フアイー父の愛

前回日本語には五十音という文字の表記法があって、これが宇宙の構造を解き明かすいわばカギのような機能を持っているとお話ししました。

では外国語に何かカギのようなものは無いのか、片手落ちではないか、不公平ではないかと思われるかもしれません。私は不思議に思いました。そこで小田野先生にお訊ねしたところ、外国語の多くはアルファベットという文字表記を使用しているが、そのアルファベットがカギとしての機能を持っているとのことでした。世界で最も多く使用されている現代英語のアルファベットについては他の機会にもう少し詳しくお話しするとして、ここでは外国語の中でも非常に古い文字であるギリシャ文字について少しお話しします。

図は一覧です。全部で24文字です。
ギリシャ文字一覧お気づきのようにギリシャ文字は数学記号やIT用語によく使用されています。

この中にファイ(Φ、φ)と言う文字があります。21番目の文字です。今日はこの字を検証してみましょう。記号として使われている場合の意義は次のようなものです。

  • 大文字のΦは電磁気学で磁束をあらわす
  • 小文字のϕはいろいろな分野で使われているがそのうちの主なものは、幾何学においてθ(テータ・シータ)に次いで角度をあらわす
  • 黄金比をあらわす記号としても使われる
  • 量子力学ではψ(プサイ・プシー)と共に波動関数としても使われる

まず磁束を表すというところに注目して見ました。宇宙にあるあらゆる物体は電磁気的存在です。大は恒星から小は原子に至るまで電気的にプラス(+)とマイナス(-)とで成り立っている「場」、電磁場です。私たちの体も電磁場です。さて、磁束は+の電気です。エネルギーを中心に引きつけて集める性質(引力―求心性)を持っています、-は反対にエネルギーを外へと飛ばす性質(斥力―遠心性)を持っています。光透波理論で+は縦軸で父のエネルギー、-は横軸で母のエネルギーと取っています。そして両方が無ければ何物も存在しえないので互いに不可欠の存在として見ています。これを土台として宇宙が成り立っているのですから。

父を日本語ではフと読みます。フ音のフです。父の愛をフアイ(父愛)とつなげるとΦの読み音になるのが面白いです。この字の形が丸の中に一本縦軸が通っているのも面白いです。丸は「場」の形(注1)と取りますと、「場」における縦軸の形がファイなのですから父の愛だ~と思ってゾクゾク、ワクワクしました。

そして黄金比も表しているのですが長くなるので黄金比についてはまた今度。

では父の字分けを一種類ご紹介します。

父の字分け

父という字はカタカナの「ハ」と「×」という数学記号に分けられます。ハは(フアイには波動関数という意味もありましたね)と取り、×という記号は英語でタイムと言います(注2)のでと取ります。「タイム―田意務」とは音によって展開されている此処()という場(ココロ―)が果たしている務めと取ります。ここで言う務めとは何かと言いますと、

一瞬も休むことなくこの宇宙を存在せしめ、その運行を司り、あらゆる生き物を養い生かしている天の父母の果たしている役割のことです。

私たちは「生かされている」のであって自分独りの力で生きているのではないのです。父の血と智慧は母が女性の役割分担によって乳という栄養分を子に与えて養っているという共同作業をしているのです。

なお時空座標において時間軸は縦軸です。すごいですね。このように字をじっくり見て行くと、これでもかと何重にも宇宙の構造を指し示していただいているのが分かるのです。

注1.原子を例にとると、プラスの電荷を帯びた陽子の周囲をマイナスの電荷を帯びた電子がいくつか高速で回っています。回っていることで成立している場は必然的に円形状になります。
注2.英語で、例えば2×2はtwo times twoと言う。

2016.8.5
続く
母は意識の中心核

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

波動関数が何かについて少し説明している記事
労多くして~でもチャレンジ、光の速度の話

悪行の温床―心の穴

先日物置の奥にあった古い花瓶を年長の家族のTが私に見せてどういう品物かを話してくれた。Tは母の姪で私が生まれる前の父を知っている人だ。それによると二人が東京に住んでいたころ商店街を散歩中に骨董店をのぞいてこれを見つけ二人で相談して買ったという。子供の頃に家にあって時々花が活けてあったのを思い出すと同時に若かった頃の両親の姿が目に浮かんできた。父は母のことを「かあさん」と呼んでいて非常にていねいで美しい言葉で話す人だった。父の声音には尊敬と愛情の両方がこもっていた。両親は互いに対し美しい言葉で話をする人たちだった。物心ついた頃から何年かは疎開先の奥多摩に住んでいたのだが、当時は家族の団欒には祖母とTも加わって楽しそうに笑いながら話をしていたのをよく覚えている。和やかで美しい声音が快く、その場を離れたくなくていつも茶の間の片隅に座布団を敷いてそこに寝そべっていた。途中で眠ってしまうと誰かが抱き上げて布団まで運んでくれたものだ。ふんわり柔らかいのが母の腕で、大きくて骨っぽいのが父の腕だった。父の腕の感触と匂いをまざまざと思い出すと同時に懐かしさがこみあげてきた。後年父に対し腹が立つことがあって心が離れてしまいがちになったが今ではただ懐かしい。

