タチツテトのツ

今日は4月14日です。朝方「ツ」という音が頭に入って来ました。まだ意識がもうろうとしていたのですが、「通」という字が続いて頭に入って来ました。起きて紙に書きつける元気がなくて、頭の中で、カタカナの「マ」と「用」と漢字の部首の「シンニュウ」だと思ってまた寝てしまいました。数時間後、幸いに忘れてしまわなかったので、検証してみることにしました。

タチツテトは五十音の4行目にあります。その真ん中の字が「ツ」で、云音表の文字を当てると、通、付、連の三文字になります。今回はこの表を用いて、音と文字が奏でるハーモニーが天上の妙なる交響曲のどの部分を担当しているのかを探検して行こうと思います。

まず、五十音はどういう特徴を持っているのでしょうか。アルファベットに比べますと、ある順番に従い整然と並んでいます。
一行目はアイウエオという母音です。日本語でも使われているアルファベットのローマ字表記ではA、I、U、E、Oになります。
二行目は子音のカキクケコ。KにAIUEOがそれぞれ付いています。
以下サタナハマヤラワ行と十行で各行五音ですから五十音となります。
横段で見ますと一段目が全部A、二段目は全てIで終わります。以下UEOも同様なっていて、きちんと整理されています。

小田野先生が作成された整理図を見て見ましょう。


中段のウという行を見てください。クという字の脇に舌根とあります。これは体内から息が吐かれて音を形成するにあたり、舌根に力がかかっているという意味です。「ク」と発音して見てください。分かりますね。
「ス」と発音すると舌先に息がかかっているのが分かると思います。順番に力点が移動しているのが確認できますね。

では次に何もない「無」から「有」が生じてくる天地創造という観点から力点の移動という意義を考えて見ましょう。体内の音というものはまだ音になる前の音と言えます。口を閉じた状態で息を吐くと「ン~」という、うなり声のような音になります。人間でなくとも動物なら皆同じようなうなり声のような音が出ます。これをまだ何も出来ていない状態の音という意味で、小田野早秧は「閉音」と名付けました。また、五十音の全ての音は口を閉じて発音すると、「ン」という音になることから、「発声基本音」と名付けました。内部から外に向かって開かれ、展開されて行く過程を創造の過程と見て、これを順に表にした五十音というものの存在意義を発見したのが小田野早秧です。

さて、タチツテトの話に戻ります。四行目の終りに「天の完成」と赤字で入っていますね。命波音整理図には入っていなかったのですが、「云音表」の方には入っていますので、説明の必要上私が付け加えました。
創造の過程において、森羅万象の展開が可能となる謂わば、「場」としての宇宙は始めの四行に入っている音の能きによって成立したという意味です。五行目はナニヌネノの音が入っている行で、ここに「ヌ」が入っています。云音表では「奴」という字が当てられています。人間と言う意味の字です。光透波理論では、宇宙と言う場が成立した後に人間が生まれてきたという進化の過程を表していると見ています。
人間が出てくる前のタチツテトの行の同じ段に入っているのが「ツ」です。アから始まってなっている音の展開されている場にっているものは創造のエネルギーそのものなのです。これがきっぱなしに付いていて決して離れることがない。つまり永遠の生命というエネルギーなのです。人間の親とは異なり、見捨てたり、死んでしまったり、気が向いた時だけ命のエネルギーを供給してくださっているのではなく、いつも、いつも、絶えることなく永遠不変にい育てて下さっているのが天(云音表では弖という字が当てられています)という實親なのです。

ツという音の次のテという音には「弖」と「丁」が入っています。次のトには「透」と「答」が入っていますから。天と言う場の完成の最後の締めくくりがツテトの働きだと教示されているという意味に取れます。


マ、真実の真と用とシンニュウ(走っている、つまり活動しているという意味の字)、真実を用いて活動していると分けました。偽でも嘘でもなく真実を用いないと天は完成しないとも読み解けます。

云音表は一見単純な五十音の表に文字がいくつが入っているだけのものに思われるでしょうが、実は用意周到に準備された天の實親から、言と文字を頂き、それを使えるような肉体構造を与えられた人間へのプレゼントなのです。

PRESENT、 PRE  +  SENT
贈り物   予め  送られていた

PRESENTには「今」という意味も、「存在しています」という意味もあります。今ここに私が存在しているのは贈り物だと教え示されていると思うと驚きです。

2018.4.16

小さな字

言を分解すると天地創造の仕組みが分かる

小さな字

3月12日の朝のこと。「石」という文字が頭に入って来ました。続けて、「小さな字、だけど、、、」という思いが来たので、自分で、「でも、大きくて深い」と続けてそれを書きとめておきました。
今日は17日。やっとゆっくり字分けする気持ちのゆとりができたので、何日間か頭の中で渦巻いていた石に関した思いを書き記すことにしました。

石はとてもシンプルな形の字です。

和数字の「一」とカタカナの「ノ」と「口」の三つに分けられます。一は始とも読みますので、文字は始にしました。一はまた対するのもが無い存在でもあるので、絶対性も意味します。では各部分を一つずつ見て行きましょう。

女と台に分けられます。女といっても概念の女でなく、オンナ、音の名、メと読むと命と当てられるので、音の命と取り、それが土台になって始まったと教え示されています。女性が子を産み出す働きをしているので、始まりという字の通りだと言えます。

