込んでしまわれる」とも言っていました。

小田野先生は「生の目的は死である」と言い切っておられました。生きているものは生まれた時から刻々と死に向かって進んでいるというのが当たり前の理で、逃げ隠れできないし、反対方向へ行く手立ても全くないのです。そこで、「死とは何ぞや」と、答を得る探求を始められたのです。答を探求する旅は喜びと興奮に満ちていて、不具合などほとんど気にもならないご様子をよく知っております。ある時先生の首が曲がったまま元に戻らず、首につながっている背中の骨と腰も曲がっておられるのを見た人が、すぐ隣に仙骨を治療する専門家が住んでいるのに、何故診てもらわないのかと尋ねたところ、「私の首が曲がってしまった訳を理解しない内に治すようなことをしてどうする」と答えられたそうです。その後何か月してから首はまっすぐになっていました。自然に治ったのであって、仙骨治療を受けたわけではありません。解答を得るために様々な疑問を持ち、解いて行くことが生きがいの方でした。痛みなど全くと言って良いほど苦にしておられなかったこの方の最後は、襲い来る激痛に耐えて息をすることさえままならない状態でした。それをじっと見ていた私にやっと途切れ途切れに、「良く見ていなさいよ。私は天鏡図の最後のところまで今見届けているのですからね」と。それが私の聞いた最後のお言葉でした。でもその時にはその意味は分かりませんでした。

今は不具合も痛みも苦しみも全部真っ直ぐ見据えて、びくともせずに残りの人生を送りたいと思っております。体の声を聞きながら。

明晰性が確答をもらう絶対条件

 

 

明晰性が確答をもらう絶対条件

自分の意識が明晰でなくて、何を問い、何を答えてもらえるだろうか。
質問が詳細で、明確であればあるほど頂ける答も端的で、すぐに応用が出来ます。

ダウジングを例にとりますと、「はい」なら振れる、「いいえ」なら動かないと設定。
鼻炎の他に皮膚トラブルがある私を例にとります。

「私が敏感肌で発疹が出るのには根本原因がありますか」
「はい」
「原因は一つ以上ありますか」
「はい」
「二つですか」
「はい」
「三つ以上ですか」
「はい」
「二つだけ答えてください。食べ物が原因ですか」
「はい」
「砂糖を使った甘いものですか」
「はい」
「甘い果物少しは良いですか」
「はい」
「他にもありますか」
「はい」
「乳製品ですか」
「はい」
「小麦製品ですか」
「はい」
「三点に注意すれば、症状は緩和しますか」
「はい」
「もう一つは人間関係のトラブルですか」
「いいえ」
「自分自身が原因ですか」
「はい」

 以上の要領で自分の中にある原因についても聞いて行きます。答が端的なだけにすぐに処置できます。人生の途上で降りかかるあらゆるトラブルを解決して行く方法で最上のものは「自力」で「問と答」を引き出して行くことだと思います。答が分かったら後は必要に応じて友達なり、専門家の助けも求めて行けます。後回しになった三つ目以降の原因の電磁波に関しては専門家に助けてもらいました。アルコール飲料に関しては摂取制限をしています。自分自身の問題は継続して心の断捨離をしています。あまりに一時に全部の原因を処理したくないので、選択は自分でしました。

『小田野早秧の光透波理論』よりの抜粋

 もし吾々に「ことば」がなくて「耳にきく」音感のすべてが、一様に何の意味にも感覚されず、「目に見る」すべてが「無名詞」の実在の世界であったとすれば、吾々は何事をも何物をも「知る」という実感を得ることは不可能であろう。こうして「知」の性能が空白になれば「考える」という事実も成立し得ない。体験体得といえども「感能力」から「ことば」をはずして何が成り立つだろう。
 実に吾々が「感知」する事実の成立は、吾々が感覚する限りの実在現象が総て名詞(動詞も働きに対する名詞を成している)になって、吾々の生命に感置されて「思考力」や「理解力」という知性能に活用されているからである。
 「ことば」こそが、人類に理解する理性を成立進展せしめて、無形に有形に人を動かしているのである。

 少し難しい表現かもしれませんが、人間に「ことば」を使う能力がなかったら、いかなる問も作れないし、答もいただけないということです。答えは問が明晰なほど明確であるということも当然の理ですから、明晰であろうとする意志が大切だと認識することがスタートラインです。

2019.4.23
困った時の文字頼み

負の連鎖―情報過多の落とし穴

先日電車に乗っていて気がついたのですが(車中でスマホをしないので、閑です)、高校生らしい男子が5人乗りこんできました。中で一人を除いて全員口で呼吸をしていました。治療師の端くれとして、長年の間に眼で診断する訓練も受けたので、観察はていねいに行うことにしています。3人はかなり重度の蓄膿症のようですぐにそれと分かるほどの顔面腫脹による盛り上がりが鼻の両脇にありました。もう一人はマスクをしていましたが、鼻を覆わず口だけ覆ってありました。やはり鼻で呼吸はしていません。一人だけ鼻で呼吸していましたので、5人に一人鼻炎ではないという確率です。10代の青年が元気はつらつどころか病気なのです。この人たちは将来どうなってしまうのでしょうか。

