嫌い!の効用

子供が道に座り込んで、「嫌だ、嫌だ、嫌だ~」と泣きわめきながら、手を引っ張って起こそうとやっきになっている母親に抵抗している。何がそんなに嫌なのかは分からないが、「嫌」という感情の爆発によるエネルギー放射の影響は家の窓から外を見ていた私にも伝わってきた。窓は閉まっていて、ペアガラスの防音効果もかなり高いのに、それでも聞こえるほどの大きな泣き声なのだから肺のキャパいっぱいの、それこそ全エネルギーを使っての抗議デモだ。

同じような経験が私にもある。あれは私が6歳くらいの時のこと。静かな山岳地の緑深い、水のきれいな川の近くの家から海辺の町に引っ越した。人々の気質がかなり荒っぽい漁師町の道筋から一本奥に入ったところにある、都会の人たちが疎開していた別荘地区にある家だった。門にも塀にも落書きがしてあり、汚物もなすりつけられてある。洗い落としてもしばらくするとまた汚される。塀越しに汚物が放り込まれることもあった。
「よそ者で金持(実際は違ったが)の奴ら」とみなされ、土地者とは馴染まないのが別荘地区の人たちの生き方なのに、家族はそれをしなかった。業者に厳しく接するという金持ちの姿勢をとらなかったという意味である。要するにバカにされたのである。買い物をすると高い値をつけられ、品物は二級品を渡される。土地者価格とよそ者価格とがあったのである。
ともかく居心地は悪かった。穏やかな気質の人々に囲まれていた、のんびりとした田舎の畑の間にある家からいきなり粗々しい人たちの間に放り込まれたショックは大きかった。仲間外れなど当然のことだった。今でも人との交際には相当気を遣っている。

ある日母が、元住んでいた地域の近くの知人を訪ねるのに私を連れて行ってくれた。物心ついた時から可愛がってくれていた夫婦の家で、私たちを歓迎してくれた。食事もいただき、お土産も頂いて、他に少し用足しもしてから駅に向かう母に、帰りたくないと言った。当然それは聞き入れられない要求だったが、私の知ったことではない。先ほどの子供と同じように道にしゃがみこんで泣き叫んで抗議した。今までこれほど激高したことは一度もなかった。自分で言いうのも何だが、聞き分けの良い子供だったのに、この悲嘆と怒りの混じった抗議には母も困り果てていた。声も枯れて力も尽きてぐったりとなるまで母は道に立ち往生していた。一生忘れられない思い出である。

その後二回激高したことがあるが、最初の一回ほどの激しさではなかった。それでも70年余り生きてきて、命の限りの力を尽くした激高は三回だったのだから、それがどれほどの「嫌!」だったのかは想像がつくのではないかと思う。

数年前のこと、従妹のY子が旅行先に、指に包帯を巻き、手首にサポーターをして来たので、どうしたのか尋ねたところ、指を包丁で切ったという。そして怪我するまでの経緯を話してくれた。

正月に大人数の食事の支度をしていた。息子とその連れ合い(一度も料理と後片付けを手伝ったことがない。実家の母親が料理の下手な人なので、毎年彼女の家の方に一家全員で来る。お産の時も三回とも実家には行かずに彼女の家に来てそれぞれ二か月以上いた)と、子供三人、結婚しないで家にいるもう一人の息子、家事を全くしない夫の全員の食事の支度を独りでしながら、心の中で、「もう嫌!嫌、つくづくとことん嫌、うんざりだ」と喚いていたそう。そして力任せに何かを切った時に左手の親指を切り落としてしまった。皮一枚でつながっているのみの切断状態。皮が離れないように指をきっちりと定位置にくっつけて、救急箱に向かう。ずれないように気をつけながら、口で包帯の端を咥えてぎりぎりと巻き、腕の方に紐を巻いて止血をする。それから血が流れ出ないようにゴムの指サックをはめ、その上にまた包帯を巻き、さらにゴム手袋をして料理を続けた。食事はしないで、気分がすぐれないからと自室に行って倒れた。激痛が襲ってくるが大きな声を出さないで歯を食いしばってこらえた。病気をすると酷く機嫌が悪くなり、家事をさぼることが許されない舅と息子の家に嫁に行き、いつも弱みを見せて負けてたまるか、と自分に言い聞かせて生きて来た癖はもう治らないと笑って言っていた。ちなみに彼女が指を切断したことには夫も息子も気づかなかったそう。誰も彼女の顔色など見ないからである。

そのY子が指の怪我で学んだことは、「嫌!」という感情の起きる原因はいくつかあるが、それを無くすことは実際的ではないので、他の解決法を探るしかない。嫌はそのまま認めて、原因となった不都合は受け入れ、嫌を上回る楽しみを見つけ、断固決行する。その為には嘘もつくし、うまいやり方をいろいろと考えだす。

そして今彼女は、好きなことをいくつかやりながら、料理をし、他の家事をし、息子と嫁の面倒を見、お気に入りの従妹(私、へへ)と姉と妹と一緒に食事会や温泉旅行を楽しんでいる。大きな声でよく笑うようになった。あまりにも大きな声なのでフレンチレストランには行けないほど。昔は姉に「ふくれのY子」と呼ばれていたくらいの人だったのに。三叉神経痛で風が吹いても痛む時があり、能面のように表情の無い時期があった。

さて、説教タイム。「嫌!」はまず認める。そして向き合う。原因は処理できるものは処理。できないものは受け入れる。そして楽しいことで埋め合わせる。幸せであったら「嫌」の辛さはそれほど酷くはないうえに、自分を知ることの手掛かりにもなる。ちなみに勝負事が好きなY子は好きだった将棋と碁の練習に励み、碁で段を取り、今では同時に数人を相手に教えながら「独り悦に入っている」そう。負けず嫌いで頑張り屋の性分は小さな時からで、それは変わらないが、仏頂面は無くなり、持病の三叉神経痛と偏頭痛は完全に治り、明るく元気に生きている。

2017.10.15

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