 七命

絶対の能らきは展開すると七つになるという字があります。一プラスL(開くという意味にとれる形)。これをナナメと読むのですからビックリです。この時点で、すでに今まで一度も考えたことがなかったことを考えさせられたことになります。理解の深まりの体験です。絶対性は絶対のままでいたら展開は無いので、私たちも、住んでいる惑星も、他の諸々の事象は無い訳です。白光はプリズムに当たると七色に分かれます。カラフルな個性が展開されてくるということです。これを文字「七」(一プラスL)と読み音「ナナメ」が教え示してくださっているのです。宇宙實親の意図は私たちが理解するに必要な情報を懇切丁寧に教え示すことで、意識が練られて、より深くより高い次元に到達できるようにするところにあるのだと思います。

斜めは英語でdiagonalと言います。分解して並べ替えてみると、対話あるいは話と言う意味のdialogとna(ナ名、命を意味する)になります。命とは話、つまりコトバですと教え示して下さっています。時空軸においては、縦の線は磁性、横の線は電性を表していて、斜線が回転するという動き、つまり機能性を意味します(末尾の次元の図参照)。斜線の形をしたカナのノ(能)空を貫いて(兌)遍く存在している「意」がピタリと厳正に合わさって成立している時空が宇宙というところなのです。

ヒ祕

の至高の慧は一を「ヒ」とも読めるように設定し、読んだら必ず答を示しますと文字に意図を込めてあるのです。秘という字は以前「祕」と書きました。必ず示すと書いているのに、隠すという意味に取っているのが私たち人間の概念なのです。空の智慧は人間の智慧と違い、偏りや誤りがありません。闇が暗く覆っていて真理が見えにくい人間の意識の働きにを当てるのが口という字の二つの読み方、クチとコウです。

STONE

英語で石をSTONEと言いますが、これもまた意味深長なコトバです。
S、エス、愛の数、愛のエネルギーの基盤は、数が台となっているとも言えます。お金の計算に使うような概念付きの普通の数でなく、宇宙を支配している(べている)狂いの無い数、絶対透明の至高のスピードを持つ数がアルファベットの19番目に位置するSという字です。

19なのでトクと読み、解いてみますと、愛数のTONE(調子、音色、音)ですよと示されています。更にS+T(テイ、云音表を参照しますと弖意)、天の意、また形から見ると十(ト、透、答)の上が無い、至高の十というふうに小田野先生が解釈されました。私たちもTをその意味でよく使っています。石はまたコクとも読みますので、光空(虚空)でもあると示されています。セキと読みますと、命のであるとも示されています。イシと読めばズバリ、意思です。

小さな字ですが、意味は広大であると分かって来ます。字分けをするには体力が必要です。掘り下げていくと途中で投げ出したくなるのですが、食い下がって行きますと、そのプロセスの間に様々な思いが入ってきて、驚いたり、目が覚めるような体験ができたりできます。ともかく逃げようとする奔馬のような自我の動きを制御しつつ続けて行くことが肝要です。以下は小田野先生の字分けです。食い下がり方が半端でないことが分かると思いますので、お見せします。

1982年6月13日 小田野記

2018.3.19
菊池静流

PDFファイルの図形はクリックすると拡大します。

小さな字

夢が誘う心の断捨離

この数年間あまり愉快でない夢を見るようになり、特に最近の二年間に頻度が増してきた。夢の中で悔しかった、悲しかったり、腹が立ったりという感情的体験をしてから目覚めると後まで尾を引く。楽しい夢はすぐに忘れてしまうのに対し、不愉快な夢は忘れないという特徴がある。

引き金となっているかもしれない日常生活上の変化としては、そろそろこの世を去る時期に入って来た高齢の家族が毎日一緒の食事の際に思い出話をすることだった。楽しかった思い出も多いが、悲しかったこと、悔しかったことも話す。特に悲しかったことと悔しかった思い出に関しては何回も同じ話が出てくる。それだけ強い思いが残っているのだろう。残念という訳である。
これが自分の人生の思い出につながって来るとやはり不愉快な思い出が忘れられない強い影響力を持っていることが実感される。夢で何回も追体験する辛さや悲しさや悔しさがその日の何十分かを波立たせる。早く気持ちを切り替えるように何かをせっせとする。主にするのが掃除である。ついでに家の中が清潔になり、整頓されるので良い面もあるが、ここでひとつ心の中も掃除をして見ようと思い立った。

まず血圧を測っておく。それから整理するためには書き出すことが必要なので、思いついた順に書き出して行く。
出来事、それを引き起こした人物の名前、感情の種類を書く。順番で自分に与えている影響力の強さが分かる。真っ先に出た人物の名前にともなう感情的反応が一番強い。
何人か、あるいは人物の名前は分からなくとも出来事が三番目以降になるとどんどん感情的反応が弱まってくる。ここでまた血圧を測っておく。
リストを見て以外に少ないのに驚いた。自分の一生を左右してきた感情的反応の傾向を形成した事件が五本の指よりは多いが十本より少ないとは思わなかった。眺めながらじっくりと追体験する。

