以前他のホームページに掲載されたお話ですが、五話全部をここで一気読みできます。お閑な折にどうぞ。
第一話

わたしの名前はハッチです。
わたしは天使です。
天使の世界には人間の世界のような時計がないので、いつ生れたのかよくわかりません。
ともかく最初の記憶としては、ふと気がついたら前に大きな羽をつけた存在が立っていてその周りにいろいろな色の光がありました。光の中心はまた他の存在のようなのですが、形といえる形はありません。
その大きな羽をつけた存在は大天使というらしくて、大天使は新しく生れた小さなわたしにいろいろなことを教える係りのようです。
大天使は体長とほぼ同じ位の大きな長い羽を持っています。それにくらべて生れたての小さい天使の羽は手の平くらいの大きさしかありません。まあ飛ぶのに別に羽は必要ないのでいいのですが。
すぐに何人かの大天使が各カリキュラムを但当して、わたしと他にも生れたてらしい小さな天使たちの教育が行われます。それぞれに名前もついていてだれがだれか判るようになっているようです。私はハチスケルというのが正式な名前なのですが、クラスメイトからはハッチと呼ばれるようになりました。なんかそんな名前の虫が地上というもうひとつの世界にいてわたしのようにやはり小さな体で小さな羽をつけているのだそうです。大天使はみな正式名で呼ばれていますが、小さい天使はたいてい愛称で呼ばれます。わたしと対照的に体長が長いチョウスケルというクラスメイトはチョウスケという愛称で呼ばれ、長短コンビでよく一緒に遊びました。
天使の教育過程を終え、天使三原則を守る誓いを立て、今後の行動の指針となる天使マニュアルをもらってみなそれぞれの持ち場へと出発です。
私は人間の守護をする係りとなって、見習い天使として先輩の天使の監督のもとに地上世界に新しく生れた人間付きになりました。
地上世界というのは形のあるものがだいたいいつも同じ形を続けているところで、有るものがすぐに違う形になったり透明になったりするもうひとつの世界にくらべると随分混み合っている感じがします。
初めて守護天使の仕事をする場合はマニュアルだけではこころもとないので監督をする天使がついてきます。まあそれで助かりました。なにせ失敗の連続で、監督がいなかったらどうなっていたかわかりません。人間の平均からいっても寿命が比較的短い人だったので終始監督がついていてくれました。
初めての守護天使業を終えると上級教育過程を受けることになります。実地研修から学んだことをしっかり把握するためのいろいろな補習研修があり、その後シミュレーションを受けて、合格すると見習いから正守護天使となって、監督なしで派遣されることになります。
短い休暇をとった後、わたしは今度は単身で、前回と同じ日本という国の、生れる直前の女という性別の方の人間が出てくることになっている病院という所につきます。人間は女性の方の胎内で単細胞から数十兆の細胞をもった成熟体を小さくしたような形態になるまで育てられてから胎外に出ます。
胎内のその子は私を見てニッコリとした感じに輝きました。胎児の間と生れてからしばらくは人間は天使が見えるのです。天使はこういう時に同じように輝きます。人間でいうなら歓びという情緒です。
無事に生れてきたその子には真理奈(マ・リ・ナ)という名前がつけられます。両親は相川(アイカワ)という苗字をもっているので相川真理奈です。
戦争というのがあった前回と違って人間界は平和時らしく、真理奈さんの周囲の大人たちは比較的情緒的に穏やかに感じます。小さな真理奈さんはあまり病気もせず育っていきます。元気があって大きな声で泣くので周りの大人は右往左往させられています。二度目なのであまりマニュアルと首っ引きせずに見守りができます。
守っている相手が幼い間はその兒の母親同様天使もけっこう忙しいものです。尖ったものを口に入れようとしたり、高い位置から落ちそうになったり、熱いものに触れようとしたり、狭い場所に無理矢理入り込んで出れなくなったり・・・
天使は人間の親の方が気をつけていることについては手出しせず、どうしても危ない時で、しかもその兒が運命的に怪我をすることになっている条件が無い場合で学びのための体験の範疇でもない時に細小の関与で守護します。
初めての研修の時はこれでよく失敗します。このままだとみすみす怪我をするとわかっているのでつい先走りして助けてしまうのです。それで視ている相手が自分で学ぶ機会を先送りにされ、結局また同じようなことをして今度はもっと深刻な怪我をするということになるとひどくつらい思いをすることになります。