父に対し怒っていたあの頃何がそんなに腹立たしかったのだろうか、怒りの原因はなんだったのだろうかと内観を続けていた時にまるでヘドロのような汚濁の池にはまって溺れ死にしそうになった経験があった。その時に大きな気づきがあった。汚濁は個人のものではなく人類全体の怒りの集積だったのだと。この時に「一蓮托生」という言葉の意味が初めて実感できた。

天の父母である至高の叡智である創造の源とは異なり、人間である両親は決して完ぺきではないが、足りない点も含めて受け入れ、愛することができたら心に空白の穴は出来ないだろうと思う。人間が犯すあらゆる理不尽で残虐で破壊的な行為は心に穴があるせいだと言った賢い人がいる。その通りだと思う。

心に穴があると、寒くて、孤独で、腹が立ってイラつき、誰かを攻撃したくなる。または何かの依存症になって穴があることを忘れてしまおうとする。それでも穴は埋まらないのでいつまでたっても破壊行為は止まらない。多くの人が同じように破壊的になると地球は大きな被害を受ける。愛と他者に対する尊敬の心のない人々の犯す行為が積もり積もって今は地球上の生命は瀕死の状態になってきている。どれだけの種が絶滅したろうか。絶滅危惧種になっているだろうか。海も土も水も汚染されてしまった。それでも破壊行為は止まない。乾いた心の飢えに浸食されて心身ともにボロボロになって行きつく果てが「病」という愛の鞭で、「気づきなさい」と教えてもらっているのだ。

「自分は何も悪いことはしていないのに何故こんなひどい目にあうのか」と言う人は多いが、悪いこととは他の人間に対してという意味が多い。全生命にとってという点から見てもそう言い切れるだろうか。これが「一蓮托生」ということなのだ。これに気づかないと自己破壊する。そういう順序と筋道を明確に認識する理性がある人たちが破壊の反対のエネルギーの振動を発信することで悪行の根源にある破壊のエネルギーの振動を打ち消す効果をもたらすことができるのだと私は考えている。

たとえ講演会をして回らなくても、本を書かなくても、誰にも知られない無名の人であっても、今いる処で触れ合っている人たちや生き物に愛と尊敬のこもった美しい言葉で話しかけ、感謝と友愛を表現するという日常の行為が地球に平和をもたらすすごい影響力を持っていると私は信じています。

2016.8.3

世界が抱える15の問題とその全てが帰着する一点

父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

先月から父について書いてきました。口を閉じたままで発音できる唯一の音、そしてそれは全ての音の元であるとお話ししました。この閉じた音を光透波理論では「閉音、へいおん」と呼びます。母の音「母音」の前にはその音の元となる音があってそれが父の音「父音、ふおん」であると光透波理論では解釈しています。

この父音があってこそ出て来られた母音は開いた音、つまり「開音節」で、その母音を纏めた音が「AUM、オウム」であって、神秘学やインド哲学などでは宇宙の種音と呼んでいます。瞑想なさる方やインドの行であるヨガをなさっている方々も多分聖なる音として唱えていらっしゃることと思います。

では宇宙の種音と父音の関係はどうなっているのでしょうか?今まで誰も父音に関して何か研究した文献を著した人はありません。つまり前代未聞なのです。小田野早秧という人が初めてこの閉じた音の役割に気づいて研究をされたのです。これはとても重要なことなので心に銘じておいてください。

ではこれから宇宙の創生と種音の関係についての光透波理論的所見を少しだけご紹介します。

現在、宇宙はいわゆる「ビッグバン」によって始まったという仮説は多くの人たちに受け入れられています。元々は極小の一点(10のマイナス何十乗という極小で高温の一点)からの爆発によって始まり、いまだに膨張を続けていると考えられています。ビッグバンによって一点から開いて膨張を続けているということを「母音、開いた音」と取りますと、その前には何があったのだろうか。当時の科学では何もなかったという状態があった、つまり無だったとされていました。しかしそれは無ではなく何かがあったのだと小田野早秧は考えました。そしてそれを「前提宇宙」と名付けたのです。これは小田野の造語です。そういう考えが今までなかったので用語も無く、新しい用語を作る必要があったわけです。さて、この前提宇宙が無限に縮小してあまりの圧縮度に限界まで行き詰まった末にそれこそブラックホール化し、結果的にそして必然的に爆発反転して今の宇宙が出来たというのが光透波理論です。閉じた音が開くための産みの苦しみを経て開いた音の宇宙が出て来たという考えですが、この説明は今までには他にはありませんでした。

しかし最近になってその前提宇宙なるものがあったかもしれないという新しい仮説が今出てきたのです。そう考える科学者は量子の研究者で量子というものを研究して行くとそういう仮説も成り立つというところに行きつくらしいのです。
https://wired.jp/2016/07/29/big-bounce-universe/

これに、量子を研究したこともない人がすでに気づいていたのです。では何を研究していて気づいたのだと思いますか?