人物の影響力が強かったのは二人。二人に関係した事件がいくつもあった。これが他者に対し批判的になる原因となっていると思うので、しっかりと追体験しながら記録をする。
その二人が迷惑をかけた人たちがするべき対応をしなかったために処理済みにならない宙ぶらりんの憤りが残っていた。自分が受けた損害は二の次だと分かった。こちらのほうは処理できるからだ。
次に、人物の名前は忘れたが損害を受けた事件の掘り起こしはとても有意義だった。じぶんが不注意あるいは浅慮だったのが原因の大半で、これは今後気をつける他はない。まったく呆れるばかりのバカぶりだった。今もその傾向はあるが、はるかに賢くなってきていることにも気がついて嬉しい。
追体験中に思い出されて加わった事件は系統が似通っているところに書き加えた。忘れていたくらいなので、大した感情的反応は起きないのが分かった。

終わって血圧を測った。書き出す前と書いている最中との差は約15%の上昇率。終わった時との差は18%の下降率だった。始める前よりさらに下がったということになる。
翌日同じくらいの時刻に計ったところ三回目の計測値とほぼ同じ(2%高い)。この文を書き終えた後の計測値は6%高かった。多少興奮しているかも。

既に終わった事件に関してはたいして悔しくも、辛くもなかったのに、感情的しこりは独立してしっかりと私の人間関係に影響を与え続けていたのである。掘り起こして見れば、たいしたことではなかったという訳である。一番あほらしいことは、被害を受けた人たちが気にもしていなかった(と本人たちは言っていた)ことを私が気にしていて、憤りが独り歩きしていたことだった。
一日置いて少し整理をして書き出した事柄。これでファイルを完成し、処理済みの印をつけられれば断捨離完了。

作業の手順

● 事件の書き出し

1 事件の種類と概要。例:中傷、誹謗、裏切り、盗難、詐欺等
2 首謀者
3 受けた被害の内容と直接被害を受けた人物(自分でない場合も多々あった)

● 実際的処理

1 感情的反応の種類。怒り、憤怒、失望、羞恥等
2 それから何か学んだか、または否定的感情を持ち続けているか
3 似た人物や似た事件に嫌悪感や怒りを喚起され続けているか
4 何回も繰り返し後悔(あの時ああしておけば良かった等)、あるいは追体験しているかどうか
5 自分でも同じようなことをしたことは無かったか。あったらそれをした理由(あったし、理由も分かった。反省の材料を頂けた)。分かったことは何らかの理由で嫌いと感じた人には冷たい仕打ちをしたことだった。

以上のことをできるだけ冷静に主観を交えず映画を見るように観察して、感情的反応が静まるまで見届けた。所要時間一時間弱。

これでお終い

心の断捨離 煩悩の種類と自己分析

続・心の断捨離

2018.2.14

2018年のご挨拶

2018 年明けましておめでとうございます
戊戌 元旦

このブログも三年目に入りました。相変わらずの筆不精ですが、本年も諦めず時々はお訪ねくださいませ。よろしくお願いいたします。
2018年は干支では戌(いぬ)の年だそうで、音にちなんで動物の犬が関係してきますので、日本のように犬好きの多い社会ではかわいい動画や画像が氾濫しそうですね。見るだけで癒されるような姿をしていますよね。
ほとんどの人にとって人生で一番大事なものは家族と友達だと思いますが、犬はその両方ではないでしょうか。心さびしい時に寄り添ってくれる温もりの存在がどれだけ大勢の人たちを救ってくれているか、有難い存在だと思います。でも人間同士はもう少し寄り添い合って欲しいとも思います。ペットとの仲とは異なり、人間同士はいがみ合っている場合が多いようです。親子や夫婦や職場での人間関係がうまく行かない悩みを抱えて、病み、苦しんでいる人々をどこでも見かけていらっしゃることでしょう。人間とペットとの関係の大きな違いは信頼感の有無ではないかと思います。犬にかぎらず動物は嘘をつきません、裏切ったり、意図的に傷つけたりもしません。
私が心理学を学んでいた時に、ある教授が初めての授業の冒頭に驚くようなことを言いました。ずいぶん昔のことなので細かいことは覚えていませんが、概ね次のようなことを言われました。
あなた方の多くはこれから心理学というものを学んで、その知識を使って他の人々の悩みや苦しみを軽くする職業に就こうとしていると思います。どれだけ優秀な心理学者になるかで結果的に助かる人たちの数が違ってきます。そこで優秀なカウンセラーになる為に最初に心得ておいてもらいたいことがあります。
人間は嘘つきです。他のあらゆる生物とは違って嘘をつく動物なのです。私は嘘をつかない人を見たことがありません。親も友達も、もちろん自分も嘘つきです。嘘にもいろいろありますが、良い悪いは別として嘘は嘘です。しかし良し悪しで裁くことは他の職業の人たちがします。裁判官や検事です。あなた方はカウンセラーになる道を歩んで行くので裁く仕事はしません。何をするかと言うと、嘘をつく理由を探ることなのです。叱られたくないから、嫌われたくないから、儲かるから、得だから、騙されて悔しがるのを見るのが面白いから等々です。そしてこれを理解することが対処する方法を見つける糸口になるのです。人間性というものに対する洞察力を身に着けるのが心理学を学ぶ目的なのです。理解して、寄り添い、味方としての信頼を勝ち得てからがセラピーの始まりです。時には信頼関係を築けない相手に会うことがあります。気質的に合わない人というものがあります。その場合は他のカウンセラーないし、助けになる機関を紹介してください。無駄な努力をしても双方の為になりません。3つのR、rapport(信頼と絆の構築)、 referral(適切な助けの紹介)、 result(結果を出す)が良いカウンセラーになる必要条件です。結果が出ないのにクライアントを抱えこんで離さない人がいますが、それはしないでください。この業界全体の評判を落とすことになります。今ライセンス規制が緩んで、あまり質の良くないカウンセラーが増えています。お金もうけをしたいのなら他の道があります。ずっと効率よくもうけられます。でも人を助けたいなら結果を出してください。
以上の話は一人ではなく他の教師の話も加えてまとめたものですがこの後の一生を通じて人間性を理解するにあたって非常に役に立ちました。
良い人間関係を築くことを諦めてペットに頼る気持ちは分かります。でも人間はどうせ嘘つきなのですから、裁くかわりに理解して、絆を築くことを先決にして、いろいろと工夫を凝らして(腕の見せどころですね)。ゲームなら夢中になれるのに肝心の人間関係を良くする挑戦にはなかなか取り組めないのはどうしてでしょうかね。でももし取り組めたら、そしてその結果を見てみたらどうでしょう。収穫は大きいと思います。