根が親切な性質を持っているうえに守護をする役割なのに手を出してはいけないことが沢山あるのでけっこうストレスがたまります。
こういう時はストレスを解消するためにレクリエーションをします。レクリエーション施設に行くのには友だちのチョウスケをよく誘います。
クラスメイトだったチョウスケは今のところ守護の仕事が無いので工場で働いています。工場のまん中には大きな炉があって、透き通った明るいグリーンの光が中にあって、そこから虹色の光が出ています。チョウスケたちは次々と手にもった金平糖のようなデコボコのかたまりをその光の炉に入れていきます。かたまりは溶けて下の溝から外に流れ出ていくようになっています。わたしたちはそれを涙の川と呼んでいます。
金平糖のようなかたまりは「悲しみ」で出来ていて、人間の眼には見えないけれど天使にはよく見えます。あんまりあちこちにゴロゴロあると邪魔な上に、固まり同士がくっつくとどんどん大きくなっていっておまけに増えるのです。それで、あまり増え過ぎないうちに片付けるのも天使の仕事なのです。
工場からチョウスケと一緒に遊びに出かけます。
施設に着いてまず目に入るのは沢山の天使が大形テレビのようなビュースクリーンをのぞきこんでいる所です。スクリーンは9分割とか16分割画面になっていてリアルタイムで救助が必要な状況が映し出されています。だれかが救助に出ると決めたら画面番号に対応するボタンを押します。すると画面に処理中のサインが点滅し、処理が済むと新画面に変わるしかけになっています。
葉っぱの先っぽまで行ってしまって戻れないかたつむりやひっくり返ってばたばたしているカメや日なたのアスファルトの上に出てしまってもと来た道がわからないミミズのような人間以外の生き物のケースが一番多いのはしかたのないなりゆきでしょう。人間の場合は自由選択で生まれるという前提条件があるので自由をさまたげないかたちで見守らなければならないから『救助オーケー』のケース数が比較的少なくなるわけです。
一度に4件づつのパック救助セットを2つもこなしてようやくスッとしたので仕事に戻ります
真里奈
わたしの名前は相川真理奈です。小学校の五年生です。
いつもの時刻に家を出て門のかげで少し待っていると雅彦さんが通るのが見えた。
少し間をおいて外に出ていって「おはよう」って言いながら追いついた。雅彦さんも「おはよう」って言っているのにどんどん追いこして走ってしまう。
学校の門のところでふり向いたけど彼はまだ見えない。
『今日もまた走ってしまった。並んで話をしながら歩こうって昨日決めたのにダメな真理奈』
門のところでぐずぐずしてると彼が角を曲がって現れた。典子ちゃんが並んでいて何か楽しそうに話しながら歩いてくる。胸がズキッと痛んだ。二人に見つからないうちに急いで校舎に入ってしまう。
一時間目は苦手の算数だ。さっぱり解らないのにじっと座っているのは嫌だけど、でも彼を見ていればすぐ終わるみたいな気がする。
雅彦さんは算数ができてかっこいい。先生も他の生徒が解らないといつも彼をあてる。そしていつも黒板のところへ行ってスラスラ答を書く。書いている時も落ち着いていて歩き方も姿勢がよくてかっこいい。算数だけでなくて他の科目もみんなできる。学級委員だし、背も高いし、おとなっぽくて、とにかくズバぬけている。
わたしの成績は中の中くらい。雅彦さんはたいてい48人中の1、2番みたい。私もとても5番以内は無理としてもせめて10番以内にはなりたいと思うけどいつも20番がせいぜい。
頭も悪いし典子ちゃんみたいに美人じゃないし、淳子ちゃんみたいにスポーツ万能でハキハキしててめちゃくちゃ明るくないしとても雅彦さんみたいに完璧な人にふさわしくはないと思っているのに夢は彼にボーイフレンドになってもらいたいということ。彼は典子ちゃんか淳子ちゃんのどっちかが好きなんじゃないかと思う。どっちかとよく話をしている。そのたんびに胸がズキッとなっていたたまれなくなる。そういう時はいつもなるべく見えないところへ行ってしまうことにしている。
「相川さん」
アッと思って見上げると彼が私の机の前に立っていた。
「このポスターなんだけど、この辺とこの辺に絵を描いてもらえないかと思って」
私は絵は得意だ。習字はいまひとつだけど絵はいつも貼り出しになる。雅彦さんに頼まれた。いつもと違う胸のドキドキ。嬉しくって顔がくずれないように奥歯をかみしめて引き受ける。
午後は頼まれた絵のことで授業がどうなっていたのか覚えていない。放課後残って彼と二人でポスターをつくるのだ。ホームルームの後みんながぞろぞろ教室を出ていくのを待っている間も気分はウキウキ。でも典子ちゃんがいる。