答は、そう、「音」です。音の持つ意味とその音の出来てきた順番性という両方の観点を徹底的に研究することで多くの気づきが起きたのです。母音の前に父音があって、父母の後に子の音「子音」が出て来たという順番性です。その意義がいかに重要であるかを人類はまだよく知りません。特に日本語を日常使っていない人たちは知る手立てを持っていない為に研究を促すようなきっかけがなかったのです。その「知る手立て」とは日本語の五十音の表なのです、ご存知のようにア、カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワの十行とそれぞれの行に含まれている五音です、合計で五十音、これにンを加えて五十一音、これが云音表です。これだけで前提宇宙という考えにも行きついたわけです。

これから先も引き続きこの音というものの意義をご紹介して行きたいと思います。
2016.8.2
フアイー父の愛

 

父の音、宇宙の種音

母音という言葉はありますが、父音という言葉がないのは何故でしょうか。そういう音が無いから言葉が無いのだと昔から決まったことのように思われてきました。ところが実はあるのだと言うことを納得できる理論で展開された方が小田野早秧という反骨精神の塊のような人です。小さな子供の頃から疑問が服を着ているような性格丸出しに、何故そうなの、何故、どうしてと家じゅうの大人を質問責めにしていたそうですが、多くの場合は、

「昔からそうに決まっとる」というのが答えだったそうです。

「これはどうも自分で探さなければ満足の行く答は見つからない」と早くに諦めて、それからは沈思黙考の人となり、持ち前の粘りと飽くなき探求心を持って「光透波」という前代未聞の理論を確立して行かれたのです。

お釈迦様でもキリスト様でもそうとははっきり教えていらっしゃらなかった究極の疑問に食らいついて、一心不乱に答を探し求めて生きた。人からはまるで狂人扱いにされ、家族親類にまで愛想をつかされる始末。でもどうしてもやめられない因果な性分なのよ。

生前何度もそのように述懐されていたことが耳に残っています。少しでも手がかりがあるとそれを掴んで決して離さずに突き詰めていった根性は凄まじいものでした。寝食を忘れてしまうのです。一日の生活の割り当て表を作り、22時間を研究に当て、残りの2時間を睡眠、食事、排せつ、身づくろい等に当てて数年がかりで作成された究極の答である「音と意味の表(云音表)」が遺されています。その表を手掛かりに父の音について少しお話しします。

まず母音ですが、日本語には5個あります。他の言語にはもっとあるものもあるそうですが、よく聞くと幾つもの音が重なって一音のように聞こえるだけで、語尾を伸ばしたり抑揚をつけたりしないで単純に一音節で発音できるという形での母音は5個だそうです。ア、イ、ウ、エ、オ(A,I,U,E,O)ですね。これに瞬間音、例えばKがつくとKA,KI,KU,KE,KO、カ、キ、ク、ケ、コという音になります。これらは子音ですね。

次にこの子音を伸ばして発音して見ましょう。

「カ~」と伸ばすと最後はアになります。同様にキはイになります。全ての子音は伸ばすと母音になることから、

「子音は母音に帰る」

と小田野先生は指摘しています。実際に発音して確認して見てください。次にここがポイントです。あらゆる音を思いつく限り、例えば自分の姓名を口を閉じたままで発音して見てください。サトウハチロウならどうでしょう。「ンンンンンンン」とぜんぶ「ン」になります。どの音でも良いので試してごらんになれば納得されることでしょう。これを先生は、

母音も含め全ての音は口を閉じて発音すると「ン」になることから、「帰る」の逆に、「出てくる」と結論づけされました。全ての音が母音に帰るのなら全ての音が出てくる元の音は何であろう。子音という子供を作るのに母だけでは足りない、父がいなければ。そういう大自然の法則を考えると当然出てきた答は父の音でした。父母があって子が出来る、そして父は先にあって、父が母に種を植え付けて初めて母は受胎できる。その順序でなくてはならない。

父音をフオンと読むと面白いことが分かります。英語では音のことをPHONE(フオン)と言うのです。音声学はPHONETIC、遠くに音を運ぶ機械はTELLEPHONEと言いますね。その昔ギリシャで音というものに付けられた名称をボオンと言わずにフオンと言うことをもう少し考えて見ましょう。

父が無くしては、母はその本来の役割である産生という活動ができない。そして父母が無ければ子は生まれて来られない。この永遠普遍の法則に則って作られたのが、音が云んでいる表(ンオンヒョウ)の骨格構造と順番なのです。

父あってこその私たち、つまり「宇宙の子」なのです。言い換えれば大自然の申し子、神の子なのです。
2016.7.8

続く
父の音閉音と前提宇宙とビッグバン

 

 

 

縦の軸は父

生前小田野早秧先生がよくおっしゃっていたことに「どんな人にも両親はいるのよね、人殺しだって、詐欺師だってね」というものがありました。何回も聞いていましたが、その意味するところはほとんど理解していませんでした。両親の愛を知らずに育った人は大勢いるかもしれませんが、ともかく人は石や、木の股から生まれてくるわけではないのだということを何故かよく指摘していらっしゃいました。

両親があるという同じ条件下で生まれた私たち人間にとって、その親に対する思い、その親の子に対する思いや育て方で人生の悲喜劇が生じてくるわけです。親の生き様や考え方の結果として形成された人格が中心軸となって他の様々な環境的要因が加わって多種多様な人間性が表れてきます。その様々な人間が互いに関わりあって社会を作り、現代の人間社会が出来上がっているわけです。この現代社会を見てあなたは何を思いますか?