副鼻腔炎というとショックが少ないように思えますが、蓄膿症という言葉には不気味な響きがあります。その通り、怖い病気です。耳に膿が入ると中耳炎、慢性化すると難聴が加速されます。眼も悪くなりますし、頭もぼーっとして働きが鈍くなり、注意力が散漫になることから様々な事故が起きやすくなります。膿が喉から体の中にも入って行きますので、様々な疾患の原因にもなります。それより何より苦しいし鬱陶しいです。動物としての人間は自己防御のメカニズムからそれに対応するために感覚を鈍くして苦しさがあまり精神を疲弊させないように防御しますが、解決にはなりません。多くの場合どんどん重篤化して行く傾向にあるからです。動物としての「感」は生き延びる為に備えられた重要な機能です。これが鈍ってくるのですから大問題です。嗅覚が鈍ると腐敗しているなどの体に良くない食べ物を食べてしまいます。聴覚も触覚も危険が近づくと警戒信号を出して、「何かおかしい」と気づかせてくれますが、この機能も衰えます。雨の日に川の中洲でキャンプをして死んでしまった人たちもいました。十分な支度をしないで登山をする人たちも多いです。プラットホームの端近くでスマホをしていて誰かにぶつかって線路に落ちた人もいます。危険は直感的に感じ取るもので、~~だから~~しないという判断力や知識はそれほど無くともほぼ無意識に避けるのが動物的直感です。動物は判断や予備知識を使わずに生き延びています。

さて、またまた私ごとになりますが、蓄膿が原因の難聴になってしまいました。長年の花粉症によるアレルギー性鼻炎が中耳炎を引き起こし、難聴度は片耳が軽度、片耳が中度の難聴という検査結果でした。それが直接間接に関係した症状もいろいろあります。粘膜も含めての皮膚のかゆみ、発疹、頭痛、頭痛が原因の閃輝暗転という視野の一部が暗くなって見えなくなる症状が出る。耳下腺の痛み、明け方に出る咳が何十分も止まらない為に疲労と睡眠不足になる。まだまだありますが、これだけでも相当鬱陶しいですし、楽しく明るく生きるのには努力が必要になります。幸せなら努力など要らないので疲れはしません。疲労があると余病併発、急激な老化現象が起きます。負の連鎖です。

知人に鼻の治療の上手い(当然体全体のケアも含まれます)鍼灸師がいることをすっかり忘れていたのを他の友人に教えてもらったのが今年の始めでした。本当にすっかり忘れていたのです。これが年をとるとよく起きる現象です。ともかく、正月三週目に治療を始めて数回で鼻のつまりが無くなりました。頭痛は軽くなり、閃輝暗転は一度起きただけで、もう1か月起きていません。明け方の咳も止まりました。粘膜のかゆみも半減して、花粉の季節にもかかわらず、くしゃみもあまり出なくなりました。難聴に関しては先週の聴力検査で両耳とも正常範囲で、大体40歳代の人の平均値になっているとのことでした。加齢性難聴だとこうは行かないことが多いそうで、中耳炎が主原因だったからだろうと言われました。耳のケアに関しては自分が行っている温熱治療の器具を使って毎日内臓や耳下腺などを温めていました。耳が聞こえなくなって来たという状況にはかなりの恐れがあったため、本腰を入れて何とかしようと決意できたのだと思います。
結果的に5週間で負の連鎖が止まったのです。もう一つ付け加えなければならないことは、ほぼ毎日飲んでいたお酒も週に1回にしたことです。今は2回のこともあります(ちょっとあぶないかな)。でも自分でケアをすることはこれからも続けて行くつもりです。

心の断捨離では体に向き合っていなかったので、それだけでは十分ではないということをここで皆様にお伝えしたかったのです。今はインターネットのおかげで体の不調があると原因や治療法などいろいろ調べることができるのですが、あまりにも多くの情報が飛び交っていて、何かを調べているとそれに関連した物品の売り込みの広告がどっと入って来ます。一日おきくらいに閲覧履歴を削除してもどんどん入ってくる情報であふれかえります。まるで真反対の情報もあります。これとあれをしたら、結果は相克するかもしれないものあります。過剰になるのは足りないよりも危険です。素人が言っているのかプロが言っているのか、プロが言っていても半分宣伝なのか。混乱しないためには慎重に比較検討するという作業が必要になります。基本的には「何も要らない、何も買わない」という姿勢でのぞみ、必要最低限度の処置を何回も考え、比較検討した後に試験的にやってみるということをしています。効き目がありそうなものを足すのではなく、悪いものを取り去るというのが原因治療、未病ケアであると教えて下さった治療家たちに賛同しています。

二年ほど前に家の中の電磁波対策と言うのをいろいろやったのですが、十分ではなかったのでしょう、アレルギー反応はあまり軽減しませんでした。サプリなどを足して行くのではなく、不具合の根本原因の一つと考えられる帯電をしないための対策も必要と思ったのです。しかし素人考えの処置では十分ではなかったかもしれないことが二年間の実験で分かってきたので、現在プロに調査と対策の提案を依頼しています。これでさらにアレルギー反応が軽減すれば蓄膿の原因である鼻炎とはお別れすることができるかもしれません。医師や治療家に丸投げしないで、本人参加型の根本的な未病対策が大切だと思います。そしてもし可能なら家族の為の未病対策も大切だと思います。家族の病気は辛いものです。

ともかくアレルギーの症状が軽減したので、点眼薬やかゆみ止めは止められました。食べ物は外食を避け、出来合いのものを買わず自分で作っています。アルコール飲料と乳製品もアレルゲンなのですが、ワインを飲むとチーズが欲しくなります。ワインを飲むのを止めたら別にチーズは要らないので一石二鳥でした。一日平均4、5千歩あるき、軽い運動(主に掃除と庭の手入れ)を毎日するという簡単なことはしていますが、後は気楽にしています。気持ちの持ちようも健康維持の大切な要因です。心の断捨離も続けて行くつもりです。

高校生の男子を電車の中で見て、日本の将来を憂慮したのがきっかけで、この文を書きました。
2019.2.25

覚者と凡人はどこが違う

4番目の問題