『もしかして・・・』
そのもしかしてだった。ガッカリしたと同時に少し雅彦さんがうらめしかった。
『何で典子ちゃんが?』
典子ちゃんは何でか知っているらしく、生徒がみんないなくなるとテキパキ机を並べ変えて、作業場を作っていく。雅彦さんが手にいっぱい絵の道具を持って教室に入ってきた。
「あれ、池内さん一人で用意しちゃったの?ごめん」
一人でって、私は何するか聞いてなかったから、それで手伝おうと思ったらもう出来てしまっていたんだもの。何だかやる気が急にしぼんでしまった。二人は作業中もとっても楽しそうに話しをしている。真理奈も何か言わなければと思うのに何を言っていいのかちっともアイデアが浮かばない。
『典子ちゃんって大っ嫌い。』
真理奈さんは少し悲しいことがあって泣きながら眠ってしまいました。胸が痛んでいるのです。そっと胸に光を当てていたのですが、まだまだ痛みは退きません。
天使はこういう時のためにちょっとした小道具も用意しています。
春の朝の森の匂いと若葉の柔らかい黄緑の光と野生の黄水仙の香りの混ぜ合わせ。
冬の朝の白梅の上の雪と花びらの匂い。
夏の海の潮の香りとバニラアイスクリームの香りをほんのちょっぴり。
秋の午後の草原のコスモスと枯れ草の黄金色の匂い。
こういう香りと光を混ぜ合わせてそれを小さなビンに詰めてとっておくのです。そして眠っている真理奈さんののどのあたりでビンの栓をぬきます。
その夜真理奈は夏の海岸で麦ワラ帽子をかぶってバニラアイスクリームを食べ食べお父さんと手をつないで歩いている夢を見ました。お父さんの大きな手の中で真理奈の手はこちょこちょ動いて手の平をくすぐりました。そうするとお父さんは『こらっ』と言って抱き上げてくれるのです。
『お母さんが泣いている。』
夜中にお手洗いに起きた真理奈は母がまた泣いているのを聞いてしまった。
去年両親が離婚してからお母さんは夜よく泣く。真理奈にはよくわからないがお父さんが会社の女の人とウワキをしてその女の人がお母さんに会いに来たらしい。お母さんはものすごいショックを受けて、おばあちゃんが止めるのもきかずに断固離婚してしまったのだ。
「おまえは許すということができないのかい?」おばあちゃんがお母さんに言っているのを真理奈は茶の間の外で立ち聞きしてしまったことがある。お母さんはケッペキ性で困るともおばあちゃんは言っていた。真理奈はお父さんもお母さんも好きなのでどっちの味方も出来ないでどうすることもできずただ悲しくてたまらなかった。
朝いつものように雅彦さんが家の前を通るのを待っていないで学校に出かける。
『もう知らない。雅彦のバカ』
プンプンして石ころけとばしながら歩いていると後ろからワッと背中を叩かれた。
「何怒ってんの?」
典子ちゃんだった。ぎくっとして、
「ちょっと家で・・・」としどろもどろ。彼女に弱味は見せられない。典子ちゃんは妙に人の気持ちに敏感で気をつけないと心を読まれてしまう。
「あれ、雅彦さんは?」
「さあね」言いながら典子ちゃんは真理奈と並んで歩いている。「別に彼の番人じゃないもん」
いいなあ典子ちゃんは。真理奈もそういうふうに余裕があるといいのに。典子ちゃんておとなだな。くやしいけどうらやましかった。
今日は写生に行く日。担任の大泉先生は体育の先生で二組の担任の井上先生が図画の先生なので写生は二組一緒に行うことになっている。
元気一杯の大泉先生はいつもの白いブラウスに紺のキュロットスカートで先頭を行く。のんびりやの井上先生はしんがり。土手に白いのや青いのや小さな花をつけた草の生えている小川沿いに小高い丘に向かってゾロゾロ歩いていく。
めだたないように横目で彼を見ながら、典子ちゃんも淳子ちゃんも一緒じゃないのでホッとして歩く。
並ぼうかな。どうしようか迷っているうちに目的地に着いてしまう。われながら優柔不断なのに嫌気がさす。優柔不断なんてことばを知っているのは本を読むのが好きなせいらしい。おばあちゃんはことば使いに厳格な人で真理奈が間違うといつもきちんと訂正する。お父さんもことばはきちんとしている。すごく教養のあるところをおばあちゃんが気に入ってお母さんとお見合いさせたそうだ。
でもお父さんは学校の成績は優秀だったけど家のまわりの仕事はからきしだっておばあちゃんは言っていた。お父さんに大工仕事を頼むとああでもないこうでもないって半日考えてその割りに大した仕上がりでもないなんて言っているのを聞いたことがある。家ではおばあちゃんが一番強い。