自分の周囲に幸せそうで満ち足りていて、穏やかな人柄の人がどのくらいの比率でいますか。そばに居るだけでほっとするような人、声を聞くだけで元気が出てくるような人はどうでしょうか。こういう人が大多数の社会を想像できますか?小さな集落ではあるでしょうが大きな集団、例えば国のような規模になると今の地球上にはおそらく無いと思います。

幸せな人とは幸せな親子関係を持った人(その親が生きていようといまいと)であるとインドの聖者カルキ・バガバンやロシアの覚者アナスタシアが指摘していますがその人たちの至言を待つまでもなく、常識的に考えても納得のゆくことですね。その親子関係を調えるための様々な手法を使ったセミナーで内観中にあることが起きました。父親が出てきたのです。実際に目の前に出てきた感じです。容姿も声や身振りもまったく父そのままの明瞭さで浮かび上がって来て、見つめると見つめ返してくるのです。そしてその目の中に悲しみと慈愛とが混じっていました。それから十年余り経った今これを書いている時でも私の目には涙が盛り上がってきます。甘酸っぱいような懐かしい涙です。話を戻して内観中のこと、その時の感情的反応をそのまま何もコメントせず見つめるようにあらかじめ指示されていたので胸が痛烈に痛む感情の激動を味わいつつ多くの思い出が映画のシーンのように目の前を通り過ぎて行くのを観察しました。その結果としてある気づきが起きました。

 私という人格の半分は機能していなかったのだ。私は不完全な器みたいなもので欠陥商品みたいなものだったのだ。私はまるで片親育ちの子供のような人間なのだ。

父とどういうふうに仲直りをすれば一番胸が楽になるだろうかと考えて真っ先に出てきた答えは「許す」でした。次が「謝る」、そして「感謝する」、そのあと「文句を言う」でした。胸に貯まっていたわだかまりをどっさり吐き出しました。許した後なので遠慮なく何でも言えました。甘えながら文句を言いました。肩を打ったりもしました。困った顔の父の目にはもう悲しみはなくなっていました。すっかり仲直りできた感じでした。後で知ったのですが2時間も経っていました。

母親との人間関係が悪い人は人生がデコボコ道のように困難が多く、父親との人間関係が悪い人はお金で苦労するとカルキ・バガバンは教えていらっしゃいます。私はこの時を境にお金の苦労があまりなくなりました。何かを売ろうとするとそれが一番市場価格の高い時で、すぐに売れ、買うときは値下がりしているというようになっているのです。これは功利的な点での話ですが、人間関係でも男性と気楽にリラックスした状態で付き合えるようになりました。以前は男性に対して構えがあったせいかそばに寄ってきてくれない人たちが大勢いました。怖いと言われたこともあります。衝突もよくあり、双方疲れるという結果になりました。振り返れば亡き夫には気の毒なことをしました。でもしっかり謝ったのでおそらく許してくれたと思います(ハハのんきだね)。

父とは先に出てきたエネルギー、男性原理で、命波では数値は「一」に当たります。まず父という縦軸が立って(成立して)初めて母という「二」の数値を持った横軸が立てられる。父母という二つの異なるエネルギーの性質が一体となることで「時空軸」が完成し、その後で「子」という森羅万象が生まれて来られる条件が整ったことになるので、古来日本では、

 一が二を生み二が三を生み、三が万象を生む

と言われています。両親が生きていようといまいと自分の心の中で起きている嵐のような葛藤は仲直りすることで静まります。嵐が去ったのちに訪れるものは平穏です。心の中心軸に平穏な安定性が出来たとき、その人は周囲の人から見ると幸せで、穏やかで、ほっとするような人になるのでしょう。それでも人生の荒波に対して時には振れたりはしますが。私ごとですが今はその時で、一緒に暮らしている家族が生命の危機に瀕していて余命いくばくという状態が続いていたのですが、今奇跡的に小康状態になり、こうしてようやく何かを書く気になりました。
2016.7.1記

続く
父の音、宇宙の種音

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/

 

 

フィクションもノンフィクション

前回の話のタイトルと同じじゃないの、と思った方へ。違います。前後が入れ替わっています。

この数年よく見る悪夢は道に迷って約束の場所に行けないというものと、ある集まりに出かけると全く場違いの場所で知っている人もいないし孤立して居心地の悪い思いをする上に、そこで何か話をすることになっているのに全く用意していないので立ち往生というもの。細かいことはさておき生理的には胸はドキドキ、頭はカッカとして考えがまとめられない、手のひらに汗で喉はカラカラ。

