光透波のお勉強を始めて今年でちょうど20年になります。その間人並みに多くの問題に直面させられました。時には「字分け」なんかで助かるものか、と疑ったこともありました。何日も何週間もまともに字分けをしないでいたことも何回もありました。しかし不思議なことにやはり最後は「字に聞く」という手段に戻って行くのです。私にとっては最後の頼みの綱なのです。
行き詰った状態の時、机に向かって、あるいは手帳を開いて鉛筆で問題となっている事柄、あるいは気になる言葉を文字に書き始める。電車の中などでは頭の中でノートを広げ、そこに想像の鉛筆で書きます。すると次々に「思い」という波が押し寄せてきます。それを見つめ、噛みしめ、味わい、整理して行くという作業をしていると問題の核心が見えてきて解決法も出てきます。
解決法は一気にできるものと、時間がかかるものと様々ですが、いつかは必ず解決しました。他者が絡んでいる問題でもその他者を離れたところ(その人を変えたりしないという意味)で解決できるのだということを経験しました。問いに対する答の典型的な出方は朝起きる前に夢または文字のイメージ、または声で入ってきます。声は小田野先生だけではなく、好きな聖者、家族、友人などもあります。20年の経験で分かった非常に簡単なルールをお教えします。
問えば答がいただけるのです。問わなければいただけません。
以下は小田野先生の言葉です。
字の前に、自分の意(心音)を澄ませる者が、
やがて永劫の英知に同化して
無限に生きる可能性が開かれます
難しい言い方ですが、分かりやすく言いますと、永劫の英知という至高の速度の光のエネルギー(光透波)の振動数に少しでも近づいて行きたいと、心の奥底から願い、求め、謙虚になって字に向かうことです、謙虚になるということは、頭に充満している思い込みや知識をいったん手放すという意味です。よく言われる喩えですが、「いっぱいのコップにはもう水は入らない」です。
2016.1.27 記
こんにちは!
私は地理が苦手です。地図は最小限しか見たくありませんでした。道に迷うと電話をして聞く、車の運転はしない、といった地図音痴です。脳トレのために地理を学ぼうとしたのですが拒否反応、頭が真っ白になります。そこで字を分けてみました。簡単な分け方ですが、地と理の2つにしてみると「地の理解」。地は地球で、地球を理解すること、時間の積み重ねである地の道筋をたどること。と、考えたら不思議と自分から地図が見たくなりました。ここに暮らす私に名前があるように、海も川も国も何処にある何という名なのか、全部は無理ですがある程度は知って呼んであげたいと思います。地理は文字通り、地の理をたどっていく地道な作業です。その地道なところが苦手な原因だったのかもしれません。今は楽しく地道に、アプリの地図パズルで学習しております。字分けをして長年の思い込みを手放せたようです。