写生はとても楽しい。畑のすみに古い小屋があるところを入れて描いていく。小屋の木の色あいがとても良いねって井上先生がほめてくれた。あっという間に時間がたってしまう。描いている間は雅彦さんのことも忘れてしまっていた。
第二話

青空に白い雲が浮いている下で真理奈さんがシャセイというのをしています。白い紙の上に様々な色のつけられる道具を使って形を描いたりそれに色をつけたりして絵というのを造るのです。真理奈さんは絵を描いているときはうんと輝いていてそれに専念するので守護天使としてはのんびりできる時です。それで雲を材料にいろいろ好きな形をつくって 空に浮かべて遊ぶことにしました。
海に住んでいるイルカを2 頭つくりそれより少し小さいのを1頭尻尾の方に浮かべます。イルカは泳ぐように流れながら形を今度は鷲の形に変えていきます。他の子供の守護天使たちもだいたいのんびりとそれぞれの遊びをしています。仕事中なので天使同士は必要ないかぎり接触はしません。みなそれぞれの相手を守護する責任を最優先にするからです。シャセイが終わって子供たちが道具を片付けてまた列をつくり歩き始めました。転んだり薮の鋭い草木で怪我をしないように子供が慎重に行動できるように見守りながら天使たちもついていきます。
今日は早く下校して夕食をつくる日だ。お母さんが働くようになってから平日の料理はおばあちゃんの係りになった。真理奈もよく手伝う。得意のタマゴカレーをつくることにした。おばあちゃんは真理奈の好きな蒸しパンを作っている。
「お嫁に行ってから恥をかかないようにちゃんと家事ができなければいけない」っていうのが口癖のおばあちゃんの家事教育はけっこう厳しい。でも裏庭の菜園の手入れや掃除は真理奈がさぼっても大抵大目にみてくれる。
カレーができて食卓に食器をならべるとお母さんが帰ってくるまでは自由時間だ。部屋にいって絵を描くことにした。イラスト集を入れる紙挟みから白いのを1 枚取り出す。紙挟みに入っている最近のイラストは雅彦さん入りが多い。真理奈はたいていウェデイングドレスを着ている。外国の雑誌や写真のきれいな庭や教会の切り抜きもとっておいてそれを参考に背景もきちんと描く。雅彦さんは白いモーニングも似合いそうだけど紋付と袴も似合いそう。でも真理奈が打ち掛けはいやなので今日の絵もやっぱりドレスにする。教会は小さいのにする。馬車は馬が難しいので省いた。花束のデザインを考えているとお母さんの呼ぶ声が聞こえてきたので階下に行く。食事時は家族がちゃんとそろってその日のできごとを話し合う大切な時間なのですぐに行かないといけないことになっている。
『お母さん何だか元気がない』
今日のカレーは我ながらうまくできたと思うのにお母さんはあんまり食べないし、おばあちゃんの話もよく聞いてないみたいだ。こういう時は早めに食事をすませておばあちゃんとお母さんを二人にすることにしている。お母さんが沈んでいると真理奈の胸も少し痛くなる。お父さんがいなくなってからよくこういうことがある。ごちそうさまを言ってからそっと自分の部屋に行く。
『お母さんが元気になりますように、それからおばあちゃんが元気で長生きしますように』ってお祈りしてから本を読むことにする。お願いが二つもあるので今日は雅彦さんのことを頼むのは遠慮した。雅彦さん関係のことを頼む時はおばあちゃんを省く。おばあちゃんは元気なのでよく省く。まだ読んでない本が一冊もなかったので前に読んだのでよく覚えてなさそうなのを探してふとんに入ってスタンドを点ける。
真理奈さんの胸の辺の光がもやもやと少し不透明だったのが本を読んでいるうちに澄んできたので見張り番を小さい妖精に頼んでチョウスケのところに行きます。チョウスケがこの頃よく参加しているワークショップにつき合うことにします。チョウスケはどうやら守護天使ではない方面に行くことにしたらしいのですが、勉強は楽しいので進路は違ってもよく同じ会にでます。
会場にはもう沢山の天使たちが来ています。羽の小さい見習い天使の列に連なります。天使には階級があって何層にもなっていますが、こういう勉強会に参加するのは見習い天使と平の天使です。たいてい大天使が教官を務めます。大天使たちはそのまた上層部の天使から指示を受けるのですが、わたしたちはめったに大天使より上層の天使と直接会うことはありません。