夢なのだから当然現実ではない、つまりフィクションの世界のようなものだけれど生理的反応は現実と全く変わらない。そういう意味ではフィクションもノンフィクションの世界と同じに心理的反応をしていることになる。脳は現実と非現実とを区別していないそうで、起きた事件がふとんの中で体は動いていなくとも脳としてはあたかも実際に起きているかのように反応するそうです。そして私の体験でも実際にそうです。

生理的に同じように反応できるなら悪夢の反対に楽しい夢を見れば幸せに感じる上に幸せな時にでるホルモンも分泌されるはずです。そういうときに出るホルモンは体を元気にし、若返らせてくれる効果もあります。脳の働きも活発になり、老化防止になることにつながって行くという理屈になります。どこにも行かなくて、従って費用もかからず、混雑もなく一石二鳥いや三鳥にもなるかもしれません。

良い夢を見るには体がリラックスしていると良いそうです。そのためには今日起きた好ましくない出来事を繰り返し追体験する癖を止めると良い睡眠がとりやすくなると思います。繰り返しとは「あの時こうすればよかった。何故しなかったのだろう。私は優柔不断な人間だ。まったく嫌になってしまう」、「あの時ああ言えばよかったのにすっかり誤解されてしまった。何故いつもこうなるのだろう」というように、すでに起きてしまって戻れない過去に縛られている癖は誰にでもよくあることだと思います。頭を一振りするときれいさっぱり忘れてしまって、さて寝ようと枕に頭がついたらすぐ眠れる人になりたいですね。それにいくつか良い方法があるようで、リラクゼーションの方法についてはは色々なハウツー本が出ていますし、幸せそうな人をお手本に秘訣を聞いてみても良いと思います。

幸せな人の例を一つ挙げます。私ごとですが母です。太母(たも)さんと呼ばれていました。自分のことを極楽とんぼと評していました。

  • その時その時で一番したいことを真っ先にする。場所をかまわず大きな声で歌を唄う(止められたらやめるだけ)。来客があるのに横になって昼寝をする。この場合は相手も誘う(若い女性の場合は相手が誰かを見て気をつけてください)。夜中に起きて片付け物をする(隣の部屋で寝ている私には大いに迷惑ですが気にもしていない)。食事の時間になっても草むしりをしている。夕方に昼食を食べている。好きな時にしたいことをしているので海外旅行に行っても全く時差ぼけしない人でした。これは一考の価値がある現象です。
  • 人の思惑を意に介さない(上記のことが出来る人なら当然ですが。相手が怒ると、「あなたは私、私はあなた。人間はみなひとつなの。人がどう思うかなどとくよくよするようなつまらないことはもうやめなさい」などと言って煙に巻く。それでもカンカンに怒っていると大きな声で歌を唄ってから何処かに消えてしまいます。怒っている人に理屈は通らないと分かっているみたいでした。
  • 「思い出して不愉快なことは忘れれば良い。忘れること神のごとしと言うじゃろう?何、忘れられない?困ったね。練習せんといかんね。不愉快になりたいという欲求を持っとるのかな?そうでないなら忘れなさい」と理路整然(?)と説く。相手は自分の盲点をつかれ驚いて反省する場合もあって、これは役に立つ。説いている人が幸せそうで健康で屈託がないので説得力があります。「復讐心は自分を痛める猛毒で相手には効かないという道理がある」とも説いていました。
  • 風邪をひくと大喜びで「お焚き上げじゃ。風邪は万病を払う玉ホウキ。ありがたい、ありがたい」と言って、よけい涼しい恰好をし、水を飲んで何も食べずに寝てしまう。熱も痛みも大体ありがたがって体さんにお礼を言っていました。「私が馬鹿者でも体は違う。細胞の一つ一つが智慧光の化身で自治の完成体。その賢い働きを妨げないことが肝要じゃ」と言っていました。つまり食欲が無ければ食べない。動きたくなければ寝ているということです。自然の法則に逆らわない生き方を知っていて実行していたわけです。
  • 人は生まれながらに幸せに輝いて生きたいという欲求を持たされて来ている。それなのに好んで不幸せになっている。その原因を突き止めることじゃ。それは心の奥底のそのまた底の潜在意識と呼ばれているものが自分は幸せになる資格がない、と思っていることが原因。何故そう思うようになったかというと自分は悪い子だと思っているからじゃ。良い子悪い子と区別するのは自分が他と離れて孤立しているように錯覚しておるからで、本当は人間は一人しかいないのだということが分かればそれで解決。

他にもいろいろあるのですが、今日はこの辺でやめておきます。

では何故人は好んで不幸せでいるのでしょうか。一つには現実と夢の世界という二つの世界にまたがって生きているという体験を二つの分離した現象と思っていることあるのではないかと思います。冒頭にフィクションもノンフィクションと書いたように、脳は体験によって生理的反応を起こします。感情的反応は夢であっても起こります。夢の世界とは「物理的には無い世界」です。この無い世界にもし本当の自分が住んでいて、物理的な世界には体の中に閉じ込められた「自分という存在、つまり自我意識」がいて、それだけが現実で、従って個別の存在で、多くの場合は理解もされていないし、愛されてもいないし、正当に評価されてもいない、感謝もされていない。とこのような孤独感を感じているのではないでしょうか。