次のお話
春の小川のように

絶体絶命の崖っぷち

現世を何故ウツシヨと読むのか

 

絶対絶命の崖っぷち

嘘の話の続きです。

学生時代に心理学の教授が、嘘をつかない人を見たことがないと言っていましたが、その時から十数年後に嘘をつかない人に会いました。小田野早秧先生です。あまりにも正直で息苦しいほどの厳しい姿勢を保って生きた方でした。正直な故に、しなくとも良い苦労をたくさんしたお話を聞かせていただきました。その一部は『天鏡』という題名の本に書きました。何故そこまで真っ正直でなければならないのか。罪のない嘘なら別についても良いのではないか。その方が人間関係は円滑になるのに。例えばこういう時には、ああいう状況では嘘をついても良いのではないかと質問をしたことがありました。

じっと私が挙げた例を聞き終えた後に、しばらく考えをまとめていらしたのか、間をおいて、先生は答えられました。

その方が楽に生きられるかどうかが重要ならそう生きれば良いでしょう。どんなに厳しい人生でも真っ正直で生きたいのならそうすれば良いのです。私は楽な人生など望んではいません。人間社会でどのような地位にあるかなど何の意味もないことだと思っています。たかだか80年ほどのケチな人生でどんな位置にあるかなどあまりにも些細なことです。そのおかげでその一生を棒に振って、次の一生でまた一からやり直しなんて、無駄なことをわざわざするのは愚かなことです。永遠の生命の完璧な美と嘘の入り込む余地のない整然たる秩序と真の愛の片鱗でも味わいたいのなら真実の世界に生きるほかはないのです。私はこの一生で人間生活はもう終わりにしたいのです。また人間をやり直さなければならないようなことは決してしないように、それこそ片時も道を踏み外さないようにしています。あくまでも天の實親と私との間において正しいか嘘偽りかを吟味しているので、人間社会の規範は関係ありません。
そうやって一生懸命に生きて、そして最後にもしお許しいただけるならば、天網の結び目の一つという輝く星になって、もう自分などというものは消滅して、二度とこの世に戻らなくて済むようになりたいのです。私はあなたと違って大欲張りなのです。

このお話の後ずいぶん長い間悩みました。嘘をつかずに生きる知恵を発揮しきれなかったからです。それで、もう今生で天網回帰などどうせ無理なのだからと楽に生きることに決めました。でも嘘で誰かを騙したり、傷つけたり、お金儲けをしたりは控えております。そして、そのままの自分を受け入れることにしました。自己嫌悪は毒のように肉体をも傷つけますから願い下げです。それでも時々は落ち込むこともあります。また、比較的健康ではあっても老いの衰えも日々実感しています。肉体は使用期限のある製品で、昨年は部品を一部交換(眼内レンズに)しました。

話が横道にそれました。今生が最後のお努めと心得ている小田野先生のお話の後何年かしてもう一人正直な方に会いました。その方もやはり今生が最後の生で、もう二度と人間として戻って来ないと思うと言っておられました。飯島秀行さんという方です。

子供の頃、小学校の一年生だったかな、通学路を歩いて行く子供を上から見ていたんだ。僕なんだけれど、見ているのも僕なんだね。もの心ついた始めからそれが出来たんだ。
こういうことが出来る為には何百回も何千回も生まれて、少しずつ経験を積んでいったんだと思うね。だっていきなりそれはないでしょ。僕には死んだ人も見えるし、お釈迦様やイエス様やその他の賢い人たちといつでも話ができるんだよ。だってその人たち死んではいないんだから。ここに皆いるんだよ。実は他人なんていないんだ。一緒なんだよ。だから話できるに決まっているじゃない。それさえ分かればもう人間商売終り。
何年か前に死にそうになった時、やれやれこれでおしまいって大喜びしたんだけれど、何故かまだ寿命が残っていて、途中で戻って来させられちゃった。でも後もうちょっとの辛抱だと思う。何年かだな。それで僕はもういなくなる。完全にね。待ち遠しいね。