テーマは暗くてよく見えない人間たちがよく聞こえない話を被守護者にしている場合に見聞きできるようになる方法と介入の限度についてです。暗くてよく見えない人間は天使には聞こえない話をよくするのですが、そういう話が被守護者に深い打撃を与える場合が多いのでその対策を学ぶのです。大天使級になるとどんな人間のことばも聞こえるようになっているそうですが小さい天使は嘘と呼ばれている人間のことばが全部聞こえるようになるためには訓練が必要なのです。なにしろ天使界にはそういうことばがないのですから。被守護者の成長を妨げるおそれのある介入は非常に慎重に行わなければならないので小さい天使の判断でできない場合はうんと上級の天使のそのまた上の方にお願いすることが勧められています。その方法というのも習います。何でもうんと上の方は人間の頭に電気を落としたりすることもあるらしいです。それは天使の役ではありません。
第三話

図画の授業の後井上先生に残るように言われる。何かと思ったら、県の児童絵画コンクールに出品する気があるかどうかという話だった。これから描いたものでもいいし、既に描いてあったものでもいいという。後で決めることにした。
放課後図書館で本を借りて帰る。帰ってから動物画の描き方を手本に馬を描いてみる。白馬に乗った雅彦さんが、木馬に乗った雅彦さんじゃ困る。動物を描くのは難しい。何頭も描いているうちに少しまともなのが描けた。百科事典の馬具の項から鞍や、足を乗せる器具の形を調べて、やっと彼がまともに馬に乗っている格好になった。かなり満足して、コンクールに出す絵の主題を何にしようか考えることにした。海の絵を描きたいと思った。お父さんと一緒に貝を拾ったり、アイスクリームを食べたりした海の絵だ。貝や浜辺に干してある魚とりの網も描こう。写生した海辺の風景を集めてあるのを出して見る。あまり上手でない。やっぱり写生に行かなければ。台所からお母さんが晩御飯を知らせる声が聞こえた。今日は元気のいい声だ。お母さんは機嫌がすぐ声に出る。元気な声だと私も気分が明るくなる。
食卓にいつもより三品くらいおかずの皿が多い。杯も出ている。お客さんなのか。女所帯になってからお客さんが食事に来ることはめったになくなった。お父さんが居たころはよくお客さんが来て、おばあちゃんとお母さんはてんてこ舞いでご馳走を作ったものだ。私はお父さん用に別に作ってあったお酒の肴がどれも大抵大好きで、うらやましそうに見ていると、お父さんは「真理奈も食べるか?」と言って小さなお皿に少し分けてくれものだ。「この子は酒飲みになりそうだ」と言うのがお父さんの口癖だった。
今日のお客さんはお母さんの弟だった。叔父さんはまだ独身で出版社に勤めている。本が大好きで、それが嵩じて出版社に勤めることになったらしい。真理奈の誕生日にはよく本を贈ってくれる。家ではとても買えないような立派な本で、百科全書も叔父さんのプレゼントだ。叔父さんは「注ぎ上手」なのだそうで、お母さんも何倍もおかわりしてお酒を飲んで、楽しそうに叔父さんの話を聞いている。叔父さんは物知りで話もとても面白い。お父さんとも仲が良かった。わいわい話をしながら食事をしていると楽しかった頃のことを思い出す。何故お父さんは出て行ってしまったのだろう?
真理奈さんの家族がそろって、食物が乗った台を囲んでいる部屋全体は明るい黄色い光に満ちています。どの人もやはり輝いています。こういう時人間は楽しい幸せな気持ちを経験しているのだそうです。私たち天使もこういう光に包まれた人間を見るとやはり嬉しくて光が強く輝くのです。人間が沢山集まっている地域を全体的に見ると、このような光の強く輝いている部分と暗く翳った部分とがまだらになっています。球体のこの星全体を見ても、やはりまだらに光と影が交錯しています。影の部分からは金平糖のようにでこぼこした塊が沢山出てきます。例の、チョウスケが臨時に働いていた工場の緑色の光の炉で溶かすと涙になるものです。真理奈さんが輝いているので横目で見ているだけにして、チョウスケと声だけで話をします。チョウスケは今大天使ミカエルの助手になるべく見習中です。なんでも今世紀の後半はミカエルの仕事の分担が非常に多くなるために、その助手を多数養成する必要があるらしいのです。
真理奈さんは今日は楽しそうな顔で眠っています。胸の辺りが一際強く虹色に輝いています。私もすっかりリラックスしてしまい、なんだか音楽を奏でたくなりました。好みの小さなハープをひとつ注文し、ついでに楽譜も頼みました。即興も楽しいですが、時にはクラシックを弾きたくなることもあります。腕の中にハープが現れ、目の前の空中に五本の線が出てきました。お玉じゃくしがダンスしながら行列で出てきてその五本線を通り抜けていきます。お玉じゃくしに沿って奏でていきますと、音は金色の珠の形になってはまたすぐに砕けて、細かな光の粒になって消えていきます。珠は様々な色の光を放って踊るように渦巻き流れていきます。音楽と共に様々な光の渦巻く模様が現出し、一時も停止することなくその形を変えていきます。音の描く光の絵を観ながら演奏していると他の天使が加わってきます。今日は始めに二種類の笛の音が、それからシンバルが加わりました。ジャムセッションは夜明け近くまで続き、終わり頃には楽器が十数種類にもなっていました。リラックスしている天使が多い日なのでしょう。