意識は物理的境界の外にいつでも飛翔できます。限界を決定しているのはそれぞれの人のそれまでに受けてきた教育(まず親の考え方です)やそれまでの生活体験に対する反応行為の集積から引き出された偏った結論です。一人の人がその人生で体験することは限定されています。親の考え、教育制度を制定した国の方針、肉体的特徴(性別、容貌、運動機能、頭脳の働き等)にも制限がかかっています。これをいったん外側から見る、俯瞰するような視点を持つことが自由になるための第一歩だと思います。以前誰かの言いなりにならない、私たちは偽の情報の上に成り立っている人間社会に生きていると書きました。そのことをしっかりと踏まえてその上での視点の持ち方を考えて見ると今まで見えなかったものが見えてくると思います。

2016.6.1 記

ノンフィクションもフィクション

ノンフィクションもフィクション

本屋さんで書籍の販売コーナーを見るとノンフィクションとフィクションと二つにセクションが分かれて展示されています。フィクションとは虚構、作り事のことで小説はフィクションです。ウィキペディアを見ると「事実でないことを事実らしく作り上げること」を意味しているとも書いてあります。これに対してノンフィクションは史実や記録に基づいた文章や映像などの創作作品。また、その形態。ドキュメンタリーやインタビューなど多肢にわたる。製作上の綿密な調査や取捨選択など作成者の独自色が出る、と書かれています。

ノンフィクション

ここで間違ってしまいがちなことは、ノンフィクションは事実あるいは真実だと思ってしまうことです。史実や記録が間違っていてもねつ造されていてもそれに基づいて書かれた文章はノンフィクションというジャンルになっているのです。

最近健康に関連したセミナーをいくつか受講していて思ったことがあります。講師はそれぞれ体のことを専門に学んで学位をもっていらっしゃる医師や科学者で本も書いています。

セミナーではプロジェクターを使って様々なチャートやグラフを提示してそれぞれの主張するところを発表されます。統計学的な数値を次々に提示されると「なるほどそうだったのか、知らなかったなあ」と感心しますし、それが事実あるいは真実だとつい思ってしまいます。例をあげましょう。体に関する専門家で医師である人が、「牛乳は北欧の白色人種は消化できる人が多いが日本人も含むアジア人やイヌイットやアボリジニなど先住民と呼ばれる人たちには消化吸収できない」という説明でチャートには主な人種と消化力の有無とその程度が提示されていました。私も牛乳の消化力は低いし、知人で全く受け付けない人たちもいることからなるほどと納得しました。この専門家はまたワクチンなどの予防接種は効果がないばかりでなく、人体には有害なものが多いということ、薬も副作用を考慮するとあまり飲まないほうが良いという考えの持ち主でした。それからほどなくしてワクチンや薬に関しては同じような見解を表明している医師の本を読んでいたら、多くの点で先の専門家の意見と同じようなことが書いてあったのですが、牛乳と乳製品に関しては、どんどん食べなさい。安価である上に栄養価が高く、非常に優れた食品であると勧めてありました。どちらが正しいかどうかではなくそれぞれの意見なのです。それを踏まえて自分が選択をし、結果は自分が摘み取るということになるわけです。言われた通りにやったのにかえって元気がなくなった、責任をとれと言っても通用しません。

今はインターネットいう情報源があるために体の健康維持のことや食品の栄養価、病気のことを即座に調べることができます。人類にとって未曽有の情報源が無料あるいはほぼ無料で提供されています。調べる気さえあればいくらでも情報収集ができます。便利ではありますが、フィクションとノンフィクションが入り混じっていて混乱させられます。同じことに関し全く反対の意見があるために常に選択をしながら生きなければならないわけです。何かを調べる際には多くの情報源から複数の意見や調査結果を見て比較検討し、誰の意見も決して鵜呑みにせずに最後は自分で判断することが肝要かと思います。その時に大切なのは、

大自然の法則とそれに則して成り立っている完全循環型の生物圏の中で自分のとろうとする行為がはみ出していないかどうか。もしかして人間だけに都合の良い考えなのではないだろうかという問いを持つことだと思います。よく言われていることですが、「胸に手を当てて考えて見なさい」という言葉です。この場合の胸とはハートセンターと呼ばれる感情の状態が肉体に直に表れている場所だと私は思っています。「何かおかしい、変な胸さわぎがする、しっくりこない、気分が良くない」という感覚です。この感覚がいかに鋭いかどうかで人生が決まります。すぐに騙される人とほとんど騙されることがない人との違いが出てきます。覚者と凡人との差とも言えます。