淡々と語る姿勢には何の気負いもこけおどしもなく、奇想天外なお話しだったにも関わらず、私はそのままそれが彼にとっての真実だと素直に受け止められました。それから数年後に亡くなられました。小田野先生と飯島さんは最後の生で嘘偽りのない人生を送ることができる用意があったのだと思います。
どう生きるのかはあくまでもそれぞれの人がまだ個人として存在している時に決めることで、それをもって自由意志というのだと思います。自由意志は怖いです。誰もこうしろとは決めてくれないので、自己責任において選択して行かなければならないのです。高山を目指して登る者にとって、もっとも厳しい時は最後の峠越えだと言いますが、心の登山にも当てはまると思います。

今の私は絶体絶命なのよ、とは小田野先生の言葉です。

2018年のご挨拶

 

現世を何故ウツシヨと読むのか

現世と書いて「ウツシヨ」と読みます。何故そう読むのか不思議ではありませんか。何を映していると教えられているのでしょうか。
何かを反映しているのなら反映する元があるということになります。現世に対する言葉は「あの世」です。あの世は姿形のないエネルギーの世界で、そこに行くためには死んで体をこの世に置いて行かなければならないことになっています。
姿形がないあの世を映しているのなら何も見えないはずですが、見えるように、感じるように設定されているようで、そのおかげでいろいろと惑いも起きてきます。まず体があるせいで、空腹や渇きがあり、寒暖にも対応できるように衣服や住居も必要になります。脳下垂体や消化器官、生殖器官からホルモンが分泌されるので感情や欲望が刺激されます。いわゆる煩悩と呼ばれる欲望が108もあると言われるのはそれだけ多くの欲が生まれてきてしまうということです。あの世にはそんなに多くはないでしょうね。
エネルギーだけが渦巻いて、スパイラルを描きながら動いているだけの現世なら煩悩も関係ないでしょうが、肉体に備えられた五感がしっかり味、音、匂い、触感、形や色を認識して、快不快を毎日経験して生きることになります。煩わしいといえば煩わしいです。でも面倒だから死んでエネルギーだけになって自由になりたいと思っても、どっこい、生命維持本能が働いてしまいます。苦しいのや痛いのは嫌だと感じるようにセットされているのが感情なので、なかなか死ねないのです。でなかったら地球に人類はもういないでしょう。

ある時非常に体が病んで、息をする度に肺が焼けるように痛く、その度に全身を波状に痛みが襲いました。息をしなければ痛くはないので、止めれば良いのですが、酸素が無くなってくるとどうしても息を吸いたくなるのです。苦しみながら少し息を吸い、小さく肺を使い、次の呼吸のタイミングを遅らせるようにしながら一晩中縮かんでいました。それでも少しずつは楽になってきたのですが、その時に動物としての人間の生命維持本能の強さに驚嘆したことを覚えています。

五感を持って、快不快の感情を体験しながら生きることが現世に在ることの意義なのだと思います。不便ですが、仕方ないのです。せっかく不便を凌いで生きている間に映すのは何かと言うと、それは自分です。鏡に映った姿形を虚像と言います。嘘のすがたという意味です。本物は実像ですが、現世にある姿形は虚像なのです。仮のすがたとも言えます。仮ですから死ねば無くなります。そういう意味です。神社の奥の院には本尊の代わりに鏡が祀られています。象徴的ですね。

誕生という言葉があります。誕という字の意味は「仮の」という意味です。仮に生まれたのだと教えられているのです。現世に仮に生まれて、鏡に映る自分を見るチャンスを頂き、感情の体験を通して何を学ぶというのでしょうか。いや私が別に何も学ばなくとも良いのかもしれないと思うようになりました。体験そのものが、体験の認識そのものが宇宙意識というか、純粋意識という実在実像が体験しているので、個人が何を学んだかに拘ることはないのではないかと思えるようになりました。体験というエネルギーの動きが「在る」ので「体験者」とは虚像なのではないでしょうか。それだから現世を「マコトヨ」と読まないで虚像を指し示す読み方をさせているのだと受け止めました。

体験者ではなく、体験だけが在るのだと思うのです。私の体、私の感情、私の学び、私の財産、私の名前から私の、を取り去ったら、後に何が残りますか?
ゼロです。ゼロが唯一の実在。それが納得できたら悟りなのだと推察します。自我意識は自分があるという感覚から生まれてきます。その間ずっと悩むわけです。また納得の結果がある気づきであっても、定着性は保証の限りではありません。私は経験済みです。まるで肉体の重力に引き戻されるような感じです。