第四話

体操の時間はドッジボール。こういう時は淳子ちゃんが断然かっこいい。真理奈はのろまなのでよくボールの直撃をくらう。今日は調子よくてうまくとれたので友子ちゃんにぶつける。友子ちゃんはお雛さまってあだ名がついている。何もかもが小さいからだ。小さい卵形の顔に小さい手、ぽっちゃりした手の甲にエクボがあるのがうらやましい。真理奈の手は大きくてゴツゴツしていて男みたいで好きじゃない。
友子ちゃんがお腹を抱えてうずくまってしまった。ボールが命中してしまったのだ。真理奈のバカ力のボールをかわしそこねたのだ。みんなが友子ちゃんに駆けよる。大泉先生がまん中にいた。ひざをついて友子ちゃんの脇に手を入れて抱えるようにして校舎に向かって歩いていく。友子ちゃんは顔色がまっ蒼だった。小さくて華奢な体なのでよけい痛々しい感じがする。真理奈もおろおろしてついていく。保健室の前で先生はみんなに「もういいから校庭に戻りなさい。堀内さん監督になってドッジボール続けて」と言ってから真理奈の顔を見て、「よかったら一緒に入って」と言ってくれた。
早くあやまりたかったけれど、友子ちゃんがあんまり苦しそうでそれどころではないみたいなので、なるべく他の人の邪魔にならないように部屋のすみっこで小さくなっていた。胸がドキドキして頭の中で『どうしよう、どうしよう』って言っている自分の声がコダマしている。
真理奈さんが緊急に援護を要する事態になっています。人間は自分がしたことが原因で他者に被害が及ぶと、後悔とか罪悪感と呼ばれている強い感情的反応をする場合がよくあります。こういう時によく起きる現象として、通常は身体全体を包んでいる光の繭(まゆ)が一部破れて、そこに黒い影のような光と反対の物が侵入し始めるのです。守護天使の役目はその繭の破れ目を光の絆創膏でふさぐことです。一箇所ふさいでもすぐに他の場所に穴が開くようなことが多く、真理奈さんを包んでいる繭も何度もふさぎました。次々に穴が開かないようにするためには胸の中心辺にグリーンないし金色の光を照射しながら作業します。
やっと友子ちゃんの顔色が少し良くなって縮こまっていた体が伸びて仰向けに寝たので近くに寄って、「ごめんね」とあやまると、友子ちゃんが「ボールのせいじゃないの」って養護の先生の顔を見た。「そういう時は体操休んでもいいのよ」って言っているので解った。「じゃあここで気分がよくなるまで寝んでいらっしゃい」と大泉先生は立ち上がり、真理奈と校庭にもどる。やっとホッとしたけれどドッジボールする気にはなれない。体育の時間が終わって着替えをして教室に入っていくと先に教室に帰っていた生徒たちが友子ちゃんのことを話していた。男子生徒も友子ちゃんのことを聞いたらしくて中の一人が、「真理奈、気にすんなよ」って言ってくれた。
友成(ともなり)健一君という子で家が近所なのでお母さん同士もつき合いがある。三年生の時に転校してきた健一君にまだ友達がいないので真理奈に友達になって欲しいと言ってお母さんに家に招待されたのが始まりで、健一君は時々家に遊びに来る。男子生徒は一人であまり女子の家に来たりしないものなのに健一君は平気で来る。それからこっちはそう思っていないのに向こうは勝手にこっちを友達第一号と思っているらしく、他の男子みたいに相川さんって呼ばないで気安そうに真理奈って呼ぶので困る。雅彦さんに健一君と一番仲良しだと誤解されたくない。でも健一君は一緒にいても緊張しないから時々遊んでいて楽しいと思うこともある。凧揚げや木登りや栗拾いに誘ってくれるとつい行ってしまう。
ホームルームの時間に友子ちゃんが戻ってきた。先生が帰りにだれか送っていってあげて下さいと言うと真理奈より速く淳子ちゃんが手をあげてしまった。友子ちゃんの席に淳子ちゃんが行くと雅彦さんもサッとそこに行って、「荷物は僕が持つよ」とさっさとカバンや体操着や運動靴の入った袋を持ってしまう。真理奈の出る幕がない感じになっている。三人が行ってしまうのをぼーっとして立って見ていると、「真理奈ちゃん帰ろ」と典子ちゃんが背中にポンと手を当てて言った。どうしてか解らないけれど涙が出そうになった。
