前に「小さな字」について書きましたが、それより小さな字を研究会の藤田さんが「字分け」して見せてくださったのに大いに刺激され、私も同じ字を相手にそこに含まれている意味を展開して見ました。字が運んでいる音(読み音)の大部分は藤田さんと重複していることをお断りしておきます。
「下」という字です。たった三画の字ですが、それについている音がすごい!
下に対し、上という字にはここまでの読み方のバラエティーはありません。人は体を持って生活をしています。肉体という物質は重力場においては何もしなくても下には下がります。上に上がろうとすると力が要ります。飛行機やエレベーター等の機械や、階段やハシゴのような道具が要ります。
努力の努は奴(人間という意味)の力と書きます。何かを持ち上げるにも筋力を使って努力しなければなりません。生きている限り肉体を動かしながら、ほっておけば下がるものを上げ続けているわけです。
重い体は四六時中ケアが必要です。病、老化、肥満、運動不足、汚染物質の滞留、疲労、精神的な悩み等々原因は様々ですが、とてもスッキリ、爽やかという状態でいる方は少ないと思います。
人間には生きている限り苦しみと悩みが付きまとうものだが、それを受け入れて、それをバネに何かを生み出すものが芸術家であるとピカソその他の偉人賢人が言っています。天才も同じく苦悩がつきもので、一般の人とは物の見方が異なるために、小さな時から孤立して孤独な思いを抱えて生きて行く運命を担わされています。それを受け入れることが出来なければ社会に貢献するような実績を上げることなく挫折して精神異常をきたしたり、早死にしたりするようです。
芸術や天才は苦悩から生まれ、花開くと言われています。物体である体は上がりませんが、精神はいくらでも上がれます。重さがないのですから。思いが重いを左右するのです。昇華という言葉がありますが、上がって華開くわけです。
音が運んでいる天の意味を見ると、「下」という字の読み音のどこにも「重くて上がれない」という意味の文字が付いてはいません。「思い」次第で「重い」は澄んで、朗らかで、どこまでも宇宙をつらぬいて一瞬も停滞することなく解けて流れて、生々流転をしています。そこには個の死というものはありません。病気もありません。整然とした法則に則って運行されています。
生まれて来たことで、不自由な体を持ったが故に、苦悩して、体験して、「何故だ」と問い、考えて、理解して、納得して、美を生み出し、満足して体から抜け出て行くプロセスを、下という字が教え示していることに気が付きました。
この他にもUP(天通父)とDOWN(兌云)の読み音や、上下がくっついた図(ト+下)や下という字の一部であるTという字の縦棒に斜線(能き=働きを意味する形)が接している位置が下がっている(赤い点)ことから、下降する方向性を示していることにも着目していらっしゃいました。
以上のようにたった三画の文字の各部分の意味を追求するという謎解きゲームを楽しみながら、頭の体操をするのが「字分け」の楽しみなのです。ご自分でも字の形を見ながらあれこれと思いを巡らして見ませんか?ミクロの世界では点一つの位置や大きさがすべて重要な意味を持っています。その小さな小さな点が全ての原点であることは量子学誕生以降の人類の集合意識にすでに入っています。
自らの身細胞一つ一つが認識できるほどにまでに意識を研ぎ澄ませ、感覚を磨き続けなくて、どうして天の実親の意図など測り知ることができるでしょうか。
小田野早秧
2019.11.27記