「私は悟っています」と自分でいう人に何人か会いましたが、その人たちには共通性がありました。嘘つきでした。あるいはそう思い込みむ病気だったのかもしれません。ともかく溢れるような愛は感じませんでした。弟子をほとんど無給で酷使したり、より優れた(と思っているだけだったかもしれない)人をそれとなくけなしたり、浄財を喜捨しなさいと言って財産を取り上げたりでした。家財産を全部寄付させられた人も二人知っていますが、途中で少し返してもらおうとしても絶対に返してもらえなかった上、一人は命の危険さえ感じたそうです。その相手は今は刑務所に入っています。
ある時いわゆる神秘体験というものをして、通常では得られないような洞察が得られ、普通人から見たら霊能力が発揮できるようになると、偉い人、悟った人というふうに思われ、弟子や取り巻きがついてきて尊敬されます。そうなっても常に謙虚で、人に優しく、威張らないでいたら大丈夫ですが、多くの場合は周囲に持ち上げられるとちょっと高慢になります。そうなるとかつての深い洞察力や霊能力が鈍るということにもなります。すると嘘をつかなければならなくなるのです。怖い落とし穴です。私が逢った中で非常に深い洞察と真理の理解をしていらっしゃる方たちは決して自分が悟っているようなことはおっしゃりませんでした。悟りや至福はお金では買えません。

少し言いにくいことでしたが、この頃考えていることを書きたくなりました。2017年は周囲の人の何人かが様々な病気にかかり、悲しい思いをしました。私もアレルギー性の疾患で体が重苦しくうっとうしくて、体に対する拘りを離れて物事を見直したかったからかもしれません。体は大切な容器ですが、宿っている意識が明哲性を欠くと濁りが病を引き起こします。今年はお掃除を心がけるようにします。

絶体絶命の崖っぷち
幽霊と直談判
幽霊は在るのか無いのか
光透波という実体

 

春の小川のように

母が好きだった歌で、少し音痴気味に歌っていました。

春の小川は、さらさら行くよ
岸のすみれや、れんげの花に
すがたやさしく、色美しく
咲けよ咲けよと、ささやきながら

静流という名前は母が書いた小説の主人公の名前ですが、その本の冒頭にあります。

静かな流れとは、
善にも悪にも、清にも濁にも、美にも醜にも、かかずらうことなしに、心身ともにひたすらに流れゆく一生の姿になぞらえたのです。

なかなか善悪や美醜に拘ることなくは生きられませんでしたが、それでも母の願いはいつも心の中に大きな位置を占めてはいました。今年のあいさつ文の中で、カウンセラーの仕事は裁くことではないと書きましたが、この戒めは大切にしています。
人生の荒波に否応もなくもまれる中、悲しみや怖れに捕らわれて心が乱れた時に、拘りを捨て、さらさらと流れて行くのは難しいのですが、役に立つことはいくつかあります。
その一つとして、瞑想と言うほどおおげさなものではないのですが、しずかに座って、目を閉じてイメージする風景の中でもよく出てくるものは、穏やかに流れる川なのです。何を投げ込まれても放り返しはできない受け身の人生は川に似ています。でもさらさらとただ流れて行くのなら、ただそれだけのことです。良いも悪いもありません。嫌でも何でも受け身なのですから。それを苦にするかしないかだけが自分にできることです。

最近、末期癌の患者の「緩和ケア」という仕事を主にしている医師の講演を聞きました。ホスピスとは違って投薬や医療の他に代替治療も含め様々な処置をするクリニックです。彼によれば癌の70%は酷い痛みを伴うそうです。その痛みの緩和ケアをするにあたって、有効ないくつかのポイントがあるそうです。痛みの対処の方法はいろいろありますが、どれでもその人に合えばそれが有効ということで、手段は選びません。しかしどの場合も常に共通なのはその人の心の状態で、それが否定的か肯定的かで痛み苦しみが違ってくるそうです。

後半年か一年くらいの命と言われている。怖い、苦しい、理不尽だ、まだ死にたくない。半年しかない、が半年もあるというふうに、気持ちが肯定的に変わるきっかけとして有効なことばは、「人間は100%死にます」だそうです。自分だけが理不尽にも死ぬのではなく、誰でも死ぬのです。これで視点が変わるそうです。後は死ぬまでどう生きるかを選択すれば良いのだそうで、これは一つの目標になります。嘆いていても意味がないのは分かります。

へえ~、そうなのか。誰でも死ぬとは知っていても、自分が死ぬということをしっかりわきまえてはいない人が大勢いるということです。

この医師が、どのような処置をする場合もお勧めは、瞑想や座禅などの心のケアだと言います。痛み止めの薬の量が違ってくるというのです。ほとんどの場合大幅な違いが出てくるそうです。心が静まっていて穏やかなら痛み苦しみは少ないという実例を見てきた人の証言です。

現世を何故ウツシヨと読むのか

 

嫌い!の効用

子供が道に座り込んで、「嫌だ、嫌だ、嫌だ~」と泣きわめきながら、手を引っ張って起こそうとやっきになっている母親に抵抗している。何がそんなに嫌なのかは分からないが、「嫌」という感情の爆発によるエネルギー放射の影響は家の窓から外を見ていた私にも伝わってきた。窓は閉まっていて、ペアガラスの防音効果もかなり高いのに、それでも聞こえるほどの大きな泣き声なのだから肺のキャパいっぱいの、それこそ全エネルギーを使っての抗議デモだ。