誰それの意見はそれをすることでその人とその人の属している社会(企業、国家、職業分野等々)にとってのみ有利なのではないか。それによって困る人たち(他の生物も全部含め)がありはしないだろうか。そう考えながら物事を見て行くと感覚は鋭くなって行くと思います。

フィクションである小説は「事実らしい」ということが重要なポイントになります。事実らしくないとあまり売れません。多分ワクワクドキドキしないからでしょう。これはノンフィクションにもそっくりあてはまることなのです。「事実らしいだけで事実ではないかもしれない」と思って賢く情報処理をして行きましょう。

2016.5.8
フィクションもノンフィクション

 

 

見る喜び、美の形

 

桜
桜が散ってしまい急に淋しくなった周囲の景色が他の花々によって新たに埋められてきました。我が家の庭は白い花が多く、それはそれで華やかなものです。こでまり、ジューンベリー、ドウダンそしてシャクナゲと大中小の白い花が次々に開花。それらを見ると胸がときめきます。人は普通美しいものを見ると喜びという感情が湧き起こるようにできています。ただしそのような感情があまりない人たちもいるそうです。

2009年に発表された二つの調査の結果を見てみると次のことが分かったそうです。

まず精神病質者ではないと鑑定された一般の人と犯罪者として投獄されている人の内反社会的人格障害者(注1)と診断された21名の人の脳の違いを調査した結果、脳の前頭葉の二つの部分に関して大きな違いがあることが分かったのだそうです。一つは中前頭回(注2)という場所、そして眼窩前頭回(注3)という場所、どちらも嬉しいとか楽しいとかの豊かな感情を起こさせる場所だそうです。中前頭回の働きを促進するような軽い電気的刺激を与える実験で笑いを引き起こせることが分かっています。反社会的人格障害者において中前頭回が平均18%、眼窩前頭回が平均9%も小さかったそうです。

次に精神病質者27名を普通の人32名と比較した調査でも違いはでたと発表されています。この場合は感情のセンターと呼ばれている大脳偏桃体が平均18%小さかったそうです。
https://m.livescience.com/13083-criminals-brain-neuroscience-ethics.html

豊かな感情は子供の頃にその元が養われるそうです。凶悪犯罪者の多くがそうである社会病質者、精神病質者は憎しみや強い怒りのような感情はあっても喜びや幸福感のような感情の方は枯渇したような人が多いと言うことなのです。美しいものを見て美しいと感じることは当たり前と思うでしょうが、そうではない人たちも大勢いるのです。惨たらしいものを見ると面白がるという感情は美しいものを見ても感動しないということにつながっているかもしれません。また、人工的なものは美しくとも自然の美という完ぺきなバランスをもった形に比べると不完全なものも多々あるかと思います。美に対する感動は美しいものを見れば見るほど養われて行くと思います。そして美しいものを見る喜びの体験が多ければ多いほど偏桃体その他の脳の分野は発達すると思います。

こでまり3 (800x800)

ドウダン

シャクナゲ美のバランスに関しては黄金比というトピックでまたお話しして行きます。

注1.法律といった規範や他者の権利や感情を軽視して、人に対しては不誠実で、欺瞞に満ちた言動を行い、暴力を伴いやすい傾向があるパーソナリティ障害

注2.中前頭回はヒト前頭葉の、上側約 1/3 の領域を占める脳回」笑いが引き起こされる領域 刺激電流のレベルが上がるにつれ、笑いの持続時間や強度が増加した。 例えば、弱い電流は微笑みのみが生み出されるのに対して、強い電流では大笑いが引き起こされた。笑いの起きている間は言語や手の動きなどの全ての活動は停止した。

注3.網膜の裏側にある眼窩前頭野は、脳の前頭前野皮質と皮質下が出会う重要な位置を占めています。そして、情動脳である大脳辺縁系と、知性の脳である前頭前野をつなぐ働きをしています。つまり、情動の源である大脳辺縁系の偏桃体が喚起した情動を制御し、偏桃体からの要求を抑制する働きをするのです。周囲の状況を的確に解釈し、内的及び外的経験に照らし合わせて、意思決定を行なうためには、大切な部位です。この部位の機能が低下すると、共感する力が損なわれます。
多くの精神疾患、あるいは人格障害、発達障害は、前頭前野や帯状回、眼窩前頭野などの機能障害に原因がありますが、この眼窩前頭野の障害では、辺縁系の活動の調整、統合に支障が生じます。すなわち、抑制力の低下が起き、衝動をおさえられないといった、いわゆる強迫性を生じるのです。

バイリンガルって本当にいいの

覚者と凡人はどこが違う

私たちは自己というものを通常どのように認識しているのでしょうか。大方の人は自分が中心にいて周囲に自分を取り巻く環境がある。環境に家族、友人、その他の人々がいて人間社会が成り立っている。その他に動植物を含む自然環境がある、というふうに認識していると思います。つまり自分と自分以外のすべてという関係性においての自己認識だと思います。生まれてからずっとそのように教育されてきたのですから当然だと思います。