帰る道で、真理奈が黙りこくって歩いていると、「友子ちゃんのことまだ気にしてるの?」って典子ちゃんが聞く。
「えっ。ううん。あ~っと、うん。私が送って行きたかったのに。だって...」と、何て言っていいか解らないのでもごもご言っていると、典子ちゃんは下を向いたままで、
「あのね。秘密教えてあげようか」って言う。
「何?どんな秘密?」
典子ちゃんは立ち止まって真理奈の顔を見て、「絶対に秘密よ。指切りよ」って言うので、指切りゲンマンする。典子ちゃんは顔を近寄せてきて耳元で小さな声で言った。
「あのネ。田村(雅彦)君はネ。友子ちゃんが好きなのよ」
「嘘!そんな。淳子ちゃんじゃないの。どうして知ってるの。違うでしょ。淳子ちゃんでも典子ちゃんでもないの?」
ビックリ仰天してそう言いながら、真理奈もだんだん気がついてきた。そうかもしれない。いろいろと思い当たることがある。友子ちゃんがあんまり目立たない子なので、そういう様子を見ていてもつながらなかったのだ。そうか、そうだったのか。でもどうして? 今まではライバル意識を持っていた淳子ちゃんや、典子ちゃんが急に遠ざかって、代わりに背景にいたボッチみたいに小さい友子ちゃんがクローズアップされてきた。でも納得がいかない。クローズアップされてもやっぱりどこといって取り得のない友子ちゃんのイメージは変わらないからだ。何でなのだ。淳子ちゃんなら諦めがつくのに。友子ちゃんなんて、とすごく口惜しかった。
真理奈さんの周囲の光が縞模様に渦巻いています。こういう時人間は重要な試練や苦悩に直面しているのですが、天使はすぐには介入できないのです。縞模様の渦が非常に激しく、しかも長期に渡っている場合で光の繭が大きく破れて修繕が間に合わないほどになる危険性がある際には最小限度での介入が許されています。この場合はそれほどではないので、ただ注意して見守るだけにしています。前回はこういう際に早期に介入し過ぎて監督に注意されました。
学校から帰ってすぐに部屋に行って戸を閉めてしまう。何かに当たり散らしたい気分の時はおばあちゃんに会いたくない。 「やだ、やだ、やだあ。やだやだやだやだ」とおばあちゃんに聞こえないように小さい声で言いながら、ゲンコでクッションを叩いて足をバタバタ座布団に打ちつけた。しばらくして疲れてしまったので泣くことにした。階下へ夕食の手伝いに行くまであと一時間以上あるので四十分位泣いて、それから冷たい水で顔を冷やせばバレないと思う。天井を見ながら友子ちゃんの荷物を持った雅彦さんの姿を思い浮かべていたら涙がじわ~っと出てきた。目覚ましは四十分後にセットしてあるので大丈夫だ。
真理奈さんの周囲の縞模様が消えたので、光の繭についた幾つかの小さな傷を野生の水仙の香りのする琥珀色をした光の薄布でふんわりと撫でます。小さな傷はすぐに消えましたが、繭全体光が弱々しいので薄布を掛けたままにしておきます。真理奈さんは眠ってしまいました。
第五話

目覚ましの音でビックリして目が覚めた。朝かと思ったらまだ夕方だ。さっき泣いている間に眠ってしまったのだった。洗面所の鏡で顔を見たらそんなに赤くなっていない。ともかく顔を洗って台所へ行く。おばあちゃんが鍋の中のソースをかき回しているので、交替する。弱火で焦げつかないように煮詰めるような仕事は真理奈の役目だ。退屈なので片手に本を持って読みながらかき回してもいいと思うのに、おばあちゃんは不味くなるから駄目だと言う。食べるものはのの様のお恵みだから大事に感謝して扱わなければバチが当たる。本を読みながら片手間に扱っては失礼だと言うのだ。おばあちゃんは神さまのことをのの様と言う。ご飯粒一つでも捨てたら恐い目をして怒る。でも真理奈が嫌いな食べ物を残しても怒らないで自分で食べてくれ、代わりに好物をくれる。
夕食後図書館で借りてきた本を読むことにした。アンデルセンの童話集で前に読んだのと違い、絵がほとんどない高学年向きの本だ。字が小さくてぎっしりいっぱいの本は読みでがあって好きだ。目次を見ると十二話収録されている。一話目の「みにくいあひるの子」を読む。次は「マッチ売りの少女」だが、前に絵本で読んだ時この話があんまりかわいそうで辛かったので読みとばすことにする。次の人魚姫の話もかわいそうだった記憶があるがよく憶えていないので読み始める。
子供だったころから大分年月が過ぎて、もうお忘れになった人もあるでしょうから人魚姫のお話をかいつまんで申しますと、こういう内容です。