同じような経験が私にもある。あれは私が6歳くらいの時のこと。静かな山岳地の緑深い、水のきれいな川の近くの家から海辺の町に引っ越した。人々の気質がかなり荒っぽい漁師町の道筋から一本奥に入ったところにある、都会の人たちが疎開していた別荘地区にある家だった。門にも塀にも落書きがしてあり、汚物もなすりつけられてある。洗い落としてもしばらくするとまた汚される。塀越しに汚物が放り込まれることもあった。
「よそ者で金持(実際は違ったが)の奴ら」とみなされ、土地者とは馴染まないのが別荘地区の人たちの生き方なのに、家族はそれをしなかった。業者に厳しく接するという金持ちの姿勢をとらなかったという意味である。要するにバカにされたのである。買い物をすると高い値をつけられ、品物は二級品を渡される。土地者価格とよそ者価格とがあったのである。
ともかく居心地は悪かった。穏やかな気質の人々に囲まれていた、のんびりとした田舎の畑の間にある家からいきなり粗々しい人たちの間に放り込まれたショックは大きかった。仲間外れなど当然のことだった。今でも人との交際には相当気を遣っている。

ある日母が、元住んでいた地域の近くの知人を訪ねるのに私を連れて行ってくれた。物心ついた時から可愛がってくれていた夫婦の家で、私たちを歓迎してくれた。食事もいただき、お土産も頂いて、他に少し用足しもしてから駅に向かう母に、帰りたくないと言った。当然それは聞き入れられない要求だったが、私の知ったことではない。先ほどの子供と同じように道にしゃがみこんで泣き叫んで抗議した。今までこれほど激高したことは一度もなかった。自分で言いうのも何だが、聞き分けの良い子供だったのに、この悲嘆と怒りの混じった抗議には母も困り果てていた。声も枯れて力も尽きてぐったりとなるまで母は道に立ち往生していた。一生忘れられない思い出である。

その後二回激高したことがあるが、最初の一回ほどの激しさではなかった。それでも70年余り生きてきて、命の限りの力を尽くした激高は三回だったのだから、それがどれほどの「嫌!」だったのかは想像がつくのではないかと思う。

数年前のこと、従妹のY子が旅行先に、指に包帯を巻き、手首にサポーターをして来たので、どうしたのか尋ねたところ、指を包丁で切ったという。そして怪我するまでの経緯を話してくれた。

正月に大人数の食事の支度をしていた。息子とその連れ合い(一度も料理と後片付けを手伝ったことがない。実家の母親が料理の下手な人なので、毎年彼女の家の方に一家全員で来る。お産の時も三回とも実家には行かずに彼女の家に来てそれぞれ二か月以上いた)と、子供三人、結婚しないで家にいるもう一人の息子、家事を全くしない夫の全員の食事の支度を独りでしながら、心の中で、「もう嫌!嫌、つくづくとことん嫌、うんざりだ」と喚いていたそう。そして力任せに何かを切った時に左手の親指を切り落としてしまった。皮一枚でつながっているのみの切断状態。皮が離れないように指をきっちりと定位置にくっつけて、救急箱に向かう。ずれないように気をつけながら、口で包帯の端を咥えてぎりぎりと巻き、腕の方に紐を巻いて止血をする。それから血が流れ出ないようにゴムの指サックをはめ、その上にまた包帯を巻き、さらにゴム手袋をして料理を続けた。食事はしないで、気分がすぐれないからと自室に行って倒れた。激痛が襲ってくるが大きな声を出さないで歯を食いしばってこらえた。病気をすると酷く機嫌が悪くなり、家事をさぼることが許されない舅と息子の家に嫁に行き、いつも弱みを見せて負けてたまるか、と自分に言い聞かせて生きて来た癖はもう治らないと笑って言っていた。ちなみに彼女が指を切断したことには夫も息子も気づかなかったそう。誰も彼女の顔色など見ないからである。

そのY子が指の怪我で学んだことは、「嫌!」という感情の起きる原因はいくつかあるが、それを無くすことは実際的ではないので、他の解決法を探るしかない。嫌はそのまま認めて、原因となった不都合は受け入れ、嫌を上回る楽しみを見つけ、断固決行する。その為には嘘もつくし、うまいやり方をいろいろと考えだす。

そして今彼女は、好きなことをいくつかやりながら、料理をし、他の家事をし、息子と嫁の面倒を見、お気に入りの従妹(私、へへ)と姉と妹と一緒に食事会や温泉旅行を楽しんでいる。大きな声でよく笑うようになった。あまりにも大きな声なのでフレンチレストランには行けないほど。昔は姉に「ふくれのY子」と呼ばれていたくらいの人だったのに。三叉神経痛で風が吹いても痛む時があり、能面のように表情の無い時期があった。

さて、説教タイム。「嫌!」はまず認める。そして向き合う。原因は処理できるものは処理。できないものは受け入れる。そして楽しいことで埋め合わせる。幸せであったら「嫌」の辛さはそれほど酷くはないうえに、自分を知ることの手掛かりにもなる。ちなみに勝負事が好きなY子は好きだった将棋と碁の練習に励み、碁で段を取り、今では同時に数人を相手に教えながら「独り悦に入っている」そう。負けず嫌いで頑張り屋の性分は小さな時からで、それは変わらないが、仏頂面は無くなり、持病の三叉神経痛と偏頭痛は完全に治り、明るく元気に生きている。

2017.10.15

水が燃える? 燃えると何が起きる?

