不幸になろうと思って生れ来る人はいない

三年前は長年の知己二人と血族の訃報に接しましたが、昨年は何とかお葬式参列無しで過ごせました。一人去り、二人去り、見回せば周囲にいる人たちは皆年下です。どうか皆さまお元気で長生きされてください。昔の私を知る人達の目減りは寂しいです。

そこで寂しい、あるいは淋しいという気持ちについてお話をしようと思います。

ある健康問題をとりあつかう学会の発表に、病の根本原因は細胞の炎症であるとありました[i]。細胞が炎症し続けると、最終的には壊死しますが、死なない細胞の中には不老化細胞となるものがあります。癌の中でアポトーシスしないものも不老化細胞です。それはさておき、では何故細胞は炎症を起こすのでしょうか?

食べる物? 運動不足? 肥満? 喫煙習慣? アルコール?

いえいえそうではありませんでした。それは何と、

「孤独」なのだそうです。家族がいても、友人がいてもその中でも孤独は心を蝕んでいる例は多いです。そしてその人たちの多くが病を抱えています。健康で薬もまったく服用していない知人は私の周囲にはほとんどいません。皆何らかの疾患を持って、病院通いをしています。だからこそこの話は大切なのです。

誰もが幸せに輝いて生きて行きたいという願いを心の底に持たされて生れて来るのに、赤ちゃんの時は別として、いつの頃からか、寂しい、悲しい、怖い、不安と感じ始め、大きな声で泣きわめく時代を過ぎると、自分で処理をしなければならなくなります。周囲の大人はいつまでもしがみついて来る子供には段々厳しく対応し始めます。それをどう処理するかが個人個人の課題となります。上手に対応する方法はいろいろですが、個人差はあります。

実はこれは人間対人間関係における対応の個人差なのです。大多数の人間は人間社会でのみの生き方を学びます。人間を生み出したそもそもの根源である、大元のことは考慮の外です。そこが問題なのです。

私の母のことばを引用します。

不幸せになろうと思って生れて来た者はおらん。皆幸せに輝いて生きたいと望んで(注。そのように感情を持たされて)生れておるのに大方は途中で不幸せになってしまう。何故か?

私は星見ても、月見ても幸せ。空を見ても雲を見ても幸せ。樹を見ても草花を見ても幸せ。澄んだ川の水、水底の小石、楽しそうに泳いでいる魚たちを見ても幸せ。周り中の物が輝いて命を謳歌しておる。そのまっただ中でどうして不幸せだと思ってしまうのか不思議。生まれた寺では「わしらは阿弥陀さんの懐住まい」と言っておった。その阿弥陀さんちゅうもんが、実はよく分かっとらんで、悪いことすると天罰が下るなんぞ言うもんがおるので、びくびく生きとる。阿弥陀さんは誰もかれも一人残さず幸せにすると約束してこの世界を造ったとお経(注。浄土真宗なので正信念仏偈を指す)にちゃんと書いてある。だから親の懐にいるようなもんじゃて。その親が造った世界を汚しちゃいかん。要らんもん山ほど作って水を汚し、空気を汚し、大地を汚しとる。汚さんには、最小限度の消費で、最大限の幸せを得るのが功徳というもの。美しい地球から収奪しない、少しで満足して、感謝して生きる。自分では種から野菜は造れない。皆太陽と水と大地がやっておる。髪の毛一筋といえども造れない。全部大自然のお働き。息が出来なければすぐに死んでしまうのに、その空気を汚しておる。自分では何も造らんで、全部ただで頂いておるのに、足らん足らんと嘆いて不幸でおる。頭がおかしいとしか思えん。

こういう人に育った背景は著書『慧日』にあります。それによると生れたばかりの赤子の顔を見た祖父が、その顔の輝きに深く感銘を受け、家族が教育をしないようにと別棟で自分の庇護の下に育てることにしたのです。誰にも邪魔されることなく、自由に育ててくれた祖父、母親、兄弟姉妹のお陰かもしれません。でもこういう人はほとんどいません。皆子供に良かれと思って教育をします。それは人間社会に於ける対応という意味の教育です。そしてそれが愛であり、正しいことだと思っているのです。

親切という言葉は、「親を切る」と書きます。間違いだらけの教育を受けた親を責めても意味はありません。勿論全ての親とは言っていませんが、夫々の思い込みというものは多かれ少なかれあるでしょう。そして良かれと思って教育するのでしょう。これに対しては、愛を持って優しく切り離し、これを実行する行為を「出家」と言います。一旦家を出るとは家族とのしがらみを絶つということです。別に家を出る必要はありません。心構えとして、影響を受けないで生きる術を見つけて行けばそれで済みます。口論してもほとんど効果はありませんので、静かにするべきことはだいたいやり、手助けもし、役に立つ人でいればやり過ごせます。そして心で自由でいれば良いのです。外で遊んでいるのを見て怒る親はそんなにいないと思います。楽しそうにしているのを見ると多分嬉しいからでしょう。幸せそうに輝いている効果です。

私も最近、生きとし生けるものの全部と繋がっているのだ、孤独というものは後から習い覚えた感情だったのだと、そう気づいたのです。勿論親しい友人がこの世を去れば寂しいという感情は起きますが、それが細胞に炎症を起こすような身体的ダメージは起きないのです。サイトカインが出ないで、セロトニン等の幸せホルモンが出ているからです。寂しいという字は、しずか、おもむきがある、涅槃の世界、寂静の世界も意味します。淋しいという、涙の林というような感傷が湧き上がる程ではありません。涙もまた、甘く切なく、根底に懐かしさや感謝がある場合は清々しいものではありますが。

どうぞ元気いっぱい光輝いて長生きして下さい。

[i] https://news.uchicago.edu/story/loneliness-triggers-cellular-changes-can-cause-illness-study-shows

https://www.huffingtonpost.jp/2015/12/08/loneliness-is-bad-for-you-and-this-study-may-help_n_8745970.html

AIに訊いてもそう答えてくれます。

Q:孤独が細胞に炎症を?
A:はい、その通りです。近年の科学的研究により、慢性的な孤独感は体内の細胞レベルでの炎症反応を引き起こすことが示されています。
主なメカニズムは以下の通りです。

● ストレス反応: 孤独は慢性的なストレス要因となり、ストレスホルモンであるコルチゾールやノルアドレナリンの分泌を増加させます。
● 免疫系の変化: これらのホルモンや関連する神経活動は、免疫系に影響を与え、炎症誘発性のサイトカイン(免疫細胞から分泌されるタンパク質)の生成を促進し、抗炎症性のサイトカインを抑制します。
遺伝子発現の変化: 特に、「保存的転写反応」(CTRA)と呼ばれる特定の遺伝子セットの発現パターンが変化します。この変化により、炎症に関連する遺伝子の活動が活発化します。
この細胞レベルの炎症は、以下のような様々な健康問題のリスクを高めることが知られています。
● 心血管疾患(心臓病や脳卒中)
● 糖尿病
● 関節リウマチ
● アルツハイマー病などの神経変性疾患
● 特定の癌
● 全体的な死亡率の増加
つまり、孤独は単なる精神的な苦痛ではなく、身体的な健康に直接影響を与える深刻な要因なのです。 

 

 

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