しかしこの認識の基盤に成り立ったあらゆる物の見方とその見方によって生活している間に体験を通じて確認され、定着した「固定観念という記憶」が病と不幸せという感覚の根本の原因になっているのです。つまり私という人は「固定観念が服を着ている」ごとき存在だと言えます。

固定観念は一部あるいは大きな部分覆されるか書き換えられることは時々あります。そのような体験をした人々を私は何人か知っています。ただ完全に固定観念が無くなった、あるいは元々ほとんど無かった人という人たちはあまりいません。この人たちは「覚者」と呼ばれています。

どうしたら固定観念から解放され。真に自由な思考ができ、不安と恐れと心配と欲求不満と病から解き放たれるのだろうか。その手法は古今東西の賢者や導師やトレーナーなど自薦他薦で提供されてきました。どれがどのくらい効果があったのかをここでは問いません。言えることは、「覚者はそう多くは出来なかった」ということです。命波の創始者である小田野早秧先生は「字分け」という手法を考案されて、私はそれを実践しています。字分けの目的は「自分とは何か、命とは何か、死とは何か」を明確に把握し、結果的にあらゆる偽物の情報から解放されることです。偽物の情報というのは現代社会という怪物を構成している要素のことです。覚者とは真理を知る者で、偽情報に騙されない人のことです。

字というものは実はそれを分解すれば真理が分かるように作られてあった教科書のようなものなのだということを発見された初めての人類が小田野早秧という人だったのです。発見に至るまでの様々な啓示現象はまさに奇跡そのものです。これからもこのブログでは小田野早秧という人とその生きざま、何故字分けが効果的な手法なのかということと、心身の健康との関係などについてもお話しして行こうと思います。
2016.4.7 記

フィクションもノンフィ

フィクションもノンフィクション

光透波とは何か

 

 

竜はDNA

竜という字を分けて見てみましょう。龍という字もありますが、竜はそれより古くからある古字だそうです。現在英語のDRAGONは竜と訳されています。

竜を分ける

音が開く(Lは開くという意味)と教えてくださっています。音は振動であり振動があらゆる物を作っていることは「理解という光」でも少し触れました。竜は神話や伝説上の生き物ですが、干支にもあるように私たちにとっては馴染みが深くそのイメージはどなたの意識の中にもしっかりと存在していると思います。そして竜には二種類あって、神社の柱などによく彫られているのは登り竜と降り竜のセットです。
さて、今回は竜を二つの観点から考察して見ることにします。次の図ではDNAの二重らせんと竜の関連性をリストアップしています。DRAGONの中にはDNAとRNA(注1)の両方があることを教えてくれたのは光透波の勉強仲間の藤田知江さんです。

DNAは竜

ご存知のようにDNAは4種の塩基で構成されています。4つの塩基の3つずつの組み合わせ(コドンと呼ばれます)は64種類です。64はムシと読めます。後で出てくる虫に関係するのでここで指摘しておきます。ちなみに64はまた易の卦(注2)の総数でもあります。
蛋白質はDNAが異なる種類の設計図を作り、それに従ってRNAが実際に働いて作られます。ここではそれらの関連性が字分けをすると出現するという驚異的な一例をお見せします。

蛋白質の字分

蛋白質の蛋は足を意味する疋と虫に分けられます。アシには吾思を当てました。吾の思い、個人である私の思いとも解せます。この思いは大部分自分が中心ですが、進化して行けばずっと愛他的にもなって行くでしょう。究極は無私の愛である無詞になりますが、その過渡期においては様々な挫折、失望、苦悩、苦痛を味わうという人生を体験するわけです。虫はまた64という数を運んでいます。ビックリ(吃驚)です。初めは吃驚などしないと思いますが、字分けをしているとだんだんに天の計らい、大自然の設計図の緻密さと精妙さに吃驚仰天するようになるのです。私はそうでした。
白は「・」と「日」に分けられます。天は・が回転して展開しているこの世界だとは他に書きました。日はヒと読むと日本語の数読みであるヒ、フ、ミ、ヨ、イの一、絶対という意味でもあります。絶対という唯一無二の天の白(コトバも意味します。告白の白ですから)という黄金の命の波である質(シツ)、詞に通じている質が「蛋白質」という言葉に込められているのです。読み解けばということですが。

概念で字を見る人は「虫」と見ただけで毛虫やムカデをイメージして気分が悪くなるかもしれませんが、64にすれば何の不快感もなくなります。無詞に至っては憧れの対象となります。このように概念から脱却するプロセスが字分けとも言えます。

注1.RNA(リボ核酸)には、メッセンジャーRNAのほかに、トランスファーRNA、リボソームRNAの3種類があり、これらのすべてが蛋白質生合成において機能している。
注2.古代中国では存在するすべての根源は宇宙の大局(陰陽の二つが出てくる元。言い換えるとプラスとマイナス)のもとにあり、その大局の変化によって自然界が変化していくと考えた。その変化が8つの形、すなわち、地・雷・水・山・沢・火・風・天である。さらに、この8つを組み合わせると64の卦ができる。
2016.03.16 記

https://37kotoha.net/10/光透波とは何か-2/