水は実は燃えます。ただし、温度が問題で、水素と酸素が分離して両方燃えるには摂氏1200度の熱が必要だそうです。
他の方法としては、水を電気分解して水素ガスと酸素ガスにして燃やすことができます。普通の水を電気分解[i]しますと陽極側(+:プラス極)から酸素ガスが発生し、陰極側(−:マイナス極)より水素ガスが発生します。

福島原発で爆発したのは水素ガスで、その際に起こった反応は上記の酸素と水素の結合、すなわち水素の燃焼です。 水素と酸素を単に混ぜただけでは何も起きませんが、火元(火・電気火花・加熱・・・etc)があれば爆発的に水素が燃えてしまいます。非常に強烈な爆発です。
どのくらい強烈かというと、宇宙で星が生まれる時、水素ガスが約3/4、ヘリウムが約1/4、残りの2%がより重い元素という比率で大爆発が起きるそうです。つまり太陽のような恒星が出来るような爆発だということです。

現在放映中の「シカゴファイアー」というアメリカのテレビ番組があります。消防士達の活躍を非常にリアルに専門家的な知識を踏まえて見せています。それで信ぴょう性を確認するためにいろいろと調べて、火というもののことが少し分かって来ました。

私たちが知っている日常使っている水は物を冷やしますが、たとえば大火事になって、その中の温度が1200°C以上になっている(現代の建物は化学物質を使っているので、高温になる要素が多々あります)ときにホースの水をかけたらどうなるか?
一気に水素と酸素に分裂して、また結合することから大爆発が起きるのです。だから火事になったとき、温度が高い状態のところに水を入れると、爆発して危ないのです。それが起こらないように消火器はつくられているのだそうです。

だいぶ話が横道にそれてしまいました。水が銀河にある恒星たちを作っている原材料とも言えるということをお話ししたかったのです。そして、水は温度や、電気などが加えられることで、様々に変化し、大は星雲から小は私たちの細胞という小さな生き物までを構成する要素なのです。

さて、コトバと水との関係のお話の第二の段階となりました。その前にエネルギーについて少し学んでみたいと思います。

宇宙にあるあらゆる存在は全て元はと言えばエネルギーが形を変えているものです。熱いという意味では一番わかりやすいのが火というエネルギーですが、氷も、木も、石や、動物もエネルギーで出来ています。物理で習いましたよね。インターネットで「エネルギーとは何か」と検索するとまずでてくるのが「仕事をする能力[ii]」とあります。これだけでは何のことか分かり難いですね。以下にさらに細かい説明がありました。

物理系が他に対して仕事をする能力をもつとき,これを系のエネルギーという。保存力場内の物体は位置エネルギーをもつ。運動する物体がもつ運動エネルギーはさらに回転エネルギー,振動エネルギーなどに分類されることもある。以上を力学的エネルギーと総称する。熱はエネルギーの一種であって,熱エネルギーと呼ばれるが,その実体は系を構成する微粒子の力学的エネルギーの総和である。電磁現象には電磁エネルギー,光には光エネルギー,化学物質には化学エネルギー,原子核現象では核エネルギーなどが考えられる。あらゆる物理変化,化学変化において,これらのエネルギーの総和が保存されることを広義のエネルギー保存則という。この保存則に基づき,自然現象を各種のエネルギーの相互転換によって理解しようという巨視的立場が 19世紀のエネルギー一元論 (エネルゲティク) である。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

分かったような、分からないような説明ですね。かいつまんで言うと、宇宙にあるあらゆる存在の原料であり、それらが動くために必要な推進力であり、変化を起こさせる影響力であり、どういう形に変化しようと決して無くなることがない、不滅の存在だということが言えるでしょう。ただしこれは物理的なエネルギーの説明です。言い換えると、物理的エネルギーが何を原料にして、どう働いて(仕事をする能力)、森羅万象を造り上げているかと言うと、「水」が関与していたということなのです。水が無かったら物質宇宙は存在し得ないのです

次回は光透波というエネルギーについて考えて見ましょう。人間が使っているあらゆる言語の大元であるというのが光透波理論の根幹を成す考え方です。物理的な説明にあるエネルギーとは根本的に質的に異なるエネルギーだということが第一の性質。二番目に、そのエネルギーが生命のエネルギーの正体であるということについてお話して行きます。

NGC 3982は、おおぐま座にある渦巻銀河で、地球からの距離は6800万光年。この銀河は、ウイリアム・ハーシェルによって、1789年に発見された。 この銀河の大きさは3万光年であり、天の川銀河の3分の1の大きさである。中心には巨大なブラックホールが存在すると考えら得ている。また、腕の部分には、青白く輝く明るく新しい星と、星を作る物質である水素ガスが赤色に輝いて見える。1998年には、超新星が観測されている。

注。
i 電気分解とは、分解したい対象物質を溶解させた溶液に電圧をかけて電流を流すことで、化合物に対して正極側で酸化反応、負極側で還元反応を引き起こし、それによって電気化学的に分解する方法のことです。 装置は主に電極、電源、電解槽の3つで構成されています。電気分解|研究用語辞典|研究.netwww.kenq.net/dic/77.html

ii(物理学仕事をすることのできる能力のこと[1][2][3]。物体や系が持っている仕事をする能力の総称[4]

言葉の葉っぱの意味

言を分解すると天地創造の仕組みが分かる