海の底にある王国の王様には六人のお姫様があって、そのうち六番目の姫はとりわけ聡明で、またこの上なく美しい声で歌をうたうことができました。姫たちはそれぞれ年が一歳ずつ離れていて、十五歳になると海の上に出ることが許されていました。姉たちが次々に海の上に出て帰ってきては異国の美しい風物の話をしてくれるのを聞いてはその日を待ち焦がれていた末の姫もとうとう十五歳になり、海の上に出てみると、船がいてその上にとても美しい若者がいました。ところが急に嵐になり、船が難破してしまいます。美しい若者は波に飲まれて溺れてしまいます。人魚姫は気を失っている若者を抱いて浜辺まで泳いでいき、そこに横たわらせると岩陰に隠れて見ています。浜辺に数人の娘が出て来て、そのうちでもとりわけ美しい若い娘が若者を見つけます。目を覚ました若者が最初に見たのは人魚姫ではなく、その娘だったのです。
その若者が忘れられない姫はついに魔女の洞窟に行って、美しい声と引き換えに二本の脚をもらいます。一足歩く毎にナイフを突き刺されるほど痛い上、声もない人魚姫は若者、実は王子様だったのですが、その宮殿の浜辺で発見されて王子の傍近くで仕えることになります。王子は姫を妹のように可愛がってくれたのですが、恋をしていたのは浜辺で倒れていた時に命を助けてくれたと思っている美しい人間の娘だったのです。王子と結婚できれば人魚姫は本当の人間になることができるのです。でも行方も判らないその娘と結婚できない限りは独身でいると王子が言いますので、その間は人魚姫も傍にいられます。王子が他の娘と結婚しない限り人魚姫は生きていられるのです。人魚姫は声がないので、海で王子を助けたのはその娘ではなく自分だと言うことができないのです。そのうちに王子は隣国の姫がその娘だったことを知ります。
二人の婚礼の前夜、まだ陽が昇らないうちに王子の胸をナイフで刺して、その血を脚につけないと、人魚の姫は海の泡となって消え去ってしまうのです。人魚は人間と違って魂がないので、死んだら何も残らず、神様の御許に行くことすらできないのです。どうしても王子を殺すことができなかった人魚姫はせっかく五人の姉姫たちが美しい髪と引き換えに魔女からもらったナイフを海に捨ててしまい、夜明けの光とともに溶けた体が空気の泡となって、空に上っていきます。
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真理奈は読んでいる中においおいと泣いてしまいました。人魚姫がかわいそうだったからではありません。友子ちゃんに腹を立てて怒っていた自分の醜さが悲しくて、恥ずかしくて泣いてしまったのです。真理奈はもう決して今日の午後のように誰かを嫉んだり憎んだりするのはやめようと思いました。そして人魚姫のように、自分が泡のように消えてしまってもいいから愛する人の幸福を先に思うことができるような人になれるように努力しようと思いました。今すぐには無理だとしても。
今日は真理奈さんにとってとても有意義な日でした。ひとりひとりの人間の一生という流れの作る円環には節目のような場所があって、そこでは事件が多発するのです。節目においての守護天使の役目は重大です。保護し過ぎては学習と成長の妨げになりますし、後々まで残る非常に深い傷になるような裂け目の修繕が上手くいかないとその人間の一生という円環の形全体がいびつになってしまうのです。円環の形がいびつになってしまうと、節目節目での学習がバランス良く行われず、ある方向にばかり偏ってしまいます。こういうゆがみがあまりにひどいとその人間は円環自体を壊してしまおうとしたりします。自分で自分を殺してしまうのです。いきなり崖から飛び降りて短期間に壊してしまう場合や、肉体の健全さを損なうようなことばかりして病気になって早死にしたりと、方法はいろいろあります。時には守護天使はそれを見ていなければなりません。円環が壊れるのを何もしないで見ていなければならない天使の多くはとても深い衝撃を受けます。天使には涙腺がないので涙を流して泣くことができませんが、それはそれは悲しい経験で、人間のように涙腺があったらさぞさめざめと泣くだろうと思います。
あとがき
ずいぶん昔に「静流の部屋」というホームページに書いたものなのですが、あまり気負っていない文も気楽で良いかと思い、ブログに掲載することにしました。イラストは当時ホームページを作成してくださっていた鈴木敦子さんという方が自分で描いて挿入してくださっていて、素敵なので入れたままにしておきました。
今のこの混乱と天災続きの時世で読み返すと、のんびりした時代だったのだなあと思います。
2020.9.22
あれからかれこれ二十年